第9話

「みっちゃん、ちょっと待って」


 バスケットの練習の為に体育館へ急ぐミチエを、クラスメイトが呼びとめた。


「なに?アオキャン」


 アオキャンとはこのクラスメイトの愛称である。


「みっちゃんに頼みたいことがあるのよ」

「なに?今部活で急いでるんだけど…」

「すぐすむわ」


 アオキャンは、胸元に抱いていた雑誌をミチエに差し出した。それは大衆娯楽雑誌『平凡』である。


「それがどうかした?」

「みっちゃんさ『文通運動』って知ってる?」


 『文通運動』本来それは、楽天的な女子高生が口にするようなものではない。エリートと大衆のあいだに大きな断絶の存在した1950年代、『思想の科学研究会』という任意団体が、小集団活動を重視し大衆の中に入り込む大衆文化研究がおこなわれていた。その研究会のメンバーのほとんどは、京都大学人文科学研究所のメンバーあった。


 同研究会は、この断絶を解消するためには『大衆の実感そのものの中に入りこんで行くことに、新しい知識人のあり方を求めるべきた。』と提唱した。「かれらのイメージした大衆」は「マスとしての大衆ではなく、小集団としての大衆」である。そしてその具体的な方針として「大衆ひとりひとりの思想を掘り起こして行く地道な作業」が必要とされた。 


 書いている著者にもさっぱりわからぬ議論に影響を受け、当時京都大学経済学部にいた西村が『文通運動』を起動した。『平凡』誌上の文通欄「お便り交換室」に「西村一雄」名(本名は和義)で投稿。『文通運動』を呼び掛けると、1年間で1150通もの手紙を全国各地はおろか沖縄・ブラジルからも受け取ることになった。

 このすべての手紙に対してひとりで返事を書くことは不可能であるため、西村は京大や同志社等の学生150人を集め、返事を書く文通運動を展開したのだった。


「手紙を書くとさ、もれなく京都の大学生が返事くれるらしいの」

「へぇー…それで?」

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