第96話
「ミチエさん。これは…この不気味なもんはなんですか?」
朝食の食卓で、ミチエの家族と挨拶を済ませた泰滋は、食卓に並ぶ惣菜のひとつひとつを珍しそうに眺めていた。一方ミチエの家族は、突然現れて、屈託もなく他人の家の朝食を楽しむ泰滋にどう対応したらいいか分からず、唖然とした面持ちで彼を眺めている。
「それは、納豆ですよ」
「こっ、これが…」
泰滋は絶句して、納豆が盛られた小鉢を、顔を背けて遠ざける。
「関東では、腐った豆を食べるとは聞いてはおりましたが…、本当だったんですね」
京都人の泰滋には、納豆の匂いが激しすぎるようだ。しかし、なんのことはない。10年先には、この納豆が彼の大好物になっているのだ。
「ミっ、ミチエさん。この味噌汁はなんですか?味噌の味がしません…それに白くないし…」
「千葉じゃ、みんなこんな田舎味噌ですよ。甘い白味噌は、滅多に使いません」
「そーなんですか…」
泰滋は、朝食に難癖をつけているのではない。ひとつひとつの生活スタイルが京都とは異なり、珍しくて仕方がないのだ。嬉々とした顔で質問する泰滋に、ミチエは丁寧に答えた。
「ああ、お母さん。これ、泰滋さんがお土産にお持ちいただいた京都のお漬物です」
唖然として箸も動かない自分の家族を気遣って、ミチエが盛んに話しかけた。
「朝食にはちょうどいい。どうぞみなさん京都の錦市場で買ってきた漬物ですが、味わってみてください」
泰滋が勧めても、なかなか手を付けない家族。
「お兄ちゃん、食べなさいよ。せっかく頂いたのに失礼よ」
ミチエに促されて、ついに長兄が動く。いつものように、漬物に乱暴に醤油をかけようとした長兄。それを見た泰滋が慌てて長兄を制した。
「ちょっと、待っておくれやす。お兄はん」
「おにいはん?」
「京の漬物に、醤油はあじないですわ。そのまま、たべなあきまへんて」
慌てたせいか、泰滋から出てきたベタベタな京都弁に、家族全員の動きが一瞬止まる。そして顔を見合わせると、どっと笑い出した。
「わたし…なにか変なこと言いました?」
いぶかしがる泰滋に、ミチエが笑いを噛み殺しながら言った。
「違うんですよ。泰滋さん。みんな、本物の京都弁を初めて聴くものだから、感動してるんです」
動機はともかく、泰滋がミチエの家族に受け入れられた瞬間である。
決して京都弁の奇異を笑ったのではなく、泰滋がその本性を見せた気安さが、好ましく家族に伝わったのだ。
これから先は、もはや宇津木家の一員のように自然に食卓に溶け込んで、みんなとともに朝食を楽しんだ。ミチエはそんな泰滋を見ながら、この男が、ひどく図々しいのか、それとも類まれなる順応性と包容力の持ち主なのか、はかりかねていた。
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