第191話

 汀怜奈が、震災の被災者を優しく抱いている姿、後に伝説となった病院コンサートで、ギターを抱えている姿、そしてウェディングドレスで佑樹に抱かれながら、幸せそうな笑顔で教会を出る姿。


 ほぼ一日半で起きたこれらの画像が、瞬時にインターネットを通じて世界に拡散した。それをデスクのPCで見たDECCAのエージェントは、頭をかかえる。

 全く事態が把握できず、殺到するプレスの問い合わせに対応できないのだ。初めてのポートレイトを撮った翌日に無断で髪を切った時から、このアーティストは一筋縄ではいかないことは、分かっていたのだが…。

 エージェントは溜息とともに、あらためて彼女との契約事項について、抜本的な見直しが必要だと実感していた。



 七年の月日が経った。



 ここは日本。湘南の海の見える高台に構えた家の庭で、1歳半の女の子が、祖父らしき人物に見守られながら花を摘んでいた。


「凪」


 ギターの練習を終えた汀怜奈が、部屋から声をかける。もちろん凪は佑樹とのあいだに生まれた愛娘である。汀怜奈はヨーロッパツアーから帰国し、久々に自宅で過ごしているのだが、自宅での休暇であろうがギターの練習を欠かさない。

 天才といえども、そういう姿勢があるからこそ、彼女はいつまでも世界的トップアーティストとして君臨し続けられるのだ。


「庭にいるよ」


 答えたのは佑樹の父である。


「あら、アブエロ(スペイン語でおじいちゃん)。いらしてたのですか」

「ああ、寄らせてもらったよ」

「凪に会いに、毎日のように通っていらしたのに、最近お顔を見ていないって佑樹さんから聞いて…心配していました」

「うん、ちょっと野暮用があってね…でも、用事は済んだから、また通わせてもらうよ」

「本当にひとりでなにやってんだか…まさか、人に言えないような事してないだろうな」


 佑樹が家に隣接するギター工房から、組み立て中のギターを担いで出てきた。


「失礼なこと言うな」

「凪ちゃーん」


 今度はブランドのプレタポルテに身を包んだ汀怜奈の母が、庭の木戸門から顔を出し、凪を抱き上げた。


「あらあら、今度は意外なところからアブエラ(スペイン語でおばあちゃん)の登場ですね」

「玄関で呼んでも誰も出てきてくれないから、直接きちゃったわよ」


 凪を下ろしながら、不満顔で言う母親。

 4人は、海風が渡る庭のガーデンチェアに座って、花摘みに忙しい凪を優しい笑顔で見守った。

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