悪役令嬢のお父様は今日も忙しい

桜草 野和

短編小説

「それでね、お父様。お願いというのは、お父様の護身用の銃を、今日だけお借りしたいのです。フィアンセに婚約破棄された世界一不幸な娘が、元フィアンセが結婚式を挙げる今日という最悪の日にするお願いですから、選択肢は一つだけですよね」





「わかったよ。おもちゃではないから、取り扱いには注意するのだよ」





「はい、お父様」





 本当は銃の取り扱いについて心配などしていない。婚約破棄されてから、ニコールは庭で狙撃の練習に明け暮れていた。


 さらには、モンスターが潜む森に入り込み、ガーゴイルを仕留める実践練習も行っていた。





 俺は机の引き出しから銃を取り出すとニコールに渡す。





「お父様、ありがとう」





 ニコールはそう言って、寝室から出て行く。





 俺は知っている。ニコールが先ほど渡した銃で何を企んでいるのかを……。





 窓から庭を覗くと、銃で武装した傭兵どもが15人ほど集まっていた。





 ニコールは庭に出ると、その傭兵どもを従えて外出する。





 婚約破棄された元フィアンセ、ウイリアムと、そのウイリアムを奪ったエマの結婚式を襲撃する気なのだ。





 しかも、わざわざ俺の銃を持って行くということは、現場にその銃を置いて、犯人を俺に仕立て上げようとしている。


 “婚約破棄された愛する娘の復讐”という立派な動機をつくることができる。


 もし、もみ消すことができなくても、自分が捕まらないように最悪のケースも想定している。





 極めて賢い子だ。





 もちろん、俺は絶対的な権力をつかって、赤く染まるであろうその結婚式場を真っ白にすることができる。


 事件など何もなかった。ウイリアムとエマは失踪した。誰もそれ以上のことは追及してこない。





 ウイリアムの父親であり、騎士団長のトムが多少、騒ぎ立てるかもしれないが、本気になればすぐに黙らせることができる。この時代では、階級が絶対なのだ。





 エマは靴屋の娘だから、そういった意味では何の心配もいらない。





 ではなぜ、ニコールはウイリアムに婚約を破棄されてしまったのか……。





 執事のロバートに調べさせた限りでは、ニコールは他の国にもそのイケメンっぷりが知れ渡っている元フィアンセ、ウイリアムと是が非でも結婚しようと、ウイリアムに近寄って来る女は片っ端からいじめ、その家族までも「どうなってもしらないわよ」と脅していた。





 実際、花屋の娘がちょっとだけニコールに反抗したとき、その日中に花屋を閉店に追い込んだことはもちろん、その親族の仕事もすべて奪ってしまったそうだ。




 これらのことはあくまでもロバートが調べて入手できた情報にすぎない。ニコールがウイリアムと結婚しようと、他にも手段を択ばずに、あの手この手を使って、婚約に至ったことは容易に想像できた。





 とにかくハートが強い。





 しかし、ウイリアムは、この街に引っ越してきた絶世の美女、エマに一目惚れしてしまう。


 ニコールは努力の甲斐虚しく、一途に尽くしてきたウイリアムに婚約破棄されてしまったのだ。





 俺がクリストファー・ラーマン伯爵と入れ替わったのは、その翌日のことだった。





 もちろん、ニコールは反撃に出て、街中の人にエマを無視させ、エマの両親が経営する靴屋で何も買わないように強制した。





 だが、エマも両親も、ニコールの報復に屈しなかった。流れ上、俺もウイリアムの父であり騎士団長のトムに圧力をかけたが、頑固な男で「息子の恋路に口出しはできません」と聞く耳を持たなかった。








 「旦那様、ご朝食のご用意ができております」





 執事のロバートが姿を現す。俺に緊張感が走る。最も苦手な相手だ。








 クリストファー・ラーマン伯爵が寡黙な人物で助かった。俺は無言で朝食を食べる。


 執事のロバートが近くで待機している。


 ロバートはいつ俺に呼ばれてもいいようにそうしているのだろうが、俺からしたら見張られている感じがして気を抜くことができない。





 ある朝(ニコールが婚約破棄された翌日)、目が覚めたとき、俺はクリストファー・ラーマン伯爵と入れ替わっていた。





 英語が読めて助かった。


 何か情報を得ようと新聞を読むと、『今月3人目のなりすまし犯捕まる』という見出しがあり、人格が入れ替わったままなりすまして暮らしている者が増えており、見つけた場合はすみやかに通報してほしいと書かれていた。





