第9話
どれだけ時間が経っただろうか。
締め切ったカーテンの隙間から入り込んでいた明かりはすっかり消えてなくなり、電灯が点いていない部屋の中は真っ暗になっていた。ラップトップ画面の光を除いては。
何時間もコンピュータと睨めっこをしていたせいで、さすがに凪も疲れてしまう。
そろそろ寝ようと、ラップトップの電源はそのままに、自分の布団に倒れ込むように寝転がった。
ごちんっ!
勢いよく横になると、その衝撃で本棚まで揺れたらしい。上から一冊の本が落ちてきて、凪の頭に直撃した。
「いってー……いったい何だってんだよ」
まるで天罰みたいなタイミングで、頭に落ちてきた「ソレ」をゆっくりと手に取る。
「これは……『不思議の国のアリス』? そうか、借りたままになって……一緒に読んでやるって言ったのにな、結局ほとんど……」
そう思いながら、何気なく本を開いてみる。
それは一人の少女が、不思議な国を旅するお話。狭すぎて通れないドアを、小さくなる魔法の薬で通り抜けたり、巨大化するケーキを食べて泣いてしまったり……。
不可思議で理不尽な出来事が続いていくけれど、目覚めれば大好きな姉の膝枕の上だった。
どんなに嫌なことだって、どんなにヒドいことだって、全てが夢ならきっと忘れてしまえるのに。
『ナギ? どうしたの?』
驚いて振り返る。でも、そこには誰もいない。
『ナギ、大丈夫?』
もう一度振り返る。けれど、やはり誰もいない。
声だけが聞こえてくる。姿はないのに。
「猫のない笑いだって? そんなのはおとぎ話だけに……してくれ、よ」
ポタリ。
本に小さなシミがつく。
一つ、二つ、三つ……。
どんどん増える不思議なシミに、凪は何が起きているのか分からなかった。
「これ、借り物の本なのに。なんで、シミなんか……」
それは止めようとして止められるものではなく。
拭うことしかできないから、凪はすぐに本を閉じて、腕で必死に頬をこすった。
「なんで、どうして……どうしろってんだ! どうしたって戻ってこないだろ……クールになれ! 現実を見ろ! 俺は……オレはっ!」
寂しい。
それが現実である。
独りになることが、こんなにも寂しいなんて……知らなかった。
いや、知っていながら知らないフリをしてきた。
大丈夫、問題はない。何もなくても、全部失っても、きちんとやっていけるはず。
そう思い込んで、「苦しい」って叫ぶ声から目を背けた。
「けど、ダメだろ……これだけは。俺の名前を、『ナギ』って読んでくれるアイツを……諦めて、いいはず……」
助けたい?
違う。
助けてほしい。
ずっと独りだった自分のそばに、突如として現れた少女。彼女がくれた『救い』を手放したくない。
「でも、どうすればいい? フィリアを取り戻す方法なんてあるのか?」
白野姫子は言っていた。「不正はなかったと証明できればいい」と。だが、彼女に過去の経歴がないにも関わらず、転入ができたという事実から、おそらく不正は存在している。
どうやって〈イデア〉を騙したのかは分からない。だが、事実として彼女は学園の生徒になった。なら、ハッキングか、それに近いことが行われたはず。正式な手段を用いて、フィリアを取り戻すのは不可能だろう。
「なら、力づく……? それこそ無理だろ。アイツに、俺が敵うはずがない」
これまでの経験として。そして、実際に戦ってみた記憶として、力の差は明らかだった。
「そもそも、ランの前だと顕現が使えなくなっていた。あれは一体何だった?」
確かに発動言語を入力したにも関わらず、顕現は行われなかった。
「頭痛があった。演算は行われていたんだ。なら、どうして顕現が起こらなかった? あらゆる要素を計算し、奇跡のような超低確率の事象を引き起こすのが顕現だ。処理能力が足りず、演算が行われないことはある……だが、演算が行われたにも関わらず、何も起きないなんてこと……」
凪は布団にごろりと寝転んだ。一度考え事を始めると、他のことが頭から追い出されてしまう特性は、今の彼にとって安らぎだったのだろう。
自らの経験した不可思議な現象について思案しているうちに、いつの間にか微睡みへと誘われてしまった。
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