第77話
長兄らしからぬ気遣いに戸惑いながらも、泰滋を見つめ続けるミチエ。
改めてふたりきりにされるとなぜか鼓動は早まるので、それを泰滋に気づかれまいと苦労した。泰滋の様子には一向に変化が見られない。ただ笑顔でミチエを見つめているだけだ。
「ミチエさん。こうして立っていても何やから、映画でも見ましょうか?」
「はい」
ふたりは連れ立って、映画館を求めて日比谷方面へ歩いていった。なかなか適当な映画館が見つからないまま、黙ってどのくらい歩いたろうか。結局ふたりがたどり着いたのは、有楽町スバル座である。
この建物は、第二次世界大戦終結直後の1946年年12月に建設された、大規模木造建築の映画専用劇場だった。
第二次世界大戦中は軍部の統制で娯楽への引き締めがおこなわれるとともに、米軍による無差別爆撃への対策として大規模な木造建築の新造も禁止されていた。しかし戦後、GHQは日本の民主化を促進する目的で、アメリカ映画を封切上映する大規模な映画館の設置を要求し、スバル座は都知事の特別認可という形で建設された。
開館したスバル座は、アメリカの豊かな文化を日本に伝える映画館として、庶民に夢と希望を与える場であった。しかし、終戦直後の物資欠乏の中、突貫工事で建てられたその建物自体は、完全木造建築、内装も合板張り。防災設備は粉末式消火器が常備されているだけで、防火区画・シャッター、スプリンクラー設備はおろか屋内消火栓すら設けられていないお粗末なものであった。
その代償はすぐやってくる。1953年9月6日、19時1分。劇場映画『宇宙戦争』の上映中に、爆発音とともに1階の掃除用具入れとして使用されている物置から火の手が上がり、初代スバル座は焼失する。ふたりが入ったのは、1952年の3月だから、その1年半後にこのスバル座は無くなることになる。本人たちは気づきようもないが貴重な映画鑑賞となった。
映画はすでに始まっていた。しかし、ふたりは気にもせず暗いホールへと目をこらしながら進む。今のロードショウ封切り館のように、映画が終わるたびに指定席入替え制ではない。いつでも入れるし、空いてれば何処にでも座れる。
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