―心葉堂―

第4話 蒼月と紅暁、紺樹―兄妹と年の離れた幼馴染―

 心葉堂は、クコ皇国でも老舗中の老舗である茶葉堂だ。首都に生まれた者なら、生まれて最初に口にする茶は心葉堂のものと言われるほどである。


 まず、控えめな様子で『心葉堂こころばどう』と刻まれている木扉の前に立つ。扉取手ドアノブを回すと、キキッと心地よい音と共に鈴の音が鳴る。この時、すでに甘いようでいて酸味の効いた香りが鼻腔をくすぐる。そのまま一歩足を踏み出すと、まるで別世界に迷い込んだような間隔に陥る。それが茶葉堂だ。

 クコ皇国の老舗中の老舗である茶葉堂。ここには茶葉や茶器にとどまらず、お茶うけの菓子などが並べられている。


「はぁ、どうしたものか。この客のいなさ加減」


 そんな店内にいる、蒼と紅の兄妹は少々暗い表情を浮かべているのであった。いや、不安げな愚痴を落としたのは兄のくれないだけだ。


「紅の溜息分だけお客さんが来たら、大繁盛だね」


 櫃台カウンターにいる紅の前から聞こえてきた暢気な声に、ぴたりと台帳をめくっている手を止めた。

 店の中央付近にある円卓に腰かけている蒼は、顔もあげずに笑い声をあげている。


「蒼、お前は危機感が足りなさ過ぎる」 


 不機嫌さが三割り増しになった紅に叱られ、蒼は茶器の手入れしていた手をとめた。素直に思ったことを口にしただけなのにと、肩をすくめ。


「ぴりぴりがお茶たちに伝染しちゃったら、嫌じゃない。それに、店主見習いである紅が閑散ぶりの理由に対抗する同等の手段をとることを良しとしないんじゃ、どうしようもないよ」

「うっ。それは、そうだけども」


 妹の反論に、兄は実に気まずそうに喉を詰まらせた。紅が本気で言い返さないのは、蒼も本音からの言葉ではないのを承知しているからだろう。

 性格は正反対でも、なんだかんだと通じ合っているのが紅と蒼の心葉堂兄妹なのだ。


「そっ。じゃあ、私は作業に戻るね」


 蒼は兄の落ちた口の端を見て、満足げに笑ってしまう。実際に笑い声を零せば、思い切り紅に睨まれてしまった。


 心葉堂の中、ほんのりと淡い光が店を優しい色にしている。光を灯しているのは、桜の蕾をかたどった灯篭とうろうだ。店の至る所に備え付けられた灯籠の中には、果物の実ほどの玉と水のような物が入れられている。灯りを発しているのは、その玉。

 時折色を変える灯が、棚に並べられた茶瓶の艶やかな表面を流れていく。


 麒淵きえんとの出会いから十年ほどすぎ、蒼は年のころ十六になっていた。長かった髪が、今は肩上で綺麗に切り揃えられている。ただ、耳の上で髪を束ねている部分だけ長く、膝裏ほどまでに伸びているのが特徴的だ。翡翠色の玉三つでとめられ、赤い花弁状の飾りがつけられている。


