第66話
夏の終わりとは言え、まだ残暑の残る京都。泰滋は、ミチエから始めて3行以上の文の返事をもらって戸惑っていた。
そして手紙を読んで彼女の生活が変ったことを知った。もとから返事は期待していなかったのだが、そこで初めて、返事を書きたくても書けなかった彼女の事情を知った。
考えてみれは、いくら自分の訓練とは言え、彼女のことはまったく知らない。もらった写真の8人の女子高生のうちの誰であるかさえ特定できていないのだ。それからの泰滋の手紙に、微妙な変化が生じてきた。
『盆地の夏は厳しい。しかし、夏を終えて葉の色を変えつつある街路樹を見ると、京都に育ってよかったのかもしれないと思える時期がやってくる。嵐山の紅葉に比ぶべきもないのだが、青葉から渋い茶色へと変化する葉が、もともと古い京都の木造家屋に妙にマッチするのだ』
普段であると、ここで終わる文章にひとことつけ加わる。
『ミチエさんは秋が好きですか』
これは、ミチエにとっては大きな変化だった。私のことを聞いてきたの?戸惑いながらも、時間に余裕の出来たミチエは、返事を書く。
『何でも美味しく食べられるから、秋は大好きです』
情緒的な問いに、即物的な答え。便箋3枚の泰滋の手紙に便箋1枚、時にはその半分のミチエの返事。お互い発信する情報量は違っても、一方的に手紙を送ってきた以前とは異なる。これはまさにインタラクティブ・コミュニケーションである。
泰滋は徐々にミチエを知り始めた。知れば知るほど、面白い子だ。そして、以前写真の中の8人の中から目星を付けた女子高生が、ミチエであるとの確信がますます強まる。いや、そうであって欲しいという今までに無かった感情が湧いて来た。そして、お互いが、お互いの写真を見ながら、手紙を書くことの意味が、徐々に変わってきた。
『こんなことがあった。君はどう思う?』
『泰滋さんは、なぜそんなことにこだわるんですか?』
自分を語る前に、相手を知ろうとするふたりの手紙。
もちろん、問われれば答えるのだが、直接会って話をしない分、自分の気持ちを正直に、そしてスムーズに綴るができる。その意味では、実際に横にいて話すことよりも、深くお互いの心を語り合うことになった。
力説したいのは、ここまでの手紙で、好きだとか恋しいとか、恋愛めいた文章はひとつもないことだ。しかし、手紙をかわしていくうちに、一度も会っていないふたりの間に、着実に何かが育まれていったのはまちがいない。
そして、秋も過ぎ、年が明け、ミチエが高校の卒業をひかえ、泰滋も4年になろうかという1952年の3月初頭。春休みとなった泰滋がミチエに手紙を書く。今考えてみれば、それが泰滋が書いたミチエへの、最後の手紙である。
『来週の日曜、東京の多摩川に住む親せきの家に行きます。もし都合が合えば、東京駅でお会いしましょう』
ミチエは手紙を読みながら、速まる鼓動を押さえることができなかった。
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