第52話
土曜の昼間。ガラガラの山手線で佑樹は前に座っている人物が気になって仕方が無い。
細身華奢な体型ながら、とてつもなく長い脚を前に投げ出し、シートに浅く腰かけている。ボロボロのデニムのパンツとワークブーツ。黒のキャップを被り腕組みをしているのだが、見るからに危なそうな印象である。サングラスでその視線の先ははっきりとわからない。一見寝ているようでもあるが、どうも自分を睨んでいるような気がする。
視線を上げると目が合いそうで、佑樹は仕方なく足元に立てたガットギターを眺めていた。ネットオークションで手に入れ、今日楽器の修理工房から引き取ったギターだ。
このギター、結局他の競争相手もなく最初の値入れで落札され、1カ月前に届いたのはいいが、良く見るとギターのトップ坂が変に波を打っている。写真では気づかずジャンクなギターを掴まされたと後悔したが、音は確かに出る。とにかく払ったお金の額も文句の言えるような額ではなかったので、クレームも出さず引き取り確認をした。
しかし、どうもトップ坂がベコベコして気になるのでギターの修理工房に持ち込んだ。スタッフが言うには、表甲(トップ坂の裏にある)力木というものが剥がれているとのこと。このまま使用していると確実に楽器として壊れるので修理が必要だと説明された。その修理代金を聞くと3万円かかると言う。佑樹は気絶しそうになった。
『3000円のこのギターを3万円かけて直す価値があるのかな…』
思わず口にした佑樹の言葉に、受付カウンタースタッフは言った。
『表甲が厚目の松単板、特徴的な力木が3本、膠付け。裏板が楓の単板で側板は楓合板、裏板接着は合成接着剤。ごついブリッジがとにかく荒削りで無骨。棹は楓、ペグは32mmの安物。ローゼット、パーフリング、バインデイング(サウンドホールの淵の模様)類はプラスチック。ペグヘッドデザインがまったく野暮臭い。このギター、特に優れているものは無いんですが…』
『ですが?』
『抱いてみると…なぜかしっくりくるんですよね…。それに力木を直せば、きっと良い音が鳴りますよ。まあ、お客さんが決めることですが…』
それがスタッフのセールストークなのか、本心なのか、判別はつかない。仮に修理を頼んだとしても、修理代をどこから工面したらいいのか。最近友達から紹介してもらった渋谷のホテルの雑用係のバイトがあるにはあったが、僅かなバイト代だから、1ヶ月は働かないと修理代にはならない。
長い時間かけて悩んだ末、結局佑樹は1ヶ月後に受け取ることでそのギターをスタッフに委ねた。
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