「オレが倒れるとしたら、蒼が原因で間違いないな」


 蒼を横目で見た紅は、再度大きく息を吐いた。実にわざとらしい。さほど広くない店に広がる音。息を吐き出した拍子に痛んだのか、紅は腹部を軽くさすった。

 真紅の固めの髪が目にかかるのも気にせず顔を下げている辺り、今日一番の痛みだったのかもしれない。もはや彼の胃痛は持病と言っていいだろう。


「そもそも蒼が――いてっ」


 二度目の痛みに襲われたのだろう。紅は、大き目の襟に顔を埋め、腰帯あたりに手を当てた。羽織っている長い上着に皺がよるほど、身を屈めている。

 まだ二十一だというのに。ひどく疲れた表情をする兄に、蒼は苦笑を浮かべた。


「ほら、暗いことばかり考えているから、持病の胃痛がひどくなるんだよ? ちょうど暇だし、胃痛緩和のお茶でも淹れます」

「誰のせいの持病だ。つーか、ちょうど暇とか言うな。淹れますじゃない」

「淹れさせて頂きます」


 心底呆れた顔に書いた紅が、口を横へ引いた。


「言い方を変えれば良いってもんじゃない」 

「はーい、ごめんごめん」


 蒼は店の奥にある棚へ、茶葉が入れられた壷をとりに行くため、立ち上がる。その拍子に水晶部分の床と椅子の足とがちょうどぶつかり、かたんと小さい音が響く。水晶の下を流れる水のようなものが散らす光で、細工された夜光貝やこうがいが美しく煌いた。  


「そもそも、危機感ていえばなぁ。お前もお茶以外の経営についても、ちょっとは勉強しろ」


 兄の小言はいつものことなので、蒼も用意したような言葉を返す。


「私、新米茶師だもん。今はお茶のことで頭がいっぱい」 


 それだけ言うと、蒼は茶壷を選ぶ手をせっせと動かした。

 幾つかの壷を並べていると、手元にある硝子ガラス性の角灯らんたんが、ぽわりと鈴の音を共に明りを灯した。 

 細い柄の付いた置き型のそれは店先にもあり、来客があると共鳴しあう仕組みになっている。奥にいても客に気がつくことのできる優れものだ。

 やっと来てくれた客を迎えようと、蒼は顔を輝かせながら大急ぎで踵を返した。


「いらっしゃい――」


 柱から勢い良く顔を覗かせると、頭の両端で高めに束ねた髪がはねる。と同時に、そこに漂う空気に冷や汗が流れた。蒼はすぐさま状況を理解する。

 恐る恐る入口の方を見ると、長身の青年が笑顔で手を振っていた。


「やぁ、今日も元気ですね。蒼」

「いらっしゃいました。が、魔道府副長殿、お帰りは回れ右して見えた扉から駆け足でどうぞ」 


 自分の言葉の後を継いだつもりなのか。客に、どうにも失礼な台詞をぶつけたのは紅。一方、ぶつけられた青年は、先ほどの蒼と同様、やはり気に留めた様子もなく笑顔を保っていた。

 青年は二十代半ばといったところ。夏の天高い午後、海から吹いてくるような爽やかな空気を漂わせている。踝まである裾の長いすっきりとした青紫基調の、黒く縁取られた胴衣を身に着けている。それには肩から胸にかけて、月や唐草模様が入り混じった赤金の刺繍が施されている。ひと目でそれなりの品質の服だとわかるが、不思議なことに嫌味を感じさせない。

 

「いやはや。愉快なお出迎えですね」


 軽い中音程の笑い声が、静かな店に心地よく広がった。

 しかし、それを心地よいと感じたのは蒼だけだったようで。櫃台カウンターで帳簿を開いていた紅は、思い切り口を歪めている。そして、先ほどの、口調は至極丁寧に、けれど語気は随分と棘のある低音の挨拶を、再度青年に投げつけたのだった。

 容赦ない言葉をかけられても、相変わらず晴れやかな顔で手を振る青年に、蒼は少し苦めの笑みを浮かべた。若干、口元が引きつってしまったのは、仕方がないことだろう。


「気苦労のあまり、正しい言葉が使えなくなってしまったのですか? 紅」 


 そう言いながらも、笑みを崩さない青年。それがまた、胡散臭い笑顔の清涼感を増した。ついでといわんばかりに、天井で回る風扇が起こす風に、紺色の髪の短い毛先がなびく。実年齢よりも幼く見えると評判の顔は、笑顔を浮かべていると一層ぐんと年齢をさげた。