 過去の新聞も読んでみると、なりすまし犯は問答無用で処刑されていた。どうして入れ替わるのか原因不明のため、他の者にうつらないように処刑しているようだった。無茶苦茶な話だ。





 つまり、絶対的な権力を持つ、クリストファー・ラーマン伯爵といえど、入れ替わっていることがバレたらアウトだ。権力をつかってもみ消すことはできない。なりすまし犯として処刑されてしまうのだ。





 クリストファー・ラーマン伯爵と入れ替わったから英語が読めるのか、それとも俺はもともと英語に長けているのかわからない。





 なぜなら、俺には入れ替わる前の記憶がないからだ。





 ただはっきりしているのは、俺はクリストファー・ラーマン伯爵ではなく、違う人物だったということだけだ。





 いつの時代で、どこの国で暮らしていて、何歳だったのか、まったくわからない。


 無意識に自分のことを俺と称しているので、性別は男だったのだろう。








 とにかく情報が必要だったので、この状況になってしまった日、





「伯爵たる者、もっと己を知り、世の役に立たねばならぬ」





と理由をつけ、ロバートにクリストファー・ラーマン伯爵のことを庶民がどう思っているのか調べさせた。





 もちろん、この方法にはリスクもあった。





 急な指示をうけたロバートは、俺がクリストファー・ラーマン伯爵になりすましているのではないかと疑ってきた。





「旦那様、なりすまし犯と誤解されるような言動にはご注意ください」





と言ってきて、俺はあやうく、「わかっている。心配ない」と返事をしそうになった。





 立場上、俺を問い詰めることができない、ロバートがさり気なくかまをかけてきたのだ。





 もし、あのとき、俺が「わかっている」もしくは「心配ない」のどちらかの言葉をつかっていたら、なりすまし犯としてロバートは通報していただろう。





 もちろん、「わかっている」は文字通り、自分がなりすまし犯であることを認めることになる。





 「心配ない」もダメだ。人格が入れ替わる原因はわかっていない。それなのに「心配ない」という人物は、すでに人格が入れ替わっているなりすまし犯か、何も考えていないアホだ。





 クリストファー・ラーマン伯爵はそんな愚かな人物ではなかっただろうから、「心配ない」も死亡フラグが立つ危険なワードだったのだ。





「敵は常にいるものだ。誰にでもな。警戒を怠ることはない」





と俺は返事をした。無難だったと思う。まあ、俺が一番警戒しているのは、ロバートなのだが。





 ともあれ、リスクを冒してリサーチをした結果、クリストファー・ラーマン伯爵は寡黙で、成功のためには手段を択ばず、誰も信用せず、お酒も飲まないようにしていた、非情で用心深い自分物であることがわかった。





 つまり、ニコールそっくりだったのだ。いや、逆か。クリストファー・ラーマン伯爵に……、俺にニコールはそっくりなのだ。当たり前のことだけど、親子なのだ。








 朝食を食べ終えると、娘のニコールを助けるために、万年魔女に会いに行くことにした。


 本来なら予約で187日と6時間待ちの超人気魔女だが、ラーマン一族に代々伝わる“古代の杖”をくれるのなら、至急時間をつくってくれるとアシスタントの魔女が言ってくれた。





 俺は“古代の杖”の価値はわからないし、娘より大切なものはないと判断したので、万年魔女にあげることにした。





 そして、今日アポイントをとることができたのだ。


 今なら、まだ間に合う。ニコールを助けることができる。





 ニコールだって、根っからの悪ではない。





 なぜなら、ほぼ毎日、仮面舞踏会へ行き2日酔いが途切れることのない、妻のメアリーヌ(本当の妻でなくてよかった)は、





「ニコール、小さい頃は優しい子だったから心配したけれど、余計な心配だったわ」





と話していた。





 それに、ロバートにクリストファー・ラーマン伯爵について調べさせたとき、





「小さい頃は優しい子だった」





と語った庶民が数名いたことの報告を受けているからだ。





 クリストファー・ラーマン伯爵も、ニコールも小さい頃は優しい子だった。





 時間とともに自然と悪人になったのか?





