第4話
「俺は……欠陥品だよ。本当……きっと世の中にとって、何の役になんて立たないんだろう。だから、何も持ってないのが当たり前で……お前に奪われたものだって、始めから俺のものにならない借り物だったって思ってたし……今でもそう思う」
「わかってるじゃないかっ! なあ、お前も手を貸せ。コイツから話を聞けよ。お前ならできるんだろ? コイツを作ったヤツの居場所を聞き出せよ。そうしたら、保護してやるぜ。どんなゴミクズでも、俺の役に立つなら使ってやる。な? 悪くない話だろ」
ランは優越感を隠そうともしない。垂らされる甘い蜜のような誘惑は、凪の心をわずかに痺れさせる。
「はっはっは! ああ全くもって……いい話だ。すぐにでも頷いて、お前の靴に口づけでもしてみたい気分になるよ」
「なら、してみせるといいさ!」
「いいや、お断りだっ!!」
「なに……?」
凪は一歩だけ前に出る。
「ふぅ……こういう気分なんだな。いつもこういう気持ちで、お前は俺を見てたわけだ」
「何の話だ? はっ! 頭を蹴られすぎて、イカれちまったのか?」
「違うさ。俺の頭は至って晴れやかだ。なにせ、俺の勝利は決まってる。『絶対に勝てる』って立場は、こういうものなんだなって……相手が哀れに見えるもんなんだなって、感心してただけさ」
「絶対に勝てる……? 誰が、誰にだぁ!?」
質問であるにもかかわらず、ランはその答えを理解している。その上で、怒りをぶつけるように問いただした。
「勝つんだよっ! 俺がッ! お前にッッ!!!」
凪は右腕を前に突き出した。完全起動されたデバイスに向け、勝利の一手となる言葉を叫んでみせる。
「何も持たずに生まれた俺だ! だからせめて……せめてっ! 手にしたものくらい守ってみせろ、一条凪っ!!」
これが最後。全てにケリを付ける最後の……。
「個別言語ッ!! 〈神は死んだ(ツラトゥストラ)!!〉」
……。
何も起きない。
ランは一度周囲を見回してみるが、何の変化も起きないことを確認する。
「ふふふ……あーっはっはっは!! 欠陥品は欠陥品だったな! 容量うんぬんどころか、頭の中身まで足りていないらしい! まったく、身のほどを知れよ!!」
ランが放つ蔑みの言葉を他所に、凪は余裕の表情を浮かべる。
「……知ってるさ。いやというほど、な。だから……足りない人間だから、俺はお前に勝ったんだ!」
「もういいぞっ! お前の戯言に付き合ってられるかっ! 人間もどきの口は、お前をボコボコにした後で割らせてやる!! 発動言語、〈赤の烈弾〉!」
……。
ランの声だけが虚しく響く。
「な……なんで何も? ぐわっ!」
ランが顕現を行おうとした瞬間、凪は走り出していた。戸惑うランの顔に拳を叩き込む。
が、体にダメージが残っていたせいか、上手く力が入らない。軽く当たっただけになってしまった。
「キサマっ……いや、それよりもどうして……顕現が始まらない!」
「さて、何でだろうな?」
「ふざけるなっ! 何かの間違いだ……発動言語! 〈線上の蒼〉!!」
ランは凪に右腕をかざして叫ぶ。だが、やはり何も起こらない。
それを見越して、凪は飛び込み、ランの腕を打ち払う。そして、懐に入り込むと、腹部に強烈なパンチを加えた。
「これでも……一年だけボクシング部にいたからな。多少は心得があるんだよ」
「……ありえない。なんで顕現が……お前、まさか俺の真似を!?」
「いいや、違うね。それはできない……そんなこと、お前が一番よくわかってるだろ。真似たところで、お前には通用しないって、な」
凪の言葉に、ランは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。だが、凪は続ける。
「お前の固有演算は、鏡写し(ミラーリング)と割り込み(インタラプト)だろ? 相手の演算を……分析の段階で追跡、模倣する。そして、顕現が起きる前に別の顕現を差し込むことで邪魔してるんだ」
顕現は〈イデア〉の持つ膨大な処理能力による素粒子レベルでの環境解析によって成立する。
バタフライ効果――蝶々の羽ばたきが、地球の反対側でハリケーンを生むという理論を、圧倒的な演算能力で再現する。それが顕現の本質である。
世界中で起こるあらゆる状況を完璧に解析し、現象を分析し、波及効果までも知り得たならどんな奇跡でも可能になる。〈イデア〉はそれを実現できるコンピュータだった。
〈イデア〉の分析は万物に及ぶ以上、当然ながら人間の行動さえも解析により予測される。
故に「顕現を邪魔する」ことは不可能である。
ただし、〈イデア〉には一つだけ解析対象にできないものがあった。
それは「自分自身」である。
自らを解析するという行為は、自らを変質させる可能性があるからだ。
