第179話

 汀怜奈は、包帯を巻きなおそうと老婆の腕をとったが、包帯はすでに汚れきっており替えたほうが良さそうだ。


 枕元に真新しい包帯があったので、新しいものに巻き替えることにした。しかし、汀怜奈が包帯を扱う手がなぜか震えていた。こんなにも多くの名も無き市民が、地震の被災者となっていることに、彼女はショックを受けていたのだ。うめき声、出血した血の匂い、付き添いする家族の嘆き。それが、汀怜奈の胸にのしかかってきた。


 手が震えて包帯がうまく巻けない。汀怜奈の目に、涙が滲んできた。世界的な天才ギタリスタと呼ばれ、美しい音楽を奏でるこの手。それが被災して苦しむ人々、いやたったひとりのこの老婆の前で、何の役にも立たないではないか。それが、悔しくそして情けないのだ。


「先輩、なんか包帯とモメゴトですか?」


 久しぶりの日本語で名前を呼ばれた汀怜奈が振り返るとそこに、笑顔の佑樹が立っていた。


 なぜそんな行動に出たのか、あとになっても汀怜奈は説明ができないのだが、我慢していた涙がどっと溢れ出し、佑樹に抱きついて声をあげて泣き始めたのだ。佑樹の顔を見て安心のあまり、張り詰めていた気持ちが緩んだのだろうか。


「先輩、先輩…どうしたんですか」

「えっ、えっ…。私…手がうまく動かないんです。えっ、えっ…」

「見知らぬ土地で、大震災でしょ。手が動かないのも当たり前ですよ。ほら、こんなところで泣くのはやめて…」


 佑樹は、優しく肩を抱いて汀怜奈の頭をなぜながら慰めた。


「先輩、お婆さんが待っていますよ。包帯を貸してください」


 佑樹は汀怜奈が落ち着いてきた頃を見計らうと包帯を受け取り、素早くそして綺麗に、老婆の腕に巻き始めた。汀怜奈は、その様子をじっと見つめていた。


「佑樹さんの手…やっぱり器用ですね」

「なに言ってんですか、ギター弾く手は下手だと見限ったくせして…」


 佑樹の言葉を聞いて、泣き汀怜奈の顔が笑顔に変わった。グラナダの老婆は、汀怜奈に包帯を直してもらおう声をかけたのはいいが、わけのわからぬ言葉で話しながら、コロコロ変わる汀怜奈の表情と展開についていけず、唖然としたおももちでふたりをみつめている。


「佑樹さんは、なぜここにいらっしゃるの」

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