 俺はそうは思わない。





 何かきっかけがあったはずだ。悪業に手を染めても何とも思わないようになってしまった決定的な出来事が……。











 万年魔女のオフィスは、街中の一等地にあった。しかも最上階だ。





 この世界の魔女はかなり儲かっているみたいだ。





 街頭では、少年が軽快なリズムでバイオリンを演奏していた。大勢の人が手拍子をしてノリノリで聴いていた。





 騒ぎを聞きつけた騎馬警官隊がやって来るが、俺がシッシッと手で帰るように促すと、即座に引き返して行った。


 こんなに素晴らしい演奏の邪魔をしようとするとは、むしろそっちのほうがよほど罪深い。


 バイオリンを弾いている少年は、俺の行動に気づいたようで、軽く会釈した。





 俺は少年のバイオリンケースに、財布に入っていたお金を全てドバッと入れた。一度こういうことをやってみたかったし、少年の演奏はそれに十分に値した。





「さすが、伯爵様だ」





「素敵なお方だ」





とか言われるのかなと思っていたが、皆驚いてポカンとしている。





 しまった! 本物のクリストファー・ラーマン伯爵が、こんないい人っぽいことするわけないっ!


 大勢の人になりすまし犯だと疑われてしまう!





「おおー! さすが、伯爵様だ!」





「少年、伯爵様に感謝するんだぞ!」





 俺に向かって拍手が沸き起こる。


 少年は深々と頭を下げる。





 焦ったー! リアクションまで時差ありすぎじゃないか! なるほどな。クリストファー・ラーマン伯爵は、ずる賢くこんな感じでチップをやって、優しさと権力をアピールしていたのだろう。








 俺は万年魔女のオフィスがある建物に入ると、地下でゴブリンどもが引っ張って動く仕組みのエレベーターに乗り、最上階まで上がる。


 少年の演奏に聴き入っていたので、5分ほど遅れてしまった。





 トントン、とノックをしようとすると、見るからに重そうな鉄の扉が開いた。





 中に入ると、趣味の悪い彫刻があり、アシスタントの魔女が受付にいた。アシスタントと言っても軽く100歳は超えている





「お待ちしておりました。先生は奥のお部屋でお待ちです。時間は30分ですので必ずお守りください。1秒でも過ぎてしまいますと、先生の魔法で石にされてしまいますので。さあ、どうぞ」





 この趣味の悪い彫刻は、時間を守らなかった人たちだったのか。石になるのも嫌だが、ここに飾られて、アシスタントの魔女と同じ時間を過ごすことに恐怖を感じる。





 ニコールには悪いが、話の途中でも5分前には出て行くことにしよう。








 俺は奥の部屋の前に立つ。


 これまた重そうな鉄の扉があるが、なかなか開かない。





「何をしているのです? 礼儀正しくノックをして、中にお入りください」





とアシスタントの魔女が言う。





 何だここは、魔法の力で扉が開かないのか。それに、魔女が礼儀を気にしていることを始めて知った。





 トントン、とノックをしようとすると、鉄の扉が開く。





「アヒヒヒヒャッ。アヒヒヒヒャッ」





 アシスタントの魔女が大笑いしている。





中の部屋からも、





「チュチュチュチュー、チュチュチュチュー」





と妙な声が聞こえてくる。





 どうやらこうやっていつも、来客をからかっているようだ。礼儀なんかやっぱり気にしていないではないか。





 ちょっと不快に思いながら、中に入るが、誰もいない。





「チュチュチュチュー、チュチュチュチュー」





と妙な声があいかわらず聞こえる。





 俺が声がするほうに近づいていくと、革張りのイスからヒュッとジャンプしたネズミが、5回転してデスクに着地する。





 立派な生地のスーツを着ている。





「チュチュチュー、ひっかかったでちゅねー。チュチュチュチュー」





 おいおい、こんなくだらないことで時間を使うなよ。どうやらこのネズミが万年魔女のようだ。





「ではまず、約束の物をいただくでちゅ」





 俺は胸ポケットに入れてきた、つまようじくらいの大きさの杖を渡した。


 俺には普通の杖を、小さくしただけのものにしか見えない。





「こ、これでちゅ。本物でちゅ。この古代の杖があれば、魔力大幅アップでちゅ」





 そうなのか、それはありがたい。





「で、何が望みなのでちゅか?」





「まずは、娘のニコールがどうして、冷徹で卑怯な人間になってしまったのか、そのきっかけとなった出来事を教えてくれ」





「チュチュチュッ。おやすいご用でちゅ。この鏡をみるでちゅ。チュチュイのチューイ!」





 すると、デスクに置かれていた小さな鏡に、まだ9歳か10歳くらいのかわいい女の子が映る。ニコールだ。小さい頃からこんなにかわいかったのか。俺は小さな鏡に顔を寄せる。もっと大きな鏡で見たかったが仕方ない。





