第115話

 京都駅で泰滋の父に出迎えられ、初めて京都の長屋作りの狭い玄関をくぐった。


 自分の家にはない独特の空気と香りが感じられる。そしてその先に、和服姿で愛くるしい笑顔を向ける婦人がいた。姑との初めての対面である。


「ほんま、かいらしいお嬢さんだこと」

「はじめまして…ミチエです」

「お疲れでしたやろ。はよう上がって、お座りよし」


 その優しい物腰と笑顔。関東から嫁ぐ者にとっては、これが噂の京都風挨拶なのかと警戒するところであるが、幼いミチエにそんなすれた賢さがあるわけがない。しかも、長い間電車の硬い椅子に揺られてパンパンに腫れた足が痛い。ミチエは姑の優しい言葉を100パーセント鵜呑みにして、靴を脱いで座敷に上がると、遠慮がちにも足を投げ出した。


 それがかえって良かった。姑の時子は生粋の京女ではなかったから、塩山から京都へ嫁ぎ散々自分が苦労したことを、こんな幼い息子の嫁に強いることなど考えもしなかった。実際、足をさするミチエの姿を見ながら時子は、可愛い娘が一人できたと、本当に心から喜んでいた。


「ところで…泰滋さんの容態は?」

「あいつか…あいつは2階で寝ておるやろ」

「わたし、ちょっと様子見に2階へ…」

「そんなに、急がへんでええ。ミチエさんもしんどいやろから、ゆっくり休んでからで十分や」

「でも…」

「いえね…」


 玄米茶を小ぼんに乗せて運びながら姑が言った。


「確かに熱が出て、ふらつくほど具合が悪くて、病院へ行ってもわけわからへんし、どないしょと思っていたんやけど…。ミチエさんが来る言いましたらな、急に元気になりはってね…そやけど、呼んだ手前、カッコつかへんし…。今はとりあえず布団をかぶってるだけやし」


 姑が口元を小さな手の甲で隠しながら、ククッと笑った。


「ちょっと、待ってえな、おかあはん。ミチエさん来てるのに、なんで呼んでくれへんの」


 見ると毛布に包まって、不満顔の泰滋が立っていた。

 3ヶ月ぶりに見るその泰滋の顔は、確かにすこし尖っていたようであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る