第114話

 泰滋と彼の父が京都へ戻った後、ミチエの母は、花嫁修業をどうしたらいいのかと思い悩んでいた。


 バスケばっかりやっていたミチエ。その娘を嫁がせるのはいいが、このままだと嫁いだ先で苦労するに違いない。

 とりあえずミチエは、高校卒業後は、東京家政大学短期大学部家庭科被服専攻へ進学することが決まっていたので、泰滋が同志社大学を卒業するまでの1年間、そこに通うことになる。


 母はこの1年でなんとか、ミチエを家事が無難にこなせる嫁に鍛え上げなければならないと考えていた。ミチエの卒業まで待って結婚させようという考えを誰もがもたないところが、当時の女性の位置をよく表している。


 一方ミチエは、自分の身に何が起きたのか把握できずに、ただぼうっと時を過ごしていた。


『わたしが…結婚?…彼が私の夫に…どうして?』


 今まで結婚など想像もしたことがない19歳の処女が、こんな事態に遭遇してリアリティをもって妻になる将来の自分の姿なんて想像できるわけがない。しかも、今に至っても、彼から好きだとも、ましてや直接求婚の言葉(プロポーズ)を聞いたわけでもないのだ。


 確かに彼の考えと性格は文通を通じてわかっていた。会えたことで自分の考えていた彼そのものであったことが確認できた。彼の手紙に嘘はなかったのだ。嘘がない彼の本当の姿を知っている私以上に、彼の伴侶となるにふさわしい女性がいるとは思えない。


 いやちょっと待って、ミチエさん。そういうことではなくて、あなた自身は泰滋さんを夫にしていいくらいに好きなの?確かに、目蒲線の電車で偶然出会った時、彼を運命の男であるかもしれないと思ったりはしたけど…それは好きってことになるのかな?。それに、結婚すれば、当然あの人の子どもを産むわけでしょう…。嘘っ、なんてこと考えてるの私…。


 19歳の乙女の躊躇いは、延々と続くのであるが、とりあえず本当に結婚するまでにはあと1年の猶予がある。それまでに、自分にとっての結婚というものを、しっかり考えればいい。最悪1年後に、どうしても気持ちが定まらなければ、やめちゃえば良いんだから…。


 しかし、なんでも『突然グセ』のある泰滋は、そんな嫁ぐ側の思いも無残にも打ち砕く。婚約して3ヶ月後の5月。京都から『ヤスシゲタオレタ。ミチエサンニアイタガッテイル。シキュウコラレタシ』との電報を受け、ミチエは慌てて京都へ向かったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る