夏とワンピースをめぐる冒険

兵藤晴佳

第1話 メルとの出会い

 ここに、5枚の写真がある。高校の文化祭で写真部の展示作品として、この夏の最後の5日間で、1枚ずつ撮った写真だ。

 その1つ1つにまつわる出来事を、これから物語るのは僕……小平こだいら統也とうや2年生だ。


 最初の1枚は、夏の空を背景に撮った、ひとりの少女の写真だ。

 白い帽子を斜めにかぶり、銀色の長い髪をなびかせた白いワンピースの少女。

 名前は、メル・アイヴィーという。年齢は知らない。

 写真を見れば分かるが、同じ目の高さで撮ってある。ちょっと写真が傾いでいるのは、三脚なんか使わないで、会ってとっさに撮ったからだ。

 この辺から僕の身長が知れるが、別に低いとは思ってない。彼女の身長が高めなのだ。

 声をかけて振り向いたところを撮ったわけだけど、一応は謝った。

「すみません、気になったもので、つい……」

 写真ったってデジカメだから、ダメが出たらデータなんかすぐ消せる。

 でも、彼女は一言答えただけだった。

「どうぞ」

 目を伏せたのを見ると、恥ずかしかったのだろうか。やっぱりデータ消そうかなと思ったけど、お言葉に甘えて、やめた。

 惜しかったのだ、この画像を処分するのが。

 編みこんだ銀髪は淡い緑色のリボンで括られ、黒のチョーカーが首筋の白さを際立たせている。

 瞳は、碧い。外国人の血が流れているのかもしれない。

 じっと見つめてそんなことを考えていると、まっすぐに見つめ返された。

 妙な間ができて、慌てる。

「あの……どちらまで」

 初対面の相手に間抜けたことを聞いたものだ。でも、独りで夏のバス停に立つこんな美しい少女が、ひとりでどこへ行くのか。実際に、興味はあった。

「いえ、ちょっと、そこまで」

 答え方がとんちんかんだったのは、急に立ち入ったことを聞いたせいか、それともただ単に日本語が不得手だからなのか。

 そこでまもなく、お目当ての長距離バスがやってきた。乗り込もうとしたら、この少女の肌が僕の腕に触れた。

 ゾクっときた。いや、別にスケベな意味じゃない。日常とは違う何かがそこにある、そんな感じだった。

 レディファーストってわけじゃないけど、僕が譲った。

「どうぞ……」

「どうも……」

 眉ひとつ動かさずに、彼女は先に乗り込んだ。後に続いた僕は、その銀髪が揺れる華奢な背中に囁いた。

「整理券……!」

 背筋がぴくっと緊張したが、しなやかな指がそれを取る様子はない。代わりに取ると、彼女はそそくさとステップを登った。僕は自分の分も取って、後に続いた。


 実際、9月の頭にある文化祭まであと1週間を残すのみとなって、僕は慌てた。

 写真部の発表会に向けて、何にもしてない。

 だいたい高校2年生の夏休みを、真面目に写真なんか撮って暮らせというのが無茶な話である。

 じゃあ写真部なんか入らなければいいのだけれど、そうもいかなかった。

 学力も体力もそこそこまあまあの僕が、高校生のくせに何もしていないと何かとまずい。休みのたびに、ボランティアをやれだのなんだの、うるさいことを親や教師にガタガタ言われることになる。

 そんなわけで、僕が選んだのは写真部だった。

 特に、決まった活動日はない。いい写真が撮れたと思ったら、顧問のところに持って行って、本当に出来が良かったら展覧会に出してもらう。それだけだ。

 ただし、文化祭の発表会は別だ。これにまで作品を出さなかったら、部員とは認められない。親と教師にバレた後は、もう言うまでもないだろう。

 そんなわけで、僕は10年前、小学2年生のときに離れた町へと日帰りの撮影旅行に向かうことにしたのだった。 

 その街のことは、ほとんど覚えていない。ただ、たまに思い出すと。何か大切なことを忘れているような気になることはある。


 さて、バスで少女の隣に座ったのは、スケベ根性などが理由ではない。確かに、バスが揺れるたびにその身体が触れて、柔らかさといい匂いにドキドキしたことは事実だ。でも、隣に座らなければならないくらいバスが混んでいたこともまた事実だ。そうでなかったら、整理券だけ渡して別の席に座っていただろう。

 彼女は、どうだったろうか。

 初対面のパッとしない高校生男子が隣で……たぶん、息は荒かったと思う、ドキドキしていたから……頬を熱くしていたわけだけど。

 僕から顔を背けていたのは、嫌悪感からじゃないと思いたい。ただ、窓の外を見つめていたから、その表情はよく分からなかった。

 ときどきトンネルの中で窓に映る顔は、どこか遠くを見ているようだった。全てを見透かしているかのような、だからといってどうするというわけでもないような視線の中に、どこか終わりかかった夏の倦怠に似たものが感じられた。


 やがて、バスが停留所に止まると、何人かが降りていった。離れて座ろうかとも思ったけど、その度に同じ人数が乗ってきて、僕は機会を失った。

 窓の外では、眩しく光るのにどこか疲れた感じの山々や川の流れが飛び過ぎていく。

 しばらくそんなことを繰り返しているうちに、バスは終点に着いた。僕が席を立つと、彼女も続いた。外に出た僕は、彼女がどうするのか気になって振り向いた。

 ブルーの瞳が、じっと僕を見つめている。

「あの……ここ、どこですか?」

 そこで初めて気付いた。僕が席を移動しなかったから、立つに立てなかったのだということに。

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