アルバの森part2
森の中に突如、断崖が姿を現して、路は先程からその間を進む形となっていた。つまり、上からこちらが見下ろされる危険な場所である。
なのに、俺は男の本能に抗えず、そこにある谷をむしろ見下ろしてばかりいた。
だから、直前まで気づかなかった。
気づくと後ろから足音がして、
「おい、危ねえぞ!」
背後から駆け寄ってきていたベランジェが、セリアさんの腰に腕を回してその身体を持ち上げ、後ろへと引き戻した。直後、
ドゴオォォォォンッ!
前を歩いていたララと俺達との間に、凄まじい衝撃音を立てて人よりも遥かに大きい巨岩が落ちてきた。
セリアさんがベランジェの腕を振り解き、すぐさま岩に駆け寄る。
「ララちゃん!? ララちゃん、大丈夫!? ララちゃん!?」
「だ、大丈夫! アタシは無事、ケガもない! セリア姉は!?」
ほっ……とセリアさんが胸を押さえながら息を吐く。
「よかった……。ええ、こっちも大丈夫。わたし達ふたりも無事よ」
「そう……」
と、ララも安堵した様子で、
「じゃあ、まずはどうにか合流しないと……。地図を見る限り、路を西に迂回するのが一番よさそうだけど、それでいいわよね?」
「ああ、構わないぞ! こっちは俺に任せておけ!」
とベランジェは返事をするが、
「誰よ、アンタ? アタシはアンタなんかには何も言ってないわ」
ララはそう言って早速、先へ進み始めたらしい。
実際、コイツに助けられた部分もあるのだから無視するのは可哀想な気もするが、まあ普段の行いが悪かったということで許してくれ。
「行きましょう、セリアさん。まずは一つ前の分かれ道に戻って」
セリアさんだけに聞こえるような声で俺が囁くと、セリアさんは無言で頷いて路を戻り始める。すると、
「おいおい、待てよ」
ベランジェが追ってきてセリアさんの肩に手を伸ばすが、
「イッ……!?」
俺がその手を小さな電撃で追い払う。意味もなく触ろうとするんじゃねえ。この俺でさえ、今後はセリアさんへのセクハラを減らすかどうか検討中だというのに。
「さ、流石はエルフの血を引いてるだけはあるな。さっきの幻も、セリア、お前がやったんだろ? 見事に騙されちまったぜ」
「…………」
セリアさんは目をやや俯けて、真っ直ぐに前だけを見つめながら歩く。
当然だ。森の中でこんな男と二人きりになるなんていうのは、女性にとっては恐怖以外の何ものでもないだろう。
でも、安心してください、セリアさん。今は俺が傍にいます。絶対に、どんな危険からも守ってみせます。
「そう無視するなよ、今は二人だけの同行者だろ? 俺は、たまにちょっとしたクエストでここに来るから、路も詳しいんだ。――こっちに近道がある。ついてきな」
言って、ベランジェは茂みへと入って歩き始める。
「……どうしよう、ハルト君?」
俺は少し考えてから、
「ここには危険なモンスターが潜んでいます。だから、俺達は一刻も早くララと合流しなきゃいけません。つまり、アイツを撒くためにわざわざ時間を割いている暇はありません」
「……そうね。彼も一応、ララちゃんの向かった方向に向かってるみたいだし……ここはついていくのがいいのかしら」
「はい。それに、もし何かあっても大丈夫です。俺が傍にいますから」
「……そうね。ええ、解ったわ」
微笑んで、セリアさんはベランジェを追って茂みへと入る。
「でも、気になることが」
と、俺は小声で言う。
「気になること?」
「さっきまで、ベランジェの後ろには二人の連れがいましたよね? ヤツらは一体どこに行ったんでしょうか?」
もしかして、さっきの落石は……。
「なあ、セリア」
と、ベランジェが不意に足を止めてこちらを向いた。
「邪魔者もいなくなったことだしよぉ、二人で『イイこと』しようぜ」
「え……?」
「おっと。無理強いするつもりはねえから魔法はやめてくれよ。俺はあくまでお前に提案してるだけだ」
提案だと? 何を言ってるんだ、コイツは?
家で見せたのと同じ――脅迫するような冷たさを目に宿した笑みを浮かべて、ベランジェはセリアさんを見下ろす。
「俺はよ、セリア。クロエを失ってから、ずっと傷ついたままなんだ。気づくとアイツのことばっかり思い出しちまってよ、胸が痛えんだよ。だから、なあ……そんな俺を癒してくれよ」
「…………」
「お前だって、ずっと気にしてるんだろ? どうにか償いたいと思ってるんだろ? それなら、あのことで一番傷ついてる俺を――アイツの兄である俺に償ってくれよ。そうすれば、お前だって少しは楽になるはずだぜ?」
言いながらセリアさんに迫り、セリアさんは怯えた様子で後ずさって、やがて壁際に追い詰められるようにして木の幹に背を預ける。
ベランジェの妹……クロエ? 償い?
一体なんのことだ? セリアさんとコイツの間に……コイツの妹との間に、過去に何かあったのか?
俺には全く解らない。だが、セリアさんがコイツに負い目を感じてることだけは間違いなさそうだ。
だが、だからといってこんな償い方なんてものはない。弱みにつけ込まれて何かを差し出すなんて、そんなものは償いじゃない、隷属だ。それでセリアさんの心が救われることなんて、あるはずがない。
やるか――
やはりさっきの落石は、セリアさんを一人にすることを目的としたコイツら一味の仕業だろう。もう様子を見る必要はない。セリアさんの許可はないが、ここは――
「!?」
ふと妙な気配を感じて視線を上げて、俺は思わず声を上げそうになった。
ブフーッ、ブフーッ……!
という、木が揺れ動きそうなほどの鼻息が、ベランジェの頭上から降り注ぐ。
その気配に気づかないはずがなく、ベランジェはギギギと首を軋ませるようにして背後を仰ぎ見る。
と、そこにいたのは、荒い鼻息を立てながらベランジェを睨み下ろす巨大な黒馬であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます