兜に生まれ変わってよかった
「う……酔いそう」
カゴの中でしばらく揺られ続けていると、なんだか目が回ってくる。
まあ実際に酔うことはないし、酔いが限界に来たところで吐き出す物もないんだが……。
『アクセプト』
スキル 《神層学習》発動。
『スキル 《振動無効》をダウンロードしますか?』
「できるのか? じゃあ、頼む」
『スキル 《振動無効》――ダウンロード成功』
「おお」
確かに、何も感じなくなった。視界は今までと同じく揺れているのだが、それに対する不快感がパタッと止んだ。スイッチ一つで感覚をオン・オフにできる、まさにそんな感じ。
「何を一人でブツブツ喋ってるのよ」
「いや、ちょっと俺の中にいる誰かと――って、お? 町か?」
カゴに丸く切り取られて見える青い空に、城壁の門らしき石造りの天井が数秒、よぎった。
「そうよ。ここがあたしの住んでる里さと、サーマイズ」
「サーマイズ……? 聞いたことがない町だな」
「細かく言うと、町じゃなくて里よ。この国では人が多い順に、郡ぐん、郷きよう、里りと集落は区分されていて、ここは一番下の里」
「へえ……」
この世界の元になった、あるいはこの世界に導かれて作られたらしい『ダーケスト・ヘヴン』を月に二百五十時間以上プレイする俺である。
そんな俺に知らない町――いや、里など存在しないはずなのだが……『サーマイズ』などという里の名は聞いたことがないし、郡郷里という区分も全く知らなかった。
イベントに全く関係ないから省略されていたのか、あるいは……。
「ん? 着いたのか?」
ララがピタリと足を止めた。それでそう思ったのだが、その矢先、何やら不穏な会話が聞こえてきた。
おそらく傍にある家の中から。声は女性一人と、ガラの悪そうな男二人。
「ですから、そんなことを急に言われても……」
「別に急にじゃねえだろ? 借金はずっと前からしてんだからよ」
「でも、今月の支払い分はちゃんと払ったばかりですし……」
「それでもまだ残りがあることには変わりないだろ? 別にいいんだぜ、払えないなら払えないで。代わりに、アンタと妹は家なしになっちまうかもしれねえけどよ」
「はあ……。でも、今月分を払ったと安心してしまって、色々と入り用の物を買ってしまったばかりで……本当に全くお金がないんです」
「ないならないで、作ればいいだろ? その身体で稼ぐとか……もしくは、誰か肩代わりしてくれそうな人に頼んでみるとかよ」
「そういうわけだ。まあ、待ってやって三日だな。三日後にまた来るぜ。その時までに用意しとけよ」
イスから立ち上がるような音がして、それからすぐ近くで扉の開けられる音。すると、
「よお――って、ゴミ拾いかい? 流石は冒険者様、精が出るねぇ」
男はイヤミたらしく言って、その連れと共に去っていく。
「ララ……? アイツらは……」
ララは何も答えず、気持ちを落ち着けようとしているのだろうか、その場にじっと佇む。
だが、やがて決意したように歩き出し、扉を開けて家へ入る。
すると、ぽわわんとした暢気な声で、
「あら、お帰りなさい。ララちゃん」
「セリア姉、なんでヤツらがまた来てるの?」
「さあ、どうしてなのかしらねぇ……? 今月分はちゃんと払ったばかりなのに……。もう払ったことを忘れてしまったのかしら?」
「そんなわけないでしょ。っていうか、セリア姉! なんであんなヤツらにお茶なんか出してるのよ!」
「だって、お客様だもの」
「客じゃないわよ、借金取りよ!」
「そうか。やっぱり借金取りか……」
「あら……? 今、なんだか男の人の声がしたような……?」
ララは「はぁ……」と重く溜息をついて、
「こんな大変な時に、なんでアタシもこんなの拾って来ちゃったんだろ……」
背中からカゴを下ろし、絶対に俺には触りたくないらしい、木の枝で俺を持ち上げて床に置く。
「いま喋ったのはコイツよ。――ほら、セリア姉に挨拶しなさいよ」
「あ、初めまして。俺、ハルトって言います。よろしくお願いします」
「あらあら、ご丁寧に……ハルトさん? 変わった格好をしているんですね」
そう言って、床に膝を下ろしてこちらを見下ろしたのは、紛うことなきエルフ族の女性であった。
白い肌に、腰ほどもある金色の長い髪、青い瞳、尖った耳。柔和な顔立ちと、そして何より、その巨大な胸のふくらみ。
間違いなく、俺が長年、出会うことを夢見てきたエルフ族の女性だった。が、
「でも、あれ……?」
改めて、二人を見比べる。
あんまり……似てないな。
タレ目気味のセリアと、ツリ目気味のララ。豊かすぎるほど豊かなふくらみをお持ちのセリアと、ほぼ絶壁のララ。お淑やかな雰囲気のセリアと、何かとイライラしているララ。
それにそもそも、エルフとダークエルフ、種族が違う。
この二人、本当に姉妹なのか?
