第2話 蕎麦と白壁をめぐる冒険
僕は写真撮影のために、かつて生まれ育ったこの町へ来たわけだが、彼女には別に用があるわけじゃない。
長距離バスは2時間もすれば出るので、本当の行き先を聞いてみたけど、さあと答えるばかりだった。その辺りは、やはり外国人だからなのか。
行き先を思い出すまで一緒にいてもいいのだが、それでは僕の撮影ができない。できれば、1枚でも撮って、さっさと帰りたかった。
「よかったら、一緒に来ませんか?」
こう言うしかなかった。別に、ナンパとか、そういう意味があったわけじゃない。
でも、彼女は答えない。当たり前だ。初対面の男なんだから。いや、知らない男からいきなり誘われて、不審に思われたかもしれない。
思い余って、僕はつい、口走ってしまった。
「あ、あの、僕、
行ってしまってから気が付いた。
傍目から見れば、やっぱりナンパだということに。
さあッと全身から血の気が引いたところで、彼女はためらいがちに答えた。
「メル・アイヴィー……です」
僕の生まれた城下町は、そろそろ昼を迎えようとしていた。懐かしいのでどこかソバ屋にでも入ろうかと思ったけど、よく考えたら女の子連れだったら奢らなくちゃいけないのかと考えてしまったりもする。
だが、そこは覚悟を決めて被写体を探すことにした。
町並みは古いので、それっぽいものはいくらでもある。
紅柄格子の町屋、色鮮やかな鯉が棲む用水路。
それこそ、街中から望む、豊かな緑の中の城を撮ったっていい。
「随分、人が多いんですね」
そうなのだ。それが、いまひとつ撮れない原因だった。
カメラの前を遮って仕方がないくらい、混雑しているのだ。
ちょっと考えて、幼い頃の記憶をたぐる。ほとんど思い出せない。ミツヤ、とかいう名前は憶えているが、誰のことか分からない相手を頼ることもできない。
だが、人を手掛かりにしなければ、話は別だ。
「……あった」
僕はメルを促して、心当たりの場所へ向かう。
「ここだ、ここ」
町中の道が狭いので、その周りに作ったバイパスがある。ここは街を見下ろせる高さになっているので、ちょっと遠くにあるものでも倍率を上げれば撮れないこともない。
「え~と……」
遠くを眺めてみると、素人目にも面白い構図があった。
お寺の境内があって、その周りを白壁が囲んでいる。そのひとつを挟んで、男女が背中合わせに立っていた。
「ケンカしてるみたいですね」
僕には正直、どうだっていい。とりあえず、写真に収めた。
「よし、帰ろう」
そうは言ったが、長距離バスは2時間に1本しかない。時計を見ると、まだ1時間近くある。
空腹を抱えてバスに乗るわけにもいかない。覚悟を実行に移すしかなかった。
街中にある老舗のソバ屋は結構混んでいて、ずいぶんと順番を待たされた。バスの時間を気にしながらいちばん安い掛け蕎麦を頼むと、メルも同じものを頼んだ。
「美味しいです」
結構、器用に箸を使う。
「まあ、昔っから評判だからね」
と言っても、僕の記憶は小学2年生で止まっている。両親に連れられて1回来たことがあるくらいだ。
それっきり、僕たちは無言で蕎麦を啜り続けた……といっても音を立てたのは僕だけだ。
そこはやっぱり、外国人だからだろう。
店が混んでるのでさっさと席を立って、メルを先に出した。レディファーストってこともあるし、お金を払うところを見せたくもなかった。
だけど、2人分払おうとしたら、蕎麦屋の大将は首をかしげて言った。
「多いよ、お客さん」
気が付かないうちに、メルが自分の分を払っていったに違いない。
……やっちまった。
慌てて外へ出ると、人混みの中をメルがさっさと歩いていくのが見えた。
「あ……ごめん」
そう言おうとして、ふと思った。
割り勘にしたのは、そんなにいけないことだろうか? デートしてるわけでもないのに。
声をかけるのはやめにして後を追うと、すれ違いざまに誰かが「あれ?」と言った。知った人などいるわけがないので、僕はメルの白いワンピースだけを探し続けた。
「ちょ、ちょっと……?」
発車時刻はもうすぐなのに、メルはバス停には向かわなかった。
「お帰りならひとりでどうぞ」
シニカルな日本語は、思いのほか達者だった。
無言でずんずん歩いていくのを追っていくと、たどりついたのはさっきのバイパスだった。
「ありゃ~……」
小さく見えるのは、さっきの2人だ。壁を挟んで、1ミリたりとも動いていない感がある。
ケンカもここまで来ると、怖い。
「本当は、許し合ってるのに」
メルがつぶやいた。
「え……?」
何でそんなことが言えるのか分からない。でも、メルは僕の疑問にはそれ以上答えなかった。
代わりに、その唇からは静かな歌が漏れる。
許せないと思うとき
何か言葉がほしいとき
心の壁を乗り越えて
許してほしがっているのは
あなたなんだから
「あ……!」
僕はとっさにカメラを構えた。
男が、壁のてっぺんに手をかけたのだ。懸垂でもするようにぴょんぴょん跳ねている様子は、かなり情けない。
でも、とうとう足までも壁の上に持ち上げた男は、その向こうへと転げ落ちる。
チャンス!
シャッターは、間に合った。
2時間後、次のバスが最寄りの停留所に着く前に、やっぱり混み合うバスの中でメルに尋ねてみた。
「どうして、あの2人が許し合ってるって分かったの?」
即答された。
「あの場にまだいたからです」
そういえば、そうだ。
納得した僕は、バスが止まるとすぐ、席を空けた。
「あれ……?」
降りるかもしれないと思ったメルは、そこにはもういなかった。
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