第67話
田園調布の汀怜奈の自宅は大騒ぎになっていた。
空港から『1週間ほど気晴らしの旅をする』とメールを残して姿を消した汀怜奈。彼女も子どもじゃないのだからと、無理やり心配する気持ちを押さえて待っていたら、ようやく『明日戻る』とのメールが来て母親は安心できた。
久しぶりに家庭料理を食べさせようと準備して待っていたものの、なぜかJRから連絡があり、汀怜奈のバックだけが家に戻ってきた。その日、夜が更けても帰ってこない。翌朝、いよいよ警察に捜索願を出そうと思っていたら、今まで見たこともないような短髪の汀怜奈が、はだし同然で家に飛び込んできた。家の前に着いたタクシーにとんでもない料金を払ったのは母親だ。
「汀怜奈、あなたいったい何があったの?」
興奮する母親の問いに、どう答えたらいいものか。多少動転気味の汀怜奈は、考えを整理する必要があった。
「お母様。もうしわけありませんが、とりあえずシャワーを浴びさせていただけますか…」
母親の返事も待たずにバスルームに逃げ込み、汀怜奈は身体に心地よい温水を浴びせながら心を落ち着けた。
自分は何をこんなに動転しているのか…。昨日自分に起きたことを朝から辿ってみる。久留米のホテルをチェックアウト。福岡空港から羽田空港へ。帰りの電車で橋本ギターとの偶然の出会い。痛快なハイキック。助けた男の子にお礼を言われて…。そう、確かお名前は佑樹とかいっていたっけ。K-1の話し。そしてカフェバーへ行って気がついたら、佑樹さんの部屋で、目が覚めた。そうよ、ここですわ。
着衣のままとは言え、男と抱き合って寝たなんて、自分の一生を振り返っても前代未聞だ。でも、ちょっとお待ちください。佑樹さんは今でも自分を男だと思っている。私さえ黙っていれば、村瀬汀怜奈は男と寝たというスキャンダラスなことにはならない。少し気が楽になった。
しかし、思い起こしてみると、電車の中でハイキックなんて笑える話だ。それに自分の話しに目を輝かせて聞いていた佑樹さんは、少し可愛かったかもしれない。年下でコロコロしていて、子犬のようだった。ギターを通じて、常に年上と接していた汀怜奈にとっては、ギターと関係ない分野で気楽に話せた年下との会話は、とても新鮮だった。だから、あんなに飲んでしまったのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます