魔力の壁part1

  ○  ○  ○





「ちょ、ちょっと、セリア姉……本当にこっちで合ってるの?」





 幌馬車の小窓から前を確認しながら、ララはバータルの手綱を握るセリアに尋ねる。





 まるでひと気のない、崖地帯。空は既に濃い藍色に染まっていて、高い崖に囲まれた周囲は既に夜の闇に包まれている。





 ここまで来る途中に誰かとすれ違うこともなかったし、小さな集落が周囲にある気配も全くなかった。本当に、こんな所にハルトがいるのだろうか?





「……セリア姉?」





 返事がない? どうしたんだろう? と訊いてみると、セリアは厳しい表情で言った。





「……おかしいわ」


「何が?」


「確かに、今までこっちのほうに気配がしていたのに……急に何も感じなくなったの」


「おいおい、まさか道を間違えたってことか?」





 バータルが速度をやや緩めながら、こちらへ目を向ける。





「いいえ、たぶん道は合っていると思うのだけど……」


「……ん?」





 足を止めかけていたバータルが、ふと何かに驚いたような声を上げた。





 すると、前方、灯り一つない闇の中から、バータルとは違う蹄の音――どうやら一頭の馬の足音が聞こえてくることにララも気がついた。





 旅人だろうか? それとも……。





 ララはセリアと目を見交わし、腰の剣に手をかける。バータルも警戒するように道の脇へとやや進路をずらす。





 と、やがて闇の中から現れたのは、一頭の白い馬――エクス族だった。だが、それは妙だった。乗り手がいないにも拘わらず、馬はその背に鞍をつけていたのだった。





「……妙だな」





 バータルが呟く。





「アタシもそう思う。何か怪しくない、セリア姉?」


「ええ、そうね。――バータルさん、あの馬がどこから来たか……ニオイは辿れないかしら?」


「愚問だな。オレ様の嗅覚をナメてもらっちゃ困るぜ」





 そう言うと、バータルは駆ける速度をわずかに上げる。





「ニオイを辿れるのはいいけど、もっとスピード出せないの? これじゃアタシが自分で走るのと同じじゃない」


「無茶言うなよ。どこに岩が転がってるかも解らねえんだ。馬車をひっくり返しちまっても構わねえなら、もっと飛ばしてやるがよ」


「こんな時にハルト君がいてくれれば……」





 セリアがぽつりと呟く。





 そんなことをいま言ったってしょうがない――





 思わずそう言いそうになったが、セリアだってそんなことは解り切っているだろう。解り切った上で、切実にそう言っているのだ。





確かに、今、ハルトのスキル・《夜目》や、周囲を強烈な白い光で照らし出す白魔法ライトがあれば、どれだけ助かることか。ララは小さく溜息を漏らし、





「認めるのは少し癪だけど……アイツ、戦いの時だけじゃなくて……本当にどんな時でもアタシたちのこと助けてくれてたのよね」





本当に大切なものは、失ってから気づく……。よく聞くそんな言葉が、今は痛切に感じられるような気がした。





 ――アタシ、いつもアイツに冷たくしすぎてたかも……。これからは、もうちょっと優しくしてあげようかな……?





そんなことを思っていると、バータルがふと足を止める。





「この先だ」





 そう言ってバータルが頭を向けるのは、崖に挟まれた脇道である。馬一頭ならば問題なく入っていけるだろうが、幌馬車ごと入って行くのは難しそうだ。





「……ここからはアタシたちだけで行くしかなさそうね」





 ええ、とセリアは頷いて、馬車を降りる。





「バータルさん、何か危ないと思ったら、すぐに逃げてくださいね」


「ああ、オマエらも充分注意しろよ」





バータルと頷き合って、ララとセリアは細い脇道へと向かって足を向けた。





 馬車に積んでおいたランプで周囲を照らしながら、ララが先を歩いていく。





『ハルト、いるの?』





 どこに敵が潜んでいるかも解らない暗闇への恐怖から、そう声を上げたくなる。が、ララはその衝動をぐっと堪える。





 まだ相手がこちらの気配に気づいていない可能性もあるのだ。わざわざ不意打ちのチャンスを逃すなんて悪手以外のなんでもない。





「……? ねえ、セリア姉、見て」





 そう言って、ララはランプの仄暗い光を少し先ヘと向ける。





 そこには、ぽっかりと空いた広めの洞穴。身を隠すには持ってこいの場所である。





「待って、ララちゃん」





 ララが腰の剣を抜いて刺突の構えを取りつつ、洞穴の中へと足を踏み入れようとした矢先、セリアがララの肩に手を置いた。





「何か……魔力を感じるわ」


「魔力?」


「うん……まるで隠されてるみたいに弱いけど、確かに」





 セリアはララの前に出て、洞穴を満たす真の暗闇へ向けて右手をそっと伸ばす。そして、





「壁が、ある……?」


「壁……?」





音の反響する感覚からは、すぐ目の前に壁があるとは全く感じない。試しに、ララは剣を先ヘ伸ばしてみる。が、何かにぶつかるような感触などやはりない。





「壁なんて……どこにもないけど?」


「……いえ、あるわ」





 その言葉の通り、まるで壁に触っているように右手をピタリと静止させながら、セリアは確然と言う。





「普通は触れない、巧妙な魔力で作られた壁……。きっと、ハルト君がいるのはこの中よ」

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