第31話
ブリティッシュエアラインの機内放送が、間もなくヒースロー空港に着陸することを案内した。
汀怜奈は改めて、隣の席にあるギターケースがしっかりとシートベルトに固定されているか確認した。パリのエコール・ノルマルの留学期間を終えた汀怜奈は、帰国の途中にロンドンに寄って、英国の名門クラシックレーベル DECCAと日本人としては初のインターナショナル長期専属契約を締結する下打合せをおこなうことになっている。
DECCAとの契約が成立すれば、彼女の演奏はビジネスとして世界的にプロモートされ、演奏家としての地位も確立する。若干21歳でのこの快挙は、まさに前途洋々たる彼女のアーティストとしての未来を保証するものである。
喜んで然るべきことであるが、実は汀怜奈は、ロドリーゴ氏の自宅を訪問した日以来、心に引っかかるものがあり少しブルーな気分に浸っている。ロドリーゴ氏が言っていた『ヴォイス』がまったく理解できないでいるのだ。
面会の後、『ヴォイス』の正体を突きとめるべくエコール・ノルマルに戻り、多くの師に聞いて回ったが、どの答えも汀怜奈にピンと来るものが無かった。スペイン行きの前と後では演奏のクオリティが変わるわけない。それはエコール・ノルマルの師匠たちが保証してくれているのだが、汀怜奈はスペイン行きを境に、自分の演奏が陳腐なものに聞こえてしょうがない。『ヴォイス』の呪いに罹ってしまったようだ。
こんな状態で長期契約などして良いものなのだろうか…。そんな疑問に顔を曇らせながらも、心配はかけまいと、先に英国入りしていた母親とマネージャースタッフの出迎えには笑顔で応じた。
ロンドンのホテルでは、演奏会の仕事で英国に滞在していた日本の師匠に、久しぶりに再会した。
その夜は、師匠と母親とともにディナーを取りながら留学生活の逸話など積もる話しに花を咲かせた。ロドリーゴ氏に会いに行ったことはすでに、メールで知らせていたが、ロドリーゴ氏が自分に課したことについては、自分自身での整理が出来ていないので知らせてはいない。思い切って氏から受けた謎の言葉『ヴォイス』について、師匠と母親に切り出してみた。
「うーむ…『死へ旅立つものですらその瞳に安らぎと、生きた証の喜びの笑みが浮かんでくる。』ね…」
先達のギタリスタである師匠は、そう言いながら食後のコーヒーを口に含んだ。
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