第29話

『前略 宇津木ミチエ様 初めてお便りさせていただきます。今まで文通をされていた進一郎くんに代わりペンを持ちました。実は、進一郎君には許嫁がいて…』


 ミチエは、冒頭の数行を読んで驚いた。

 身体がシンドイことも忘れて、慌てて起きだすと、机の引き出しから今までの手紙を取りだす。あらためて手紙の封筒にある宛名の文字を見直した。確かに筆跡が違う。ミチエは、本文を読み進めた。

 読んでいるうちに、思わず噴き出した。文通相手が変わった理由がケッサクだった。私との文通が、許嫁の家に知られたら大騒ぎになるなんて…。笑いながらも、正直に話してくれたことが嬉しかった。手紙はさらに続く。


『ここで文通を終えるのもいいのですが、今こうして僕がミチエさんに手紙を書く機会を利用して相談があります。もしミチエさんさえよろしければ、僕の訓練に付き合ってもらえませんでしょうか』


 訓練?手紙が意外な方向に進んでいく。


『大学生にもなって恥ずかしい話しですが、自分は狭い盆地に生まれ育って、言いたいことがストレートに表現できない典型的な京都人です。しかし、広い世界へ飛び出すには、そんなことでは生きていけない。今自分には思っていることを素直に口にできるような訓練がぜひとも必要だと痛切に感じています。

 手始めとして、まず心に浮かんだことを正直に書き標そうと考えたのですが、ただ日記に書いても、自己満足に終わりそうで自分に対して覚悟になりません。ぜひ手紙という形でやってみたいのです』


 えっ、前の人に替わって文通しようって言うの?これじゃ、同じ事じゃない。


『あらためてはっきりと申し上げます。これは『文通運動』ではありません。あくまでも僕の訓練なのです。だからお返事は期待しません。頂かなくても結構です。ぼくの書く文章の向こうに座っていていただければと願うのみです。

 もちろん、ミチエさんには拒否権があります。それがご負担なら、訳も愛想も要りません。ただ同封されている『ストップ』という札をご返送くださるだけで結構です。


 ミチエが封筒をはたくと、果たして『ストップ』と書かれた紙片が中から舞落ちてきた。


『それでは、今日はこれで筆を置きます。泰滋より』


 味もそっけもない手紙だ。私の都合も考えず一方的に書いて送ってきた。そう思いながらもなぜかミチエの顔には笑みが浮かんでいた。次の手紙の封を切った。

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