第187話
「自分もグラナダでギター作りを学びながら、ずっとそのことを考えていました。いったい『凪の海』のようなギターってどういうことなのか…」
「お分かりになったんですか?」
「いえ、未だに正解は得ていないんですが…ただ『凪の海』ってどんなだろうって想像してみたんです。先輩も想像してみてください…」
汀怜奈は、目をつぶったまま、上を向いた。
「静かで、穏やかで…きっと音といえば、かもめの鳴く音、船の切っ先が風を切る音だけ。海自体は何の音も立てることはない。そんな雄大で優しくそして寛容な海を目の前にしたら、人間ってどうするでしょうか」
汀怜奈の手を握る佑樹の手に力が入った。
「きっと自分だったら、口に出せずに心の奥底にしまっていた想いや、願いや、悲しみを、海に向かってぶちまけると思うんです」
汀怜奈はインスピレーションを得たように目を見開いた。
「『凪の海』のようなギターとは、その雄大で優しく、そして寛容な音で、聴く人の魂の声を引き出すものだと…」
「もちろん、ギター自体にそんな力などあるはずもありません。先輩がじいちゃんに弾いてくれたあの演奏。あれはすばらしい演奏でした。自分が弾いたときは何の声も聞こえませんでしたが、先輩が引いてくれたときは確かに、じいちゃんとばあちゃんの話す声が聞こえました」
「わたしもです」
「今までギターとギターを演奏するものが、語り、声を出すのだと思っていました。そうではなくて、聴く者たちが、そのギターの音色と演奏を聞いて、自分たちの本当の心を見いだし、そして語り始める」
「その時に…その時に聞こえてくる声が、ロドリーゴ先生がおっしゃっていた『ヴォイス』?」
今度は、汀怜奈が痛いくらいに佑樹の手を握り返してきた。
「痛てっ、せ、先輩…自分にはそんな高名な先生と天才ギタリスタのやりとりなど到底理解できませんが…どうも魔法はかかったようですね。さあ、天才ギタリスタ、自分が修理したこの橋本ギターを持って、ステージへいってらっしゃい」
汀怜奈は、佑樹に促されて立ち上がった。そして橋本ギターを手にゆっくりとステージへあゆみはじめる。佑樹は、そんな彼女の背に向かって魔法の仕上げをほどこす。
「ちなみに、修理してわかったんですが…その橋本ギター、トップ板の裏に貼ってあった札をよくよく見ると…『ストップ』と書いてありました。じいちゃんが趣味で作ったギターだけど、橋本師匠が工房のギターと認めてくれて、メーカーラベルを貼ってくれたんでしょう」
汀怜奈の瞳にもう迷いはなかった。
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