 ニコールはポーチを大事そうに抱えて街を歩いていた。


 すると、物乞いをしている盲目の老婆が座っていることに気付く。





 ニコールはしばし考えると、ポーチからパンパンに膨らんでいるかわいいお財布を出して、銅貨一枚を老婆の前に置かれていた木の皿に入れる。





「このときは、お金いっぱい持ってきたから大丈夫だと思っていたでちゅ。あっ、これはニコールの気持ちでちゅね」





 ニコールは老婆のもとから離れると、さらに路地を進んで、楽器屋さんに入って行く。





 そして、バイオリンを指さすと、それを店員さんにとってもらい、パンパンのお財布を取り出して、中身を全部出す。





 しかし、店員さんは首を横に振る。





「銅貨1枚分、足りなかったでちゅ」





 ニコールはお願い、お願いと頭を下げている。今のニコールには考えられない行動だ。





 店員さんが困っていると、当時のニコールと同じく、9歳か10歳くらいの女の子が、執事と一緒に店に入って来る。


 その女の子は、ニコールが買おうとしていたバイオリンを奪うように手に取り、代金を執事に支払わせる。


 この執事、どこかで見たことがあるような……。





 店員さんはニコールに申し訳なさそうにしながら、後から来た女の子の執事から代金を受け取る。





 そして、その女の子は勝ち誇ったような顔をニコールに見せると、バイオリンを持って執事と店から出て行った。





 ニコールの目からは大粒の涙があふれ出ていた。








 ニコールはしょんぼりした様子で楽器店を出ると、うつむいて歩き、通行人とぶつかってしまう。





「どこ見て歩いているのでちゅ! ちゃんと前を見て歩きなでちゅ! クソガキっちゅ!」





 万年魔女が会話を再現してくれる。なんだか、かわいくなってしまっている気もするが、まあ音声がないよりは助かる。





「す、すみまチュチュ……」





 ニコールは立ち上がって謝ろうとすると、驚きのあまり言葉を失ってしまう。





 それはそうだ。ニコールがぶつかった相手は、先ほど銅貨1枚をめぐんでやった老婆だった。





「騙したのでちゅね。酷いでちゅ。その銅貨があれば、あのバイオリン買えていたでちゅ。約束していたバイオリン買えたでちゅ……」





 ニコールが老婆の服の袖を引っ張って訴えかけるが、老婆は力尽くで払いのける。その拍子に、ニコールは転んでしまう。





「痛いでちゅ」





「なーに、甘いこといっているのでちゅ。騙されるほうが悪いに決まっているでちゅ。おバカなお嬢ちゃんでちゅ。チュチュチュチュッ。チュチュチュチュッ」





「ゆ、許さないでちゅ。絶対に許さないでちゅ」





 ニコールの目つきが変わる。せっかく透き通るほどキレイなブルーの瞳なのに、瞳の奥が凍っている。今のニコールの瞳は、この時凍ってしまっていたのか。





 それにしても、万年魔女の一人二役、なかなか見事だ。








 鏡に映っている映像が場面転換する。





 家だ。ニコールが怒り、悲しみ、悔しさが入り混じった涙を流しながら走って帰って来る。





 門のところで、ニコールと同じくらいの年の男の子が待っている。





 ニコールの表情が曇る。





「ねえ、バイオリンはどこでちゅ。僕の誕生日にくれるって約束していたバイオリンでちゅ」





 男の子は目をキラッキラさせている。





「……か、買えなかったでちゅ。お、お婆ちゃんに騙されてでちゅ……」





「そ、そんなーでちゅ!! 僕、楽しみにしていたでちゅ!! この大嘘つき、大嫌いでちゅ!!」





 男の子が走り去っていこうとすると、先ほど楽器屋でバイオリンを買った女の子が姿を現す。





 執事の姿はない。自分だけの力で買ったことにしたかったのだろう。





 女の子はバイオリンを男の子に渡す。





「お誕生日、おめでとうでちゅ」





「あ、ありがとうでちゅ!!」





 男の子はバイオリンを抱きしめて大喜びしている。





 女の子はまたしても勝ち誇った様子で、ニコールを見ている。





 ニコールは逃げないでその様子をしっかりと胸に刻んでいる。たった2ヶ月でも、ニコールの父親になっているからか、それがわかる。





