第164話

汀怜奈が焼香を終えて、家族の前に進んできた。家族が礼をすると、汀怜奈はいきなり帽子とウィッグを外した。


「えっ、もしかして先輩?」

「はい、おとうさま…。このたびは本当にお悔やみを申し上げます」

「先輩って…どういうこと」


 驚くヤスエに汀怜奈が向き直って笑顔で挨拶した。


「はじめまして。ヤスエさまですね。お話しはよくおじいさまからお聞きしています」

「はい?父から?私のことを?」

「すみません。僕のことは聞いてません?」


 美人の汀怜奈の参入に、彼女ナイ歴の長い長男の泰樹が割り込んでくる。


「ああ、佑樹さんのお兄様ですね。お写真で拝見させていただきました」

「佑樹さんって…じゃ佑樹の知り合いなの?」

「はい…」

「先輩はな、佑樹のギターの先生で、おじいちゃんが亡くなる前に、寝ている横で美しい曲を弾いてくださったんだぞ」

「村瀬汀怜奈さんが?あの天才ギタリスタの?」


 驚くヤスエに微笑むと、汀怜奈は佑樹の父親に向き直る。


「その節はいろいろお世話になりました」

「いや、こちらこそ…しかし、先輩がこんなに綺麗な女性だったとは…」

「ええっ、ヤスヒデ、いままで村瀬さんを男だと思ってたの?」

「ああ、たぶん佑樹だって女性だとは思っていなかったんじゃないか」

「あんたたち、本当に馬鹿ね。それでお父さんは?」

「おじいさまは、私が女であることは察しておられました」

「そうなんだ…」


 まじまじと汀怜奈を見つめる佑樹の父。好奇の目で見つめるヤスエ。そして、あきらかにお近づきになりたい下心が丸見えの目で見つめる泰樹。汀怜奈は少し照れくさくなって彼らに聞いた。


「佑樹さんはどちらに?」


 三人が一斉に汀怜奈の背後に視線を移した。視線に誘われて振り向くとそこに佑樹が立っていた。驚きとか、怒りとか、敬愛とか、相反する複雑な感情が織り交ざると、人間の顔は無表情になる。佑樹の表情はまさにそんな無表情を呈している。


「佑樹さん。あの…」


 佑樹は、汀怜奈の言葉を待たずに外へ飛び出していった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る