解析によって自身を変質さえれば、解析は不十分となり、さらなる解析が必要になる。それは無限に繋がるループに囚われることを意味した。〈イデア〉の機能を著しく損なう可能性があるために、自らを解析することはできない。
それが〈イデア〉の持つ唯一の欠点。
しかし、本来はそれが致命的になることはない。なぜなら、〈イデア〉の本質を理解しようなどとは誰も思わないからだ。
「お前は……〈イデア〉が自らを……自らの演算を解析できない点を逆手に取った。割り込ませた顕現は、周囲の環境に変化を与える。それは、本来起こるはずの現象を邪魔するんだ。〈イデア〉が手繰り寄せるはずの奇跡のような確率を……割り込ませた顕現がわずかに環境を変えることで、魔法に至るための細い糸を切ってしまうことを思いついたんだ!」
「……ああ、そうさ! だが、わかったところでっ!」
「わかったところで意味はない! お前の無効化(キャンセリング)は、格上には通用しないんだろ? だから、姫子さんには敵わないっ!」
相手の解析を真似する――それはつまり、自分の解析が一歩出遅れることを意味する。だから、顕現に至る前に相手の処理速度を追い抜かなければいけない。どれだけ顕現させる現象を簡易なものに設定しても、同じ〈イデア〉の処理能力を利用している以上、それは容易ではない。
「同位階か……あるいは一つ上くらいまでだろうな、通用するのは。だから、無効化の固有演算を組んでからも、お前は姫子さんと直接争うのを避けてたんだろ?」
「う……うるさいっ! うるさいんだよ、欠陥品がぁぁ! いいか、俺があの女に勝てないのは、割当容量が小さいからだ! 同じなら……同じ位階なら、俺はアイツに負けたりしないんだよっっ!」
図星を突かれたせいか、はたまた負けを認めたくないからか……ランは額に汗を浮かべ、目を血走らせながら叫んだ。
「だからっ……!」
ランの視線がフィリアへと向く。あまりにも鋭い眼差しに、彼女は少しだけ怯えたような表情を浮かべた。
だが、凪はそれに気付いて、少しだけ笑ってみせる。すると、フィリアの体の震えが止まる。
フィリアが落ち着いたのを確認してから、凪は改めてランを見据えた。
「俺がお前の真似をしても意味がない。届くわけがない。他の方法が必要だ。顕現では勝てない、除魔されるだけだ。それがなくても、まともな勝負じゃ歯が立たない。だから……まともな考えは捨てることにした」
「黙れよ! お前の話なんて興味ないっ! 発動言語、〈氷結の刻(スノーホワイト)〉! 発動言語、〈嵐陣(エクストリーム)〉!! 発動言語、〈鉄火の拳〉!!」
次から次へと顕現を実行しようとするラン。しかし、いくら声を上げても何も起こらないまま。
「おかしい……おかしいだろうがっ! 俺の〈鏡面断射(ミラーリング・キャンセラー)〉がある限り、お前がどんな顕現をしたって全部打ち消せるはずだっ!」
「全部……じゃないだろ? お前の固有演算には穴があるだろ? いや、網目とでも呼ぶべきかな」
「……っ! お前、何言ってやがる! 俺のコードは完璧だ」
「二割……いや、想定敵が姫子さんなら一割五分ってところか? 割当容量の十五%を超えた演算だけを追いかけているんだろ? もし全ての演算を追いかけていたら、支払い用みたいな細々したものまで捉えちまう……それじゃ、どれだけ容量があっても追跡しきれなくなる」
物品の購入に割当容量を支払う場合、容量自体が失われるわけではない。自分の容量内で、演算の肩代わりを行っているだけだ。
だから、一般的な生活をしている人間なら、誰もが常に極めて細かな演算を行っている。ランの追跡は、そうした小さな演算は避けるように設定がされていた。
「十五%未満の演算だと? それで一体何が顕現できるっていうんだ! まして、オマエみたいな二九位階の欠陥品風情がっ!!」
言葉こそ強気だが、ランは叫ぶ度に一歩後退する。そして、その分だけ凪は前進した。
「言ったろ、足りない俺だから……お前に勝つんだ、って。なあ、ラン。俺は今、どれだけ持ってる?」
ランは凪の言葉の意味がすぐには理解できなかった。
だが、彼が割当容量の話をしていることに思い当たると、すぐさまデバイスが浮かべる画面に目を向ける。
両者がデバイスを完全起動して行われる決闘において、相手の容量を確認するのは当然のこと。
だが、ランは凪の体質を知っていたために、そうした確認をしていなかった。する必要もないと思っていた。
だがもし、何らかの方法で容量を引き上げることができていたなら……。
「俺が負ける……あるか、あるものかっ! そんなことが!」
ランの目に映ったのは、圧倒的な低さを誇る割当容量の数値。眼の前の男とは以前として、自分よりも遥かに格下である。だからホッと息を吐いた。
が、次の瞬間、目を疑うことになる。
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