 そして、その様子を妻のメアリーヌが2階の寝室の窓からタバコを吸いながら見ていた。





 映像が消えて、普通の鏡に戻る。








「これが、ニコールが冷徹で卑怯な人間になってしまった出来事でちゅ」





 やっぱり、こういう辛い体験をしていたのか……。





「用件はこれだけでいいでちゅか? これだけで古代の杖をもらうのもちょっと悪い気がするでちゅよ」





 頼みたいことはもう一つあった。その出来事がなかったことにしてほしい、ということだ。でも、本当にそれでいいのだろうか? なかったことにしても、また違うで出来事に襲われて、ニコールは冷徹で非情な人間になってしまうのではないだろうか?





 まして俺のような目的のためなら手段を択ばない父親に育てられているのだ。普通の子供たちよりも、道をそれてしまいやすい。





 やっぱり過去を変えてもダメだ。今を変えなければ、未来は変わらない。





「今すぐ俺を、ウイリアムとエマの結婚式場に飛ばしてほしいのだが、できるか?」





「チュチュチュ。古代の杖を手にした今のワタちゅには容易いことでちゅ! チュチュイのチューイ!」





「ウォ、ウォ、ウォォーーー」





 次の瞬間、俺はこの街で最も格式の高い教会の前にいた。





 ウイリアムとエマの結婚式場だ。





 そこでは、騎士団長のトム率いる騎士団と、ニコール率いる傭兵の軍団が、激しい戦闘を繰り広げていた。





 よかった。間に合った。





「お父様……」





「ウヌッ……伯爵様……」





 俺を見ると、たちまち戦闘が中断される。どうやら、クリストファー・ラーマン伯爵という人物は俺が思っているよりも何倍も酷い奴のようだ。騎士団も傭兵も、俺を恐れている。





 俺は真ん中を通って、教会に入ろうとする。





「いくら伯爵様とはいえ、息子の結婚には……」





 トムが俺を止めようとするが、ひと睨みすると、





「な、なんでもありません……」





と引き下がる。





「お父様、大好きっ!!」





 ニコールが青い瞳をキラキラさせて俺に抱きついてくる。やっぱり瞳の奥は凍っている。





「助けに来てくれたのですね。それでは、これをお返ししますわ」





 ニコールは俺から借りた銃を返す。





 俺は受け取ると、銃弾を捨ててから、銃を内ポケットにしまう。





「お、お父様、何をするのですか?」





 俺は返事をしないで、教会のドアを開く。





 すると、新郎のウイリアムと新婦のエマが誓いのキスをするところだった。





「騒がしいのが治まったと思ったら、今度は教会にまで入って来るなんて……。いくら伯爵様でも、止められませんよ。俺は死んでもいいから、エマと結婚します」





 ウイリアムの目は本気だった。





 でも、エマの目に覚悟はなかった。





「エマ、結婚してすぐに殺されても、俺たちの愛は永遠だよ」





 ウイリアムがそう言うと、





「い、嫌よ。死ぬのなんてごめんだわ。私はただ、私は……」





とエマが拒絶して、うろたえる。





「私はただ、ニコールが欲しがっている物を奪いたかっただけなの」





 俺はエマの言葉の続きを言ってやった。





「ど、どういうことなんだ? エマ、本当なのか?」





「お、お父様はいったい何を知っておられるのですか?」





 ゆっくりとニコールが近づいて来る。





 すると、教会にいた音楽団の1人が突然立ち上がる。





 万年魔女のオフィスの近くでバイオリンを弾いていた少年だった。





 その少年は、ニコールのもとに歩み寄り、





「ご、ごめんよ、ニコール。僕だよ、ウィルだよ。覚えているだろ。君に酷いことを言ってしまったウィルだよ」





「……」





 ニコールは返事をできずに、逃げ出そうとする。





「待って!」





 ウィルはニコールの腕を掴む。





「は、離してよ!」





「嫌だ! もう絶対に離すもんか! あのとき、ニコールが言っていたことは本当だったんだね。信じることができなくて本当にごめん。久しぶりにこの街に帰ってきて演奏していたとき、盲目のふりをして物乞いをしていた老婆がいたという話を聞いたんだ」





