第30話

『前略 ミチエ様。1週間待ってもストップが来なかったので、訓練を始めます』


 しまった、知らない間に始まっちゃった。


『でも、拒否権はいつ発動しても有効ですから、負担だったら前に送った札を、いつでもいいから躊躇なく返送してください』


 なるほど…。


『今講堂の窓から外を眺めると、京都の街は『しぐれ』ています。この『しぐれる』というのは、秋冬の訪れを感じさせ、京都らしい風情があると言われますが、実は僕は大嫌いです。なぜなら、雨粒も当たっていないのに、大切なカメラがしこたま濡れてしまうから…』


 手紙の文章は、借り物もなく欺瞞もなく、正真正銘の青年の心にあるコトが綴られていた。もちろん兄貴以外異性と親しく語り合ったことのないミチエである。男性の感性に触れる機会などなかった。その故か、手紙にある文章ひとつひとつが興味深い。男の人もこんなこと考えるんだ。こんなことになぜこだわるのかしら。信じられない。ひとつひとつが驚きである。

 そんな興味に加えて、手紙はミチエに不思議な効果をもたらした。疲れた身体を忘れさせ、また動き出す元気を与えてくれる。これはまさに手紙がもたらす『癒し』の効果なのだが、まだまだ若く未成熟なミチエにはそんな言葉が浮かぶわけがない。


「みっちゃん、うるさいわよ。なにがおかしいの?」


 何度もクスッと吹き出す姉を不思議がって、妹が参考書から顔を上げて声を掛ける。


「ごめんなさい…」


 ミチエはすまなそうに口元を手ふさいだ。そして、もう一度手紙を読み返した。何度読んでも同じところで吹き出してしまう。


「うるさいったら」


 妹の文句を聞きながら、ミチエはそろそろ妹とは別な部屋が必要なのかもしれないと感じていた。

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