第5話 閑古鳥が力いっぱい鳴く

  

 あおの手元にある注文票には、可愛らしい丸みを帯びた字で『あまーいふわっとした気持ちになるお茶よろしく!』と、書いてある。もちろん、使いで来ている紺樹こじゅの字ではない。

 依頼主である魔道府長官の今回のご希望は薬効の強い丹茶たんちゃではなく、心を落ち着かせたり客を持成したりする砂糖漬けの花茶はなちゃだけらしい。


(確か数日前に会った時に、肌が乾燥して、小さな痣が多かったな。それに良く寝ているのに疲れがとれないとも。でも、おじいに丹茶を頼むほどでもない、と)


 蒼は閉じた瞼の裏に依頼主の様子を思い出しながら、ちょっとした違和感をあげていく。

 そして、ぽんと軽く手を打った。


「よし。玫瑰花メイグイファ薔薇茶ばらちゃと、ちょうど最後の天日が終わった桜花の砂糖衣がある。これなら個人用の浄錬じょうれんがいらなくて、色んな人が飲めるから仕事休みにみんなで飲めるな」


 かつて、この世界では生物や植物を存続の危機に追いやる汚染が蔓延していた。人類は生き残るために、あらゆるものを浄化するアゥマという物質を発見し、操る術を身に着けたのだ。

 それがいわゆる『浄化物質アゥマ使い』と呼ばれる存在であり、『職人』と同等の言葉でもある。


「本来であれば依頼主である長官が直接足を運ぶ出来なのに、すみません」

「大丈夫だよ、こんく――副長。魔道府長官が忙しいのは知っているし、前回浄錬した際に詳しい記録カルテも作らせてもらっているから」


 種類にもよるが、茶葉においては購入者に合わせて二度目の浄化作業が必要となる。

 茶葉の元となる葉を適正に合せ浄練したものを店頭に並べるが、茶葉はその使用法から個人にあわせてさらにアゥマを調律する。

 しかし、効能によっては一度目の浄練で十分な場合もある。希望があれば個人の纏うアゥマによって浄練調整を行うため、心葉堂では注文も多い。


「副長が足を運ばなくても、なんならオレが配達に行きますよ。わざわざ、ご多用な魔道府の次席副長におこしいただかなくとも」


 くれない閻魔帳えんまちょうに筆を走らせながら、器用に紺樹を睨む。いや、見る限りは笑顔が浮かべられているのだが、背負う空気オーラが不穏この上ない。

 紅が言う通り、持て成しに用いられる茶葉などは、あらかじめ作り上げておくものなので店頭ですぐ購入や配達が出来る人気商品のひとつだ。


「はいはい、店長見習い! もう来ちゃっている人に絡まない!」


 蒼の両手が大きな音を立てる。静かな店内には少々うるさい位に響く。

 そんな蒼に物言いたげな視線を投げたのは紅ではなく、紺樹だった。蒼はそこに含められた『もう来ちゃっているとは、結局紅の味方をしているのでは?』という疑問は無視することにした。わざと紅を刺激しているのは紺樹だと言わんばかりに瞼を落とすと、想像通り紺樹は涼しげな笑顔で軽く肩をすくめた。


「というわけで、お仕事! 花棚の十三番から桜花砂糖の一式持ってきてね。私は薔薇茶の葉を魔道瓶に詰めるから」

「ぐっ。わかったよ」


 紅は、一瞬面白い音で喉を詰まらせた。そんな紅に、蒼はしっかりと紙を握らせる。すると、紅は仕方がないという様子で足を動かした。真面目な兄の意識を紺樹から逸らすには、仕事を任せるのが一番だ。

 会話が途切れると、店の静かさが一段と際立つ。

 紺樹がぐるりと周囲を見渡したのがわかった。紅を引き離したのは間違いだったのか。いや、鋭い彼のことだから、どちらにしても店の状況に対する疑問を口にしただろう。


「それにしても、今日は随分とお客さんが少ないですね」


 言われるまでもなく、ずっと店内にいた蒼と紅は痛いほど現状を把握している。けれど、紺樹の言葉で反射的に店内を見回してしまった。

  棚から櫃台カウンターに戻ってきた紅の大きな溜息が店に響く。


「少ないどころか閑古鳥かんこどりが力いっぱい鳴いていますよ」 


 紅の表現はともかく、言わんとしていることは理解できたのだろう。紺樹が、再度店内を見渡した。

 棚にはいつもと変わらず瓶が綺麗に並べられている。けれど、それを手に取り心を躍らせた様子で茶葉を選ぶ人々の姿がない。中途半端な時間帯であること、常連は月の満ち欠けにあわせて来店することをふまえても、確かに、いつもならば十人前後は客がいるはずだ。今日は一年のうちでも全くないと言ってもいいほどの静けさだった。

