第118話

「わあ…」


 住宅街に隣接する小高い土手を登りきり、眼下に広い河川敷とたゆやかに流れる賀茂川の水面が広がると、ミチエは思わず声を出した。


 泰滋は自分のジャンパーを脱いで、土手を下る石の階段の上に敷くと、ミチエに腰かけるように促す。


「そんな…」


 ミチエの躊躇もお構いなく泰滋は、石段に座り込む。ミチエも仕方なく彼の隣に腰掛けた。

 ふたりは黙ってしばらくゆっくりと流れる賀茂川を眺めていた。最初に口を開いたのは、泰滋であった。


「急にこんな遠くに呼び出してしまって…すみません」

「いえ…」

「でも…本当に具合悪くて…でも、ミチエさんが来ると聞いたら、元気が出ちゃって…。自分にもなぜだか…」

「いいんです。泰滋さんがなんともなくてよかった。それに…お義母さまにも、早くご挨拶しなければと考えてましたから…」

「そうですか…そう言っていただけると、助かりますが…」


 また、ふたりは川を見つめながら黙り込んだ。


「ところで…知ってます。この川の名前?」

「えっ…」


 いきなりの問いに驚きながらも、ミチエは、必死に頭を働かせて答えを探った。


「たしか…『かもがわ』でしょ」

「そう、知ってますよね。京都の顔になるくらいの代表的な川ですから…。遥か北の桟敷岳を水源として南へ流れています。ちょうど上京区出町付近で高野川と合流しますし、市街地をさらに南へ貫通し伏見区下鳥羽で桂川と合流します。そこで、この全長23キロの川の名前は終わります」


 泰滋は遠く川下に視線を向けながらも、言葉を続ける。


「ここから先は、地元の人間以外知る人も少ないんですが…同じ『かもがわ』という名前でも、実は文字が使い分けられているんです。水源から高野川合流点までを『賀茂川』と書き、それより下流を『鴨川』と書きます。もっとも、現河川法では全長を鴨川と総称していますがね…」

「へえ、知りませんでした」

「ですから、北大路橋のこの付近は、『賀茂川』にあたります」


 泰滋は小枝を拾うと地面に文字を書いた。


「平安の時代はもちろん、都に沿って長い時を流れ続けていた賀茂川。京の人々は、どれほどの時をこの川と過ごしているのでしょうか。数々の新しい時代を迎えても…それでも川の名前すら統一できない…いやしようともしない…それが京都なんです」

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