第5話

「なんだ……どうなってる、これは?」

「何が見えるんだ?」

「どうして……どうしてこんな、バカなことっ! 容量が……減り続けてるだとっ!!」

 凪の割当容量を示す数値。その分母が恐ろしいスピードで増大していた。〇・一秒で分母が倍に――つまり容量自体は半分に減っていく。

「お前、一体何をしてる? これは……これは一体なんなんだ!」

「俺は今、お前に負け続けてる。俺のデバイスが、割当容量を譲渡し続けてるんだよ」

 敗者は勝者に割当容量を奪われる。

 一度負ければ半分に。二度負ければ四分の一に。三度まければ八分の一に。

 負けるほどに容量が失われ、位階は下がっていく。

 それがルール。

 それは〈イデア〉による管理のための規則であり、全ての現実を支配する鉄則である。

 敗者は勝者に奪われ続けるのだ。

「負け続けることで容量を減らす……そんなことして何になる! 割当容量を放棄して、得られるものなんてっ!」

「処理速度が遅くなる。容量が減るほどに、俺の演算処理はどんどん遅くなっていく。するとな、一度始まった顕現がいつまで経っても終わらなくなるんだよ」

「顕現が終わらない……? そんなもんに何の意味がある!」

 苛立ちと焦りから、頭を掻きむしるラン。その間にも、凪の割当容量は分母を膨らませていく。

 彼の問いに、凪はキラリと瞳を光らせた。

「この部屋は今、俺の顕現で満たされてる。『部屋の温度を調節する』ってだけの、レトロな機械でもできちまうような簡単な演算だ。けれど、それは終わらない。俺の持つ割当容量は……処理速度はいくらでも遅くなる。分母が増えるほど、処理にかかる時間も長くなる。いつまでも……無限にだ!」

 ここまで聞いて、ランはようやく自分の身に起きたおかしな出来事を理解した。

 どうして自分の顕現が発動しないのか……。

「俺の無効化を……真似したのかっ! 容量を削り続けてッ……!?」

「本当に……情けない話だよ。ないものだって知ってたのに、理解していたつもりなのに……本当はずっとすがり付いていたんだ。こんな『小さな』俺でも、ちゃんと見てくれる人がいるかもって」

 上級生に絡まれても大人しくしていたのは、『格』下としてでも認められている気がしたから。

 何もできないはずなのに真面目に登校し続けたのは、『存在』そのものまで否定されたくなかったから。

 量子コンピューターのハッキングを求めたのは、自分に『理由』が欲しかったから。

「でも、もういい……」

 凪はフィリアを見つめた。

 気付かせてくれたのは、彼女だったから。

ずっと見えなかった本当の望みを、見せてくれたのは彼女だったから。

「『持って生まれなかった』なら、それで構いやしないさっ! 代わりに、俺はオレが掴んだものを絶対に手放さないっ!! どれだけ負け続けようと、何を譲り渡そうと! コイツだけはくれてやるものかっ!」

 凪は駆け出す。

 力強く握った拳を振り上げながら、迷う事なく足を踏み込んだ。

「お前なんかに……お前なんかにぃぃぃっ!」

「あの子の居場所は、俺の隣だッッ! 守るためなら、容量なんているものか! ゼロになっても……全てを捨てても、コイツだけは譲らねぇ!」

 拳はランの顔面にめり込んだ……かに見えた。

 しかし、凪の拳は彼の目の前で止まり、代わりにランは意識喪失となる。

 それを見て安心したのか、凪はそのまま床にへたり込んでしまう。

「……本当に、やっちまったんだな」

 デバイスに目を向ければ、ひたすら減り続けていく割当容量の数値が見える。

 だが、今の凪にはその小ささが誇らしくさえ思えた。

 一ではなく、〈ゼロ〉こそが自らの目指す場所だと心の決めたからだろう。


 生徒指導室を出た時、凪は廊下に倒れる無数の死体……ではなく、意識を失った生徒立ちを目にした。

 同時に、ただ二人だけ立っている影を確認する。

「ようやく出てきたか……どうやら、目的は果たせたようだな」

「ちょっと凪……ケガしてるんじゃない! 大丈夫なの!?」

 人影の片方――美樹が駆け寄って来ようとした。

 その時だ。

「ナギッ! ナギ、だいじょうぶ? いたい、痛い?」

「お前、急に……うわッ!」

 フィリアが凪に飛びついた。いきなり体重をかけられたせいで体勢を崩して倒れてしまう。

「いてて……フィリア、お前いきなり……って、うおっ!?」

 凪の顔はフィリアの胸に埋まっていた。たわわな果実は、例え制服の上からであっても、その圧倒的な柔らかさをハッキリと感じられた。しかも、襟元がわずかに緩んでいるせいで、もう少し頭を上げれば直接肌に……。

「……ねえ、何しているのかしら?」

 ハッとする。

 怒りのこもった美樹の声が聞こえたからだ。しかし、最初はその意味が分からなかった。

 胸の圧力にボーっとしていたせいだ。おかげで、倒れ込んだ自分の視点が、大きく下にズレていることに気付かった。

 そう、純白のショーツが見えてしまうほどに。

「いや違うぞ、これは故意じゃない。美樹、落ち着くんだ。一度クールになろう」

「うるさい……うるさいっ! 凪なんか助けなければよかったっ!! こんな変態に預けておけないわ! 行こう、フィリアちゃん!!」

「ええ!? ナギのそばにいるっ! フィリア、ナギのそばがいい!!」

 フィリアは抵抗するものの、美樹は腕を掴んでそのまま連れていってしまった。

 唖然として見送るしかできない凪。

 そんな彼に手を差し出したのは姫子だった。

「もし凪君がフィリア君を助けられたなら、すぐに学園から連れ出す……彼女はそう言っていたよ。彼女なりに、キミの体調を気遣ったのだろう」

「……わかってます。さすがに疲れましたから」

 差し出された手を掴むと、姫子の力を借りて立ち上がる。

 すると、すぐさま姫子は凪の顔を覗き込んだ。

「本当に連れ戻るとは……正直驚いたぞ。ますます、君が考えついた必勝法が気になるところだ。やはり教えてくれないのかな?」

「説明は……いろいろ面倒です。実践も、もうできませんし。だから、これだけお見せします」

 凪は自分の割当容量を表す数字を見せる。分母の桁数が二〇〇を超えた数字を。 

「これが必勝法の結果だと?」

「はい。僕はもう割当容量をほとんど持っていません。そうなることで、フィリアを取り戻しました。だから、後悔は……ないんです」

「そうか……ならば私もこれ以上は問わないことにする。ほら、彼女達を追いかけろ。後を追う者がいないよう、殿は私が務めよう」

 姫子の言葉に、凪はゆっくりと頷いた。

 駆け出した少年は、もう戻ることはないだろう学園から飛び出し、二人の少女を追いかけていく。

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