第76話
文通でお互いのことは知り尽くしていたので、確かに言葉は要らないのかもしれない。しばらくそうして見つめ合っていたが、やがて泰滋はミチエの背後に男性が立っていることに気づいた。
「兄の正愛です」
泰滋の視線に気づいてミチエが長兄を紹介する。泰滋はミチエの声を初めて聞いた。ハリのある美しい声だ。闊達な彼女の性格にふさわしい。
「はじめまして、石津泰滋です」
ミチエは、泰滋の声を初めて聞いた。標準語でしゃべるのだが、多少京都弁のイントネーションが混じっている。それも手伝ってか、ミチエは彼の声をなんてソフトな優しい声なんだろうと感じた。
「どうも、はじめまして…」
長兄が頭を書きながら言葉少な挨拶を返した。もともと長兄も人見知りするタイプなのだ。
「それじゃ、ミチエ。俺はこれで帰るから…。帰りはひとりでも大丈夫だよな」
「えっ?」
ミチエは長兄に不思議そうな顔で振り返る。母の命令で、今日は一日付き添うのではなかったのか。
長兄は、初めて会ったふたりの様子を伺っているうちに、適当にあしらってふたりをひきはがすなど、到底無理だと悟ったようだ。
泰滋の端正な容姿を見て安心したことも手伝って、泰滋に見えないように長兄はミチエにウインクをすると、もう心は場外馬券場へと彼の身を急がせたのだった。
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