第145話
近くの赤提灯。俺はそんな暗い顔をしていたのだろうか。
狭いカウンターで日本酒を一杯一杯大切に口に運びながら自問自答する泰滋。彼にはわかっていたのだ。ミチエがそんな自分を心配して気分転換に外へ出してくれたことを。ミチエの心遣いは、心底ありがたいと思っている。だが、こんなことをされ続けたら、家長としての自信を失ってしまうような気がしてならなかった。
『こんな俺でも、今できることはないのだろうか?』
養生が終わればまた京都に戻るのだ。
元気な体を取り戻すまでの辛抱だとは思っても、今の焦燥感がとてつもなく大きな力で泰滋を締め付ける。しかし、この土地で仕事に就こうにも、結核上がりのよそ者、しかもやがて街を出てしまう泰滋に仕事を与えてくれるところなどなかった。
「おい、お前」
泰滋は、となりで飲む初老の酔っ払いにいきなり声をかけられた。
「はい?」
「お前、さっきから病み上がりみたいな青白い顔で、ため息ばかりつきよって…酒がまずくなるから何とかしろ」
知らずとため息をついていたのか。しかし、こんな気分の時に酔っぱらいに絡まれるとは…。なんとついていない日だ。
「はいはい、申し訳ありませんでした。もう退散しますから」
「なんだと…わしは、お前に帰れとは言っとらんぞ」
「でも…」
「お前じゃない、お前のため息を何とかしろと言っておるんだ」
腰を浮かした泰滋の腕を引き取ってもう一度座らせると、初老の酔っぱらいは盃を差し出す。
「とにかく飲め」
「いや…結構ですから」
「いいから飲め」
「いや…」
「お前、目上のモノが酒を勧めているのに、盃を取らぬなどとは無礼千万だ」
「いえ、おすすめいただいている酒が嫌ではないんです。その盃が嫌なんです」
「盃?」
「ええ…」
「…なぜだ」
「ヒビが入っているから」
「なんだと」
初老の酔っぱらいは、手にした盃を回しながらすみずみまで舐めるように検見した。
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