ララが、ムッとしたような顔で訊いてくる。
「何よ?」
「いや、姉妹って言う割には、あんまり似てないような気がするな、と……」
肌の色もそうだが、特に――胸が。
「アンタ……どこ見て言ってんのよ! 踏みつぶすわよ!」
「な、なんでどこ見てるのか解るんだ!? まさか、俺には目があるのか!?」
「ないわよそんなもの。あったら、流石に気持ち悪過ぎて拾ってきてないわよ」
「そ、そうか……っていうか、そうだ、頼む! 俺に、俺の姿を見させてくれ! この姿になってから、俺は自分を見たことが一度もないんだ!」
「まあ、可哀想……」
セリアはそう言って、色々なモノで汚れた俺の身体を躊躇いなくその手で持ち上げた。
そして、基本的に木で作られているらしい年期の入った家を奥へと入って行って、とある部屋の中にあった姿見の前に立った。
白いワンピースの上にベージュのベストを着た、オーソドックスな町娘風の服を着た美女――セリアに思わず目が行ってしまうが……いや、今はそれどころじゃない。
我に返って、自分へと視線を向ける。
「これが……俺?」
カッコいいじゃん。
思わずそう思ってしまったのはゲーマーの本能か。
だが、少年の心を忘れていない人間なら、誰だって思わず心が動くようなデザインであることは自負できる。
基本は重厚な暗銀色である。
顔の全面は大きく開いているが、後頭部、側頭部にかけては首を守るようにやや広がりながら伸びている全体的なデザイン。
両手の指を合わせたように中央は尖っているが、鉄鋲などはなく綺麗な一枚板だ。そして縁には、薄く白銀色のラインが入っている。
だが、最も目を惹くのは両の側頭部から生え出し、やや前方上へと向かっている二本の黒いツノだ。それは、まるで相手を威嚇する雄牛のツノのように雄々しく、勇ましい。
漢だ。漢のデザインだ……!
そう感動しながらセリアさんに礼を言って、先程の部屋――リビングへと戻る。と思いきや、セリアさんはキッチンへと入って行く。
「キッチン? って、もしかして……」
「そうですよ。これから綺麗にしてあげますからね」
「それはつまり、セリアさんが俺の身体を洗ってくれると……?」
「隅々まで……中までキレイキレイしましょうね」
「な、中まで……? ちょ、ちょっと待ってください、セリアさん! 洗ってくれるのは非常にありがたいですが、まだ心の準備が……!」
「うふっ。大丈夫ですよ、優しくしてあげますから」
「や――ちょっと、あっ……!」
俺は俺の中に手を突っ込まれ、手だけでなくタワシまで突っ込まれて、石鹸を使ってゴシゴシと洗われてしまった。
スキル《感覚遮断》、あるいは《物理属性ダメージ無効》を使えば何も感じずにやり過ごせたのだが……そんなもったいないことができるか。
俺はエルフ美女に全身を――そそり立つツノまで洗われる感触を、大いに楽しんだのであった。
ああ、兜に生まれ変わってよかった……。
なんて――単純すぎないか、俺?
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