こん君ってば、紅をからかうのやめてくれるかな」


 蒼は溜息交じりに目を据わらせるが、睨みを利かせている紅と、年齢の離れた幼馴染の青年紺樹こじゅの静かな攻防は終わらない。

 蒼は空気を変えようと大げさに両の手を握り、紅に哀れみの目を向けた。こんな時は兄を標的ターゲットにした方が話が進むのだ。


「紅ってば若いみそらで憐れなことこの上ないよ。脳疲労に効くお茶、浄練じょうれんしようか?」

「誰のせいだ、誰の。つーか、お前のせいだと自覚しろよ、妹よ」

「責任転嫁は感心しませんね」

「紺樹副長はうっさいですよ」


 十六の蒼と二十六の紺樹、二人の間の年であるはずの紅は、この中の誰よりも疲れた様子で大きく肩を落した。そっと人知れず横腹に添えられた手が、哀愁を深める。深く皺がよった紅の眉間を見ている蒼の方が、苦しくなりそうだ。

 けれど、そんな兄の様子を無視して「あっ、やっぱり?」と、蒼は軽い調子で笑う。悪びれた様子は、全くない。 


「やれやれ」


 実際にそう呟いてみせる人間も、そういないとは思うのだが。男性陣のどちらからともなく、呆れたような乾いた声が漏れた。

 そんな溜息に、蒼はさすがに自分が標的となったことをまずいと考え、あたかも今気が付いたというように掌を打った。予想以上に響いた音。木霊まで起きそうだ。

 その音に曳かれるように、紅は諦めた様子で顔をあげた。紺樹も、腕を組んで円卓に腰を預けたまま、上半身だけ蒼へと向けなおした。蒼は紺樹の両隣を指差し、首を傾げる。


「そういえば、紺く――じゃない、副長、珍しく今日は補佐殿たち、ご一緒じゃないんですね?」


 うっかり、慣れた呼び方をしてしまう。一旦言葉を切り、横目でちらりと紅を見る。視線の端に写った紅は、予想にたがわない表情を浮かべていた。今日は殊更不機嫌な兄の視線を受けて、蒼は面倒くさそうに訂正をした。

 紺樹も「蒼は昔のように呼んでください」などとは、いつも以上に毛を逆立てている番犬の前で口にしない。空気が読めなさそうで、意外に敏感な紺樹は、蒼と目を合わせて困ったように口の端をあげるだけ。

 紅だって、学院へあがる前は「紺兄」と慕ってくれていたのにと。寂しく思っている紺樹の心情を察して、蒼は小さく乾いた笑い声をもらした。紺樹は寄りかかっている円卓に手をつく。


「彼らは野暮用でね。私のお守は特別にお休みです」

「自分で言ってしまわれるあたり、救いようがないですね。っていうか『お守りされている』自覚はあったんですか」

「おや、紅。心外ですね」


 何がどう心外なのか。

 紅が反論する前に、紺樹は櫃台へ近づくとやたらと真面目な顔をつくってみせた。


「あれ、紺く――副長、この注文って」


 蒼は紺樹から受取った注文票に目を走らせながら、首を傾げた。そんな仕草にあわせて、頭の両側で兎の垂れた耳のように纏められた髪が弾んだ。

 紺樹は、そんな蒼の様子を楽しそうに眺めている。口の端を頬にまで伸ばし笑顔全開で。子どもみたく、櫃台に頬杖をついたままの彼は


「それは置いておいて。最近、忙しくて」


と短く付け足した。長い付き合いである蒼は、紺樹があからさまに話題を切り替える時は深く追求しないように心掛けている。心葉堂の茶師として働くようになってからは。

 ただ、気に留めていないのは蒼だけのようで、紅からは憎々しい声があがる。


「忙しい部下を置いて、自分はそれこそ野暮用のお使いですか。こういうことを任せればいいものを」

「何を言うんですか。我らが長である魔道府長殿が口にされるお茶ですよ? いくら魔道府御用達の店とはいえ、瓶に詰められるところまで私が直接確認しなければ」


 わざとらしく。紺樹はひどく驚いたといった様子で目を見開いた。

 この国の中でも老舗中の老舗である心葉堂。いくら紺樹が国の重要機関に務める人間とはいえ、その店に対しての発言としては失礼ではないか。とは、蒼は思わない。理由をあげればいくつかあるが、紺樹とは十年来の、しかも家族同然の付き合いをしているのだから。

