第112話

 ミチエは千葉の実家で泰滋と彼の父と対座していた。


 ミチエの横には母親とそして長兄が座っている。初めて泰滋と東京駅で会って以来10日目のことである。


 大雪が開けた翌日、泰滋と連れ立って多摩川の親せきの家を出たが、なぜか泰滋は東京駅の待合所で時間を潰していた。やがてその理由もわかった。しばらくすると、深刻そうな顔をした初老の紳士が泰滋に近づいてきて、泰滋の前に立つと大きなため息を吐いたのだ。

 ミチエは、その紳士にかけた泰滋の言葉に度肝を抜かれた。


「ああ、おとうはん。お疲れやな」

「おとうはん?」

「ミチエさん。紹介します。自分の父です」

「は、はじめまして…」


 父はギョロッとミチエを見て、帽子のつばに手を掛けて軽く挨拶をした。


「おまえ…何考えとんのや」

「電報の通りや」

「えらい、いきなりやないか」

「よう考えた結果や。自分の意思にいきなりも何もない」

「けどな…」

「不承知なら、電報に書いた通りのことをするだけや。このことだけは、自分の我を通す」


 父親は泰滋の瞳の奥に、決意の炎を見た。それは今まで見たこともないほど熱くそして激しく燃え盛っている。


「おとうはん。ええな。ほな、行くで」


 ミチエは、泰滋と父親が何を話しているのかまったく理解できなかった。いや、理解できないというよりは、これから自分の身に常ならぬことが起こるような気がしてパニック状態になり、考えることができないのだ。そんな状態が解けぬまま、三人はミチエの実家の玄関をくぐったのである。


 案の定、何が起きるか想像できない宇津木家の人たちは、不安顔にただ黙って泰蔵が口を開くのを待っている。ミチエはただ赤くなってうつむいていることしかできない。


 泰蔵は躊躇して一度息子の顔を見た。しかし息子の目の奥にある炎が、いっこうに衰えてはいないことを確認すると、ついに諦めたように口を開いた。


「けったいなこと言うと思われるかもしれまへんが…」


 泰滋の父にしてもあまりにも突然のことだったから仕方がないのかもしれないが、ミチエの家族を前にして父の言葉に力がない。


「これでも本人は十分考えたと云うておりますよってに…」


 中々切り出さない父の脇腹を、泰滋は肘で小突いて先を促した。


「ぜひ、お宅のミチエさんをうちの愚息のお嫁さんにいただけませんやろか」

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