第177話
『確かに、佑樹さんでしたわよね…だって、私の名前を呼んでらしたし…』
汀怜奈は、佑樹が去っていく後ろ姿を見送ると、小走りにホテルの部屋に戻って、ベットの上で枕を抱えた。なぜか顔が赤くなっている自分が不思議だった。
地震との遭遇と思いがけない佑樹との再会。驚くことばかりで、汀怜奈はどうも頭の整理ができないようだ。
部屋の電話が鳴った。フロントから汀怜奈の問い合わせの返事がやっと来たが、この地震で、グラナダの交通網は完全にストップしてしまったとのこと。どうも、2~3日はこのホテルから動けないようだった。
しかし、現実を示したホテルからの電話は、汀怜奈の頭を冷やしてくれた。多少、物事が冷静に考えられるようになってきたのだ。
汀怜奈は、曲がりなりにも世界的なギタリスタである。この足止めで心配をかけたり、迷惑をかけてしまう人々が大勢いる。彼女は自分が取るべきタスクリストを作り上げると、ひとつひとつやっていくことにした。幸い、通信網は遮断されていないので、マネージャーや事務所や母親に連絡をとって、非常事態へ対処した。
ひと通りのタスクを終了させると、なんだかお腹が減ってきた。そういえば、今朝の地震があってから、何も口にしていない。ホテルに問い合わせると、ルームサービスは無理だが、ダイニングサロンに来てくれれば、食事は準備できるとのこと。
部屋を出てサロンの席に落ち着き、遅い朝食をとっていると、再び自転車にまたがる佑樹の姿が目に浮かんできた。
『明日に帰ってくるって、おっしゃっていたのに…いつ帰って来られたのかしら…でも、子犬のような少年だった佑樹さんが…あんなに男っぽくなるなんて…無精ひげのせいかしら…でも今度あったら言ってさしあげよう、不精ヒゲ剃りなさいって…だってあれでは…グラナダ中の娘さんたちが言い寄ってくる…佑樹さんは人を信じやすいから…きっと悪い女性に振り回されてしまうに決まってるわ』
汀怜奈は、チュロスをちぎって口に入れながら、いつまでも佑樹のことを考えていた。
「失礼ですが…」
汀怜奈の妄想は、警察の制服を着た男に遮断された。男は英語で話しかけてきたのだ。
「はい?」
「あなたは、日本の方ですよね」
「ええ」
「スペイン語は話せますか?」
「多少なら…」
「誠に申し訳ないのですが、コミュニケーションボランティアとして、市の病院へ来ていただけないでしょうか」
「コミュニケーションボランティア?」
「日本の旅行者の方が大勢ケガをされて病院にいらしているのですが、通訳の方が足りなくて…」
もちろん汀怜奈が断るわけがなかった。
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