第136話
「ありがとうございます。でも、遠慮しておきます。せっかく頂いたチケットですから、どうぞお父さんの好きな方とおふたりで観に行ってください」
「別に…そんなひといませんよ」
父親は運ばれてきたビスケットにコーヒーを浸しながら、照れくさそうな顔で言った。
「でも、お財布をお忘れになったのならご不便でしょう。失礼ですが、少しお貸ししましょうか?」
「いいえ、大丈夫です。もうすぐ手持ちのお金を佑樹が持ってきてくれますから」
「佑樹さんが来るんですかっ!」
「ええ」
「どこに!」
「ここに…」
汀怜奈の胸の鼓動が急に駆け足になった。
なんとなく顔も上気して熱くなってきた。どうして?そんな自分の変化に自分自身で驚いていると、さらに汀怜奈を驚かせる事態が発生する。今度はプレタポルテに身を固めた女性が、汀怜奈たちの席に乱入してきた。
「汀怜奈さん!」
「えっ?お母さま?」
「こちらはどちら様なのかしら」
佑樹の父を睨みながら母親が汀怜奈に詰め寄る。
「もしかして、お母さま…わたしのあとを?」
「そんなことはどうでもいいの、こちらはどなた様かしらと聞いているのよ」
「どなたさまって…わたしの友達のお父様で…」
「石津といいます。テルナオさんには、うちの愚息がお世話になってます」
「テルナオ?」
父親は、母が言った汀怜奈の名を聞き間違えているようだ。
「どうぞ、お座りください。…おい、ウェイター、こちらにお水と…すみません、おかあさん、コーヒーでいいですか?」
「おかあさんって…わたしはコーヒーはいただきません」
「さすがですね、気品のある女性は本来コーヒーなんて飲みませんよね。おいっ、こちらに紅茶をお出しして、…それにハウスなんとかをもうひと皿ね」
「なんて下品なオーダーの仕方…居酒屋じゃあるまいし…」
母親は、汀怜奈が自分に嘘をついてまで、なんでこんなおやじとホテルでおち会おうとしたのかまったく理解できないでいた。だからこの男性に警戒心と嫌悪感丸出しの視線を送る。
一方父親は、そんな視線も解せず、汀怜奈の耳元に顔を寄せると母親に聞こえぬように言った。
「先輩のお母さんって…けっこう綺麗だな」
母親は、我が愛する娘の顔に口を寄せるおやじの仕草に、またカチンときた。
「あの、どちら様か知りませんが…」
「おかあさま!」
こんなドタバタに時間を費やしている暇はないと汀怜奈は思った。もうすぐ佑樹がやってくるのだ。
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