第3話 六歳の蒼、守霊と出会う③―はじめてのおしゃべり―
どれ程、歩いたのだろう。
ふわりと桜色の唇から出た白い息が綿毛のように宙を漂い、空気に溶け込んでいった。
「すごいや。よるって、どんどん黒にちかづくたび、こんなにさむくなるんだね」
感動する蒼が見上げた先には、蒼が何百人も入ってしまいそうな大きな蔵がある。
見上げるとひっくり返ってしまいそうなほどの蔵を囲んでいるのは、竹やぶだ。風に揺れる背の高い竹が不気味に笹葉を舞わせている。その笹の葉が、時折、瓦屋根に静かに舞い落ちてくる。
「ふわぁ。おもってたより、すっごく、おおきいや」
蒼は転ばないようにゆっくりと石階段をあがる。蒼は手をつきながらでないと上れない段差の階段だ。
やっとの思いで扉の正面まで辿り着くと、蒼はもこもこな首元から紐を引っ張りだした。紐の先には、月明かりに光る小さな鍵がついている。蔵についているのも、大きさに不似合いの小さな南京錠だ。
魔道の力が込められた鍵には大きさなど関係ない。
そう家族からは聞いてはいた。けれど、実際のところ半信半疑だった蒼は、あまりにあっけなく開いてしまった扉を前に目をしばたかせる。
おまけに、古さから錆びてすんなりと開かないとか思っていたのに、幼い蒼の震えた掌でも簡単に押されてくれた。鉄製の扉の奥にはもうひとつ木製の扉があった。
「わっ! どうしよう! あお、ひとつしかカギもってきてないや」
首紐にぶら下がっている鍵はひとつだ。もしかしたら厳重に取り扱われて別々に仕舞われていたのかも知れない。
蒼は反省といわんばかりに木製の扉に両手をつく。するとどうだろう。両掌があったかくなったと思った瞬間、扉が勝手に両脇に引いていったでは無いか。
「カギ、かかってなかったのかな? っていうか、かってにうごいてすごい。じゃなくて、おじゃましま……す?」
さすがに少しばかり
どうしても、自分の目で『あれ』を見たいのだ。
背後からおじいのいびきのような音が数秒聞こえるが、それも直ぐに消え、耳が痛むほどの
「耳がいたいくらい、しずかだ。もっと、アゥマがいっぱいで、うるさいって思ってたのに」
それが余計にどくんどくと騒いでいる鼓動を体中に響かせ、苦しくなる。蒼の奥歯がガチガチっと鳴った。
蒼は両頬を軽く叩き、上着の衣嚢ポケットから丸い玉を取り出す。
「あれぇ、ここじゃないのかなぁ」
目を細めてみても、見えるのは砂糖漬けの花や蜂蜜がたっぷりと詰まっている瓶だけだ。
蒼が見たいものはない。
やっぱり、ちょっとばかりやかましく軋む
「うぅ。なにがあるか見えなくなっちゃった」
月明かりがにぎやかな夜とはいえ、窓がほとんどない蔵の中は別世界のように暗い。
再び蒼は「うぅ」と唸り声をあげ、それでもきゅっと手を握り前を見据える。
「あきらめちゃだめだ!」
少しばかり歩き続けると下へ降りる階段と、上へと上る階段が蒼の前に姿を現した。
蒼はさらに暗くなっている階段を数分睨んだ後、二階へ上がる階段に足をかけた。半分腰引けながらも足を動かす蒼を、足元にある階段がきしっと笑った気がした。それでも、蒼は挫けそうな気持ちを押し込めて、一歩一歩階段を上っていく。
そうして、最後の一段を踏みしめた時--。
「んっしょっ。って、わぁあー!」
一瞬、蛍かと思った。蒼の目の前に淡い光が溢れたのだ。
階段口から顔を出した蒼を出迎えてくれたのは、戸棚に行儀よく座っていたり、そこらじゅうをせわしなく動き回っている光たちだった。色とりどりの光は、どうしてか笑っていると思えるようにチカチカと光る具合を変える。
じんわりと手の内側で染み出ていた汗も、弾けてしまったような気がした。
「けほっげほ」
あんまりにも口をぽっかりと開けてしまったので、一斉に流れ込んできた冷たい空気に咳が出てしまった。