 不思議そうな顔で店内を眺めている紺樹に、蒼はちょこんと首を傾げた。


「紺く――じゃなかった、副長は知らないの? 今日は大通りの大型茶葉店『華憐堂かれんどう』で大感謝大安売りをやってるんだって」


 緩んだ空気に流されて、うっかり敬語をといてしまう。しかし、話題の内容のせいか、紅も気に留めている様子はなかったようだ。蒼は、ほっと胸を撫でおろす。

 一方、紺樹の眉間の皺は深くなる。


「ほぅ、茶葉の安売り……ですか。確か数ヶ月前に宝石店の黒星堂こくせいどうがあった場所に開店した茶葉店ですね」


 魔道府に留まらず皇宮でも何かと話題になっていると、紺樹は教えてくれた。

 紅は、険悪な空気を纏いながらも滑らかに口を動かす。


「そうですね。異国から来た家族らしいんですけど、その国っていうのが内乱で滅びたとかアゥマの溜まりの枯渇こかつで消滅したとかで、一緒にきた人たちの助けもあって急成長中だとかいう店です」

「紅は妙に詳しいですね」


 軽く目を見開いた紺樹。無意識になのだろう。紺樹の腕が組みなおされ、わずかだが語調が喚問きつもんの色を含んだ。おまけにと、顎が軽く引かれた。

 紅が述べた内容が内容だけに、彼がそのような態度をとってしまうのも仕方がないのだろう。けれど幼馴染として、また魔道府の彼の立場を十分に理解している兄妹は、呆れた溜息を零すだけで特に顔色は変えることはなかった。


「副長は、溜まりの枯渇云々の下りをなぜオレが知っているのかって言いたいんでしょうけど。オレだって聞きたくって聞いたんじゃありませんよ」

「いや、まぁ、なんていうか」

「紺君の職業病だね」


 紺樹は珍しく言い淀み、「申し訳ない」と気まずそうに頭を掻いた。

 突拍子もない話だから市井の人間なら耳に入っても鼻で笑うような話だとしても、国としてアゥマ関連の管理も扱う最重要機関の次席副長の立場にある人間にしてみれば、噂が立つこと自体物騒なのだろう。過剰とも思える反応も『職業病』だと理解できる。

 未だに叱られた子犬のような顔をしている紺樹を、蒼はころころと笑う。


「溜まりの枯渇なんてことは普通『ありえない』ことだもんね。噂にすらならないから、紺君が気になるのも仕方がないよね」


 蒼がそう言っても、紺樹は表情を変えない。紺樹が気になったのは、その点だけではないのだろう。それを察した蒼は、普段は大きく丸い目を楽しげに細めた。

 しかし、背後の黒い空気に喉がつまり、大人しく言葉を飲み込む。背を伸ばし、咳払いをすると、とまっていた作業に戻る。


「枯渇云々は置いておいて、私はそもそも華憐堂の商売の仕方が気に入りません」


 紺樹がむすりと口の端を落とした。いつも胡散臭い笑顔を浮かべていることが多い彼にしては珍しい表情だ。

 突っ込みたい。

 うずっとしてしまう蒼だったが、十歳年上の幼馴染が昔はよく見せてくれていた表情だったものだから、視線で先を促すだけにしておいた。


「茶葉に限らず、浄練は守霊しゅれいが守っている神聖な溜まりでだけ行えるものだろうに。華憐堂では客の自宅で、しかも金持ち貴族ばかり対象に診断と混合浄錬も行っているそうじゃないか」


