第117話

 泰滋は、ポケットに手を突っ込みながら、ガラコロと大きな下駄の音を立てて歩く。


 そんな彼の少し後ろを、ミチエは豆腐を入れるアルマイトの鍋を持って歩いた。


「こんにぃちわぁ。春の5月やというのに今日はさぶおすなぁ」


 すれ違う人々が、泰滋に会釈する。泰滋も会釈で挨拶を返すのだが、すれ違いざまに、ジロジロとミチエを眺め回していった。ミチエはなんか恥ずかしくて顔が真っ赤になる。


「おばちゃん。豆腐一丁くれへんか」


 店先で、冷たい水に手を真っ赤にして、真っ白な豆腐をすくうおばちゃんが、ミチエをチラチラ見ながら言った。


「ぼんぼん、その方どちらさんや」

「ああ…一応僕の婚約者やけど…」


 ミチエは耳たぶまで赤くして、豆腐屋のおばちゃんにお辞儀をした。


「えっ、ぼんぼん、若いのにもう結婚しはりますの?」

「そや、あかんか?」

「そんなこと言うてへんけど…ぼんぼんも若いが、お嫁はんもわかいなぁ。大丈夫かいな…」

「いらん心配せんといて」

「とにかく、お嫁はんに苦労させんように、おきばりやっしゃ」

「わかってるがな…」

「婚約のお祝いにもう一丁たしとくさかいにな」

「お祝いが豆腐一丁かいな…」


 泰滋は笑いながら、アルマイトに入った豆腐と引換えに小銭を渡す。


「安心しいや…結婚したらもう一丁たすさかいに」


 おばちゃんの言葉にさらに爆笑する泰滋。


「おかあはんに、せわになったとよう言うとくわ」

「おおきに」


 豆腐屋のおばちゃんに送られながら、泰滋はまたガラコロ音を立てて歩き始めた。

 飛び交う京都弁。その話されている内容はわかるものの、関東から来たミチエは、外国に来たような気分になっていた。旅行できた京都と生活の場としての京都は、まったく違った空気を持っている。家を離れて暮らすと言う意味をあらためて思い知らされたようで少し心細くなった。


 そんな、ミチエの心情を知ってか知らずか、泰滋が帰路の道すがら、すぐに家に戻らずミチエをそばの賀茂川の河川敷に誘った。

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