第16話

『ドゥエンデ』とは、もともと、スペイン語のdueno de casaというフレーズが省略されたもので、直訳すれば『家の主』である。


 スペイン王立言語アカデミーの辞書によれば『民家に住み、家中を荒らしたり大音響をとどろかせたりすると言われている想像上の精霊』とあり、日本で言えばさしずめ『座敷童』であろう。


 しかしこの言葉にはもうひとつ重要な意味がある。もっぱらスペイン南部アンダルシア地方で用いられる用法であるが、そこでは、『ドゥエンデ』といえば『神秘的でいわく言いがたい魅力』を指す。ここでいう魅力とは、芸能の魅力のことで、厳密に言えば、歌や踊りが人を惹きつける魔力を指している。

 ロドリーゴ氏が娘に何かつぶやいた。


「父はセニョリータ・ムラセの演奏がとても魅力的だと言っています。驚異的と言っていいほど正確で安定した演奏技術に加え、そこから奏でられる美しい音は、鳥肌が立つようだと…」


 ロドリーゴ氏がまた娘に何かつぶやいた。娘は、ちょっと困った顔をしたが、父に促されて汀怜奈に父の言葉を伝えた。


「しかし、残念ながらテレナのギターラでは『ヴォイス』が聞こえてこないと言っています」

「ヴォイス?」

「そのヴォイスは聞いている者に、魅力とか感動とかを越えた、なにか…生きることとの本質的な喜びをもたらすのだそうです」


 汀怜奈はギターを抱いたまま考え込んでしまった。ロドリーゴ氏は、見えない手で汀怜奈を探し、彼女の肩に手を添えるとかすれた声でスペイン語を話す。汀怜奈は何を言っているか解らず娘さんを見た。


「セニョリータ・ムラセのギターラを聞くと、死へ旅立つものですらその瞳に安らぎと、生きた証の喜びの笑みが浮かんでくる。そんな『ヴォイス』を持ったギタリスタになって欲しいと言っています」


 演奏を聞いて、彼女ならそれを成し遂げてくれるに違いないと確信したからなのだろうが、このスペインの巨匠は、うら若き21歳の演奏家に、なんという重荷を背負わせるのだろうか。

 自分の人生の幕が下りるのはそんな先ではない。それを薄々感じていたこの偉大な作曲家は、自ら抱えていた音楽の命題をこの若き演奏家に託したのである。

 ロドリーゴ氏の体調を考え面会は15分間で終わった。短い面会ではあったが、汀怜奈にとっては、その後の彼女の一生を左右する重要な15分間となった。

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