 溜まりとは湖のような場所で浄化物質アゥマが豊富な源泉と呼べる存在だ。浄化を行う店の地下には必ずある。

 また、守霊とは溜まりを守護する特別な管理人のような存在だ。この守霊がいるからこそ、人は濃すぎるアゥマに毒されることなく『ちょうどいい』浄錬が行えるのだ。


「そこなんだよねぇ。浄錬の新方法でも発見したなら、茶歴だけじゃなくて、アゥマ使いの常識を変える大発見だし、とても凄いと思うんだけど」


 至ってのんびりとした雰囲気のまま、蒼は記録カルテに筆を走らせた。

 茶通の紺樹にはよっぽど気に食わないことなのか。はたまた、皇国直属の学院に通っていた時代から贔屓にしている茶葉屋を脅かしているのが腹立たしいのか。

 どちらかは不明だが、とにかく平常敬語で通している彼が口調を素に戻してしまうほど、怒りを感じることだったらしい。


「蒼は茶師として、茶を愛するものとして。茶を軽んじているような行為が悔しくないのか?」


 仏頂面で口を横に引く紺樹。

 蒼は客が無茶を注文してきた時にするように、少しばかり眉を垂らした。代わりに紺樹が怒ってくれるから大丈夫とは、命ほど大切な茶瓶を叩き割っても言えない。

 もう一点。ここに更にその件に関して随分とご立腹な人物がいる、ということもある。蒼としては、これ以上、店内の温度をあげたくなかったのだ。蒼はちらりと、そ知らぬ顔で風を起こしている天井の風扇を横目に入れた。見ているだけでも、涼しく感じられた。

 ほどよい湿度・温度が保たれた室内で、茶葉たちはほのかな光を纏ったままだ。


「うーん、寝たきりのおばあちゃんの家で、その場で浄錬してあげられれば、それはとってもいいことだし、やっていること自体に私は反対じゃないんだけどね」

「蒼は甘い! オレは大反対だ。どうせ、その仕掛けだって商売方法と同じく合理主義のろくでもない方法に決まってるさ。大体、おばあさんの件だって外に出る機会を奪っているようなものじゃないか」


 案の定。紺樹の問いかけは、紅の発熱機を起動させてしまい、彼から噴出した暑さが肌に染みてくる。


(こうなるのを避けてたんだけどなぁ)


 蒼は大げさに、もう一度天井を仰ぎ見た。

 紅は、紺樹に対してこそ反抗的ではあるが、普段は至って温厚だ。彼がここまで怒りを露にするのも珍しい。紺樹は無言のまま、蒼に問いかけてきた。大切な店のことだから、というのは理解出来るが、それにしてもめったに見る顔つきではないから、彼の反応は至極当然だ。

 そんな困惑の視線をうけて、蒼は待ってましたと言わんばかりに、唇を弓月型に変えた。にやりと、悪戯を思いついたような子どもの表情だ。


「ちょっと奥さん聞いてくださいよ」

「私は奥さんではないですが、聞きますよ。可愛い蒼が話してくれることはすべて」

「紺君。今、そういうのいらないから」


 蒼はフルフルと頭を振りつつも、紺樹の耳元へ近づく。

 吹き出る笑いを必死にこらえた息が、それでも堪えきれないと漏れている。こみ上げてくる可笑しさを抑えきれない。そうして、もったいぶるように一言ひとことを重く引きずりながら、蒼はゆっくりと言葉を紡いだ。


「あのね、紺君。実は、紅ってばね、華憐堂の、娘さんにねぇ――」

「副長殿! 早く帰らないと長官殿の雷警報が発令されますよ!」



 ぺちりっ



 叫びに近い声を紅があげた。それと同時に、小皿に置いてあった茶巾が宙を飛ぶ。紅の狙い通りに、それは紺樹のこめかみにぶつかり、思った以上の衝撃音が鳴った。地味に痛そうだ。

 紺樹は飛び散った汁が放つ香りにむせ返る。蒼は裙子スカートポケットから手絹はんかちを取り出し、紺樹に押し付ける。


「ちょっと紅、茶巾を投げたら汁が飛び散るでしょ!」

「自分で投げておいてなんだが……少しひどいな、お前。そちら様の心配はなしか」

「そうそう、紺君も心配だけど。結構、紅の事情も真剣なんだよ」


 紺樹が苦しさにむせると、頬を膨らましたままの蒼が店の扉を指差した。


「付き纏われているの。今もそこの影辺りにいたりしてね」


 紺樹の手から、ぱさりと手絹が落ちた。

 

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