第150話
翌日から泰滋は、橋本のギター工房へ週三日のペースで通うことになる。
泰滋の手伝うパートは、ギターの材料となる木材の乾燥度のチェックだ。橋本から示された木材の音と乾燥室に並ぶ木片との音の違いを比べることによって、加工にふさわしい乾燥度になったかを確認する。さらにニカワで圧着されたギターが、次の工程に進んで良いかの判断としてニカワの乾き具合も音でアドバイスすることもある。
泰滋はギター工房で木材に囲まれていると、木を削る細かいホコリは舞っているものの、その香りと温かみは、彼の心を落ち着かせてくれるような気がしていた。幾日か経つと、工房の職人さんたちとも慣れてきて、ギターが作られる工程をまじまじと眺められるようになった。そして彼は、ギターの製作工程が、大きく分類すると、乾燥、加工、組立、塗装、仕上げの工程であることに気づいた。
乾燥。将来的に狂いの少ない安定したギターを作るためには、しっかりと乾燥した木材料が必要だ。
聞くところによると、乾燥に二十五年もかけることもザラだそうだ。橋本ギター工房では、海外から仕入れた乾燥木材を、日本の国内でしっかりと長期間自然乾燥させることで、日本の気候に合ったよい音の出るギター作りを手がけている。
しかし、ここでなにも百万もするようなギターをつくろうとしているわけではない。名演奏家の手に渡るよりは、手作りながらより多くの人がギターに親しんでもらえるような大衆的な楽器作りを目指していることは、素人の泰滋でもわかった。
狂いのない、良い音の出る、買い求めやすいギター。そのためには、仕入れた木材のどの乾燥段階で加工を始めるかが重要で、橋本師匠は、その見極めに苦労していたようだった。
加工。ここからは、職人技の発揮できる工程である。
木材を切断し、削り、各パーツに仕上げていく。特に、ヒールからネックの部分を削って、日本人に最も弾き易い厚さにするなど、弾き易さを左右する重要な部分は全て手作業で行っている。とはいえ橋本ギター工房は、4人ほどの職人が立ちはたらく小さな工房だ。泰滋の目から見ても、手分けをして各パーツをあらかじめ削りあげ、それをまた手分けをして組み上げていけば、経費効率も良く生産性も上がると思うのだが、橋本師匠はそれを許さなかった。各パーツは、ギターを組む人間が、自らの手で削りあげて作る。1台のギターを複数の職人の手によって加工されることが、橋本ギターのポリシーに合わないということらしい。素人の泰滋にはそうあるべき理由が良くわからなかった。
加工の圧巻は、ボディの側面を構成する板を型にはめ込み熱で曲げる工程である。もともと、学徒動員で木の飛行機のパーツを作っていた泰滋であるので、木加工についての基礎知識は持っている。しかし、頑固に乾燥させた側板が折れもせず、なんでこんなに繊細な曲線を描き、そして形を維持できるのか、何度見ても興味が尽きなかった。
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