「今さらもう遅いわよ!」





「そうだね。遅いよね。遅すぎるよね……。でもさ、だからさ、その遅れた分の愛を、今の愛に足して、僕はニコールを愛することができるんだ」





 ウィルはニコールにキスをする。





 ニコールは拒まない。





 何展開ですか? 途中から俺が考えていた展開と違うぞ。





 俺は万年魔女のオフィスで映像を見ている途中で、ニコールから奪うようにバイオリンを買った女の子の執事が、誰だったか思い出していた。





 そう、この教会にいてエマの“父親役”をしているこの男だ。


 “母親役”をしているのは、きっとメイドなのだろう。





 エマは貴族の娘なのだ。だから、靴屋を始めたのに売れなくても困ることはなかったのだ。





 エマはきっと、近隣の国にまでそのイケメンっぷりが噂になっていたウイリアムが、ニコールと結婚することを知り、わざわざこの街に戻って来たのだ。あのとき、ニコールからウィルを奪い取ったときの快感を思い出して……。そして、そのニコールとウイリアムが結婚するのが許せなくて……。





 俺はそのことをばらして結婚を台無しにすれば、ニコールとウイリアムがよりを戻して、ニコールが真実の愛に目覚め、善良な人間に生まれ変わるかもしれない……そう考えていたのだ。





 ようやく、ニコールとウィルは長い長いキスを中断する。





「愛しているよ、ニコール」





「私も、ウィル」





「僕と結婚してくれるかい?」





「もちろんよ、ウィル」





 そう即答したニコールの瞳の奥はもう凍っていなかった。





 ニコールとウィルは誓いのキスをする。





 牧師さんも、どうしていいかわからず茫然としている。





「ほらっ、ぼっーとしてないで、音楽で盛り上げてちょうだい!」





 この声は! 妻のメアリーヌがいつの間にか、教会に来ていた。





 すると、ウィルが誓いのキスを中断して、





「あっ、あなたは、僕に結婚式での演奏を依頼されたマダムではないですか? どうしてここに?」





 多分、今ここにいる全員がそう思っている。





「娘の大切な結婚式ですもの。参列するのが当たり前でしょ」





 す、すべて知っていたのだな!? なぜニコールが冷徹で非情な人間になってしまったのか……。いや、まて、そもそもそこから俺は勘違いをしていたのか……。





「もしかして、あの老婆……」





「ええ、私が仕込んだのよ」





「ええーーー!!!!!」





 ニコールとウィルが息ピッタリで驚く。





「あなたは国を守る使命を背負ったラーマン一族の娘なのです。優しさだけでは国は守れないのです。またいつ戦争が始まるかわかりません。それまでに、ニコール、あなたは強くなる必要があったのです。私の期待通り、あなたはお父様にも負けないほどの冷徹さと非情さを身につけました」





 これって、褒めているんだよな? そう言われると、褒めてもいいことなのかな? 俺もだんだんとラーマン一族の思考回路を身につけつつあるのかもしれない。





「そして、あなたは今、愛を知ったのです。真実の愛を。もう、大丈夫です。幸せになるのですよ、ニコール」





「お母様!」





 ニコールがメアリーヌに抱きつく。





 どうやら俺は警戒する相手を間違っていたようだ。


 メアリーヌはとっくに、俺がなりすまし犯だと気づいていたのだろう。




「楽しかったわよ、伯爵様。フフフッ」





 やっぱりそうだ。メアリーヌはそう言うと、俺に別れのキスをした。入れ替わっているとはいえ、夫婦だからだろうか。なぜだか、俺にはそれが伝わった。











 2ヶ月間も昏睡状態だったらしい。


 俺が目を覚ますと、恋人のサラが大粒の涙を流していた。


 記憶が一気に蘇る。





 音大の受験に失敗した俺は、自暴自棄になり、物乞いをしていた老婆のお金を盗んで逃げた。





 すると、逃げている途中に、ボールを追いかけて道に飛び出した子供を見て、とっさに助けようとして……パトカーに……。





 長い夢でも見ていたのかな。


 ハハハッ。そんなわけないか。俺の口まで酒臭くなっているじゃねぇかっ‼︎





 ニコール、ウィルと幸せに暮らすんだぞ……。そして、メアリーヌも結局一度も会えなかった本物のクリストファー・ラーマン伯爵と幸せに暮らしてほしいな……。





 よし、怪我が治ったら、もう一度バイオリンを買いに行こう。

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