第107話

 佑樹とのギターレッスンをはじめてから、1カ月が経った。


 汀怜奈は今、渋谷のセルリアンタワー東急ホテルの高層階にあるエグゼクティブルームにいる。音楽雑誌からの取材がやっと終了し、このあとBunkamura『オーチャードホール』に向かわなければならない。


 汀怜奈は豪華なソファーにドカッと倒れこむと、そばに腰掛けている母親に尋ねる。


「お母さま。すぐに部屋を出なくてはならないのかしら?」

「1時間ぐらいは部屋で休めるそうよ」


 マネージャーに時間を確認して、汀怜奈の母親が答えた。汀怜奈は、ため息をつきながらソファーの上に、演奏活動用のウィッグを脱ぎ捨てる。


「汀怜奈さん。何か飲む?」

「はい。ペリエのガスをライム付きでいただけるとありがたいのですが」


 母親は、娘のためにルームサービスにオーダーすると、ソファーに横たわる娘を優しく見つめながら言った。


「頑張り屋さんの汀怜奈さんだから、こんなに忙しくなると体を壊さないかどうか心配だわ」

「心配はいりませんわ、お母さま」


 娘に笑顔でそう言われても、心配が尽きないのは親の常である。母親は最近気になっていることを切り出した。


「ところで…どんなに忙しくても、週に一度はひとりで外出されているそうね」

「あら、ご存知でしたか…」


 汀怜奈は母親の視線から逃れるように部屋の大窓に近づき、副都心の高層ビル群を眺めた。


「どこへいらしてるのかしら?」


 もちろん佑樹の家にレッスンに出かけているのだ。母親の質問を背中で受けて、正直に答えなければと思うものの、ならばなぜそんなことをしなければならない羽目になっているのか説明仕切れる自信がない。何か適当な答えを探しているうちに、汀怜奈の心になぜかギターをいじる佑樹の姿が風船のように膨らんできた。

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