 紅とて、同じ気持ちだろうに。攻撃のきっかけを見つけたと言わんばかりに、目を細めた。


「あぁ、そうですか。蒼」

「え? そこで私にふるの?」

「副長殿は、歴史ある、しかも蒼とオレが切り盛りする、両親から受け継いだ大事な店を疑っていらっしゃるそうだ」

「茶房にいるおじいの存在は無視?」

「いや、気にかけるところが違うだろ。お願いだからオレの話を聞いてくれ、っていうか、言わんとしている事を察してくれ」


 紅が自分を味方につけようとしたのは勿論わかってはいたが、ついつい逆に苛めてしまう。大げさに櫃台に崩れ落ちる兄の反応は、いつもながら、愉快だから。

 一方、紺樹といえば。鋭い紅の目を軽くかわし、


「蒼に会いに来られるなら誤解されても構いませんよ」


などと、爽やかな笑顔を浮かべた。灯籠の淡い灯が広がる店内でもはっきりわかるほどの白い歯をみせ、隙のない笑顔。通りがかりの人ならば、老若男女問わずに、頬を染めるのだろう。

 けれど、蒼は立てた人差し指を左右に揺らし、抗議の声をあげる。


「それって嬉しいようで、実は微妙じゃないの? 結構、自分本位」


 もちろん、蒼としては素直に嬉しい言葉だが、一方的な感じがする言葉だ。紺樹は、実年齢に不相応な、少年のような顔に食えない笑みを浮かべる。


「蒼、大丈夫です。自覚はしていますから」

「副長、それ全然大丈夫違うよ」


 蒼は紅と眼を合わせ、頬をひきつらせた。

 紺樹はどうにも昔から、飄々とした人物でどこからどこまで本気かわかりにくい人ではあった。


(少なくとも、私が修行から帰ってくる前は、頻繁にこんな軽口を叩く人ではなかった。なのに、最近はもっぱら冗談なのか本気なのか判断しがたいことを言うから、反応に困ってしまうんだよね)


 数ヶ月前に両親が他界した後、兄の紅は折角入府できた魔道府を辞めた。魔道府は国の中で浄化物質アゥマ関係を取り仕切るエリート機関だ。蒼が思うに、紅が家を継ぐよりも憧れていた就職先でもある。

 

(なのに、あっさり辞めてきたって言ったんだよね。紅が口にしなくてもわかるよ。店を継ぐ私が修行半ばの半端者だったんだもん)


 今の時代では慣習のようなものになってしまってはいるが、職人は他店へ二年間修行に出ることが決められている。だが、その修行の途中で蒼の両親は不慮の事故で亡くなった。

 両親が切り盛りしていた心葉堂を、先々代の茶師である祖父の白と兄の紅、そして修行半ばで帰ってきた蒼の三人で切り盛りするようになった。それからは、さらに紺樹の背後に時折見える人食い花のような薔薇の数が増した気がする。あくまでも、例えだが。


(まぁ、その得体の知れない寒気で、若干十六の茶師だと知ってちょっかいをかけてくる冷やかしの客を減らしてくれていることには、感謝しているけど)


 ついでに若い男の客が店に滞在する時間が短くなったと、白が、にやついていたのは気になるが。

 もはや幼馴染というより保護者の暗躍をする紺樹に、蒼は笑うしかない。


「あっ、でも、それは紺君がいない時も同じだから関係ないか。むしろ、帳簿――閻魔帳と睨めっこしている紅が怖いのかも」


 ぽつりと、蒼は独り言を呟く。まさに、ちょうど今のような状況だ。

 視線を向けた先で、紅は飽きることなく低く唸っていた。そのうち目を血走らせるのではと、さすがに心配になる。


「さて、お兄ちゃん」


 蒼は仕事をするために、腰をあげた。

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