第144話
泰滋がヤスエに導かれての散歩から帰ると、ミチエがもう帰宅していてせっせと夕飯の支度をしていた。
「最近ヤスエと良く散歩に出かけるけど、どこへ行ってるの?」
足が折りたたみ式の木製のちゃぶ台に、食器を並べながら、4畳半の次の間でヤスエと戯れる泰滋にミチエが聞いた。
「ヤスエに聞いてくれ。僕はヤスエがいきたいところについて行っているだけだから」
「あら、散歩もヤスエ任せなの…パパの主体性はどこへ行ってしまったのかしら」
泰滋は返事もしなかった。そんな彼を見て、ミチエが言葉をつなげる。
「養生することは大事だけど、何もするなというわけでもないでしょう」
妙な後ろめたさがあるせいか、ミチエの気遣いの言葉も、自分を責めているように聞こえた泰滋は、魚の骨が喉に刺さったいるような気分になった。
「さあ、食事の支度ができたから、食べましょう」
ミチエに促されて、泰滋がちゃぶ台の前にあぐらをかく。あぐらの上には、ヤスエがちょこんと座ってニコニコ笑っていた。ヤスエの笑顔に癒されて、泰滋の気分も取り直したようだ。
「毎晩、市場の惣菜の売れ残りで申し訳ないけど…」
すまなそうにちゃぶ台の上に惣菜を並べるミチエ。
「何言ってるんだよ、ママ。俺もヤスエも大満足だよ。なあ、ヤスエ」
泰滋が箸で惣菜をつまみ、ヤスエの口に運ぶと、ヤスエは満面の笑顔で美味しそうに口を動かした。養生する泰滋を気遣って、今はミチエが働いて家計を支えている。その苦労が痛いほどわかるがゆえに、泰滋も文句など言う気にもなれない。
「ねえ、何か趣味でも始めたら?」
「趣味ねぇ…」
いくらミチエに言われても、家長としての責任を果たせていない今、それを忘れて趣味にふけるなど泰滋の性格では無理な話だ。うつむき加減で黙々とヤスエの口に食事を運ぶ泰滋を見て、ミチエの口数もだんだん少なくなってきた。
ヤスエを寝かしつけて泰滋が居間に戻ると、ミチエが財布を取り出してにっこりしながらそれを彼に差し出した。
「たまには外に飲みに行ってくれない?」
「えっ…」
「これから部屋の大掃除するの。パパ邪魔だから」
「えっ、これから?」
「だから、家に居られると邪魔なの、さっさと行った、行った」
逡巡する泰滋に外着のジャンパーを投げつけたミチエは、ホウキで履くように泰滋を外へ追いやった。
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