蒼は咳をしながらも瞼を擦りよくよく見れば……棚に並んでいる光は煌々とした光塊ではなく、何かから染み出ているような柔らかい光だった。また、宙に舞っているのは金平糖みたいな光だ。
「もしかしたら、これが茶葉のしゃべるっているところなのかな! まるでおしゃべりしているみたいに、みんな光りかたがちがう! それに……」
それに、光は蒼に気がついたと言わんばかりにあわあわと光ったり、隠れてしまったのだ。まるで突然の訪問者に喜んだり怖がっているように。
蒼の足は、緊張と興奮で固まったまま動けずにいる。その間にも周囲にはいくつかの光が集まってきた。この子たちは自分と一緒で好奇心旺盛な光だ。そう思った蒼は妙な親近感で笑ってしまった。
「こんにちは? きみたち、みんなびみょうに色がちがうんだね」
話かければ、光たちは嬉しそうにちょこまか動いたり、逆にさぁっと離れていったりする。
そうこうしている間に、目の前をゆっくりと流れていた雲がやっと通り過ぎ、天井近くにある窓から差し込んできた月光が照らし出したのは――。
「びーどろの入れ物?」
一番低い棚の瓶を手にとって見ると、実際に光を放っていたのは瓶の中身だとわかった。店先で茶葉が入っているのと同じ、ちょっと厚めの瓶だ。
そして、中にあるのも同じ、蒼も見慣れたお茶の葉だった。ただ、どうにも店先に並んでいるものと違う香りがする。ような気がした。
くんかくんかと、鼻が香りの流れを吸い込む。
「おぬし、茶葉が好きか」
「お茶の葉がしゃべった!」
突然沸いてきた声に驚いてしまい、瓶が蒼の手から滑り落ちていってしまう。
きゅっと瞼に皺を寄せて耳に届くだろう音を待つが、いくら待っても頭の奥をひっかく振動は生まれない。
「そんなわけあるかい。こっちじゃ、こっち」
蒼は恐る恐る視界を広げると、梅干みたいな表情で身体と同じくらいの大きさの瓶を必死に抱えている小人がいるではないか。
蒼はあんぐりと口を開き、元から丸いっこい目を満月顔負けに見開いた。
「まぁ、
蒼の近くまで寄ってきた小人は好き勝手にしゃべり続ける。
藍は母、橙は父の名だった。両親の名をいたく偉そうに口にして、しかも勝手に納得しているうえ「子どもらしい」とからかうように笑った小人。おまけに自分のことも知っている風だが、蒼は小人に会った記憶なんてない。
蒼はなんでも知っている風の小人に悔しくなり、驚きも忘れ手が伸ばしていた。
「わわっ!」
蒼の指によって焦った声があがる。指先で突っつかれている若干広めの額を押さえ、小人は「やめんか」と上空に飛んでしまった。
大きさはともかく、見た目は蒼とそう変わらないのに、おじいみたいな怒り方に話しっぷりだ。ヨモギ色が基調の服だって、おじいが拳法を教えてくれる時に着ている服にそっくり。そう、蒼は思った。
「だって。アヤシイものを見つけたら、とりあえず突っついてみろっておにいちゃんが」
親近感を覚えた途端、蒼はいつもどおりの調子で口を開いていた。
「だあほ。不審なものをみたら触るな。って、普通に
「そっかそっか。じゃあ、きみのことも」
「って、ワシかい。ちゃうちゃう、こんな話をしようとわざわざ溜まりからあがって来たのではない」
自分がのせたくせに。 ぷぅっと頬をめいっぱい膨らませ、おまけにと唇を尖らせた蒼。
目の前で綿毛のように浮いている小人は、絵本で見た妖精みたいな七色の羽はなく、ただ本当に立つ様に空中に留まっている。
軽口を叩きながらも若干の警戒心を持っていた蒼なのだが……それが完全に解けてしまったのは、
「お主、茶師にならんかの?」
嬉しそうな声にうっとりとなってしまったからだった。
優しい、染みてくるような声。
(そうだ、この光とおそろいなんだ)
瞼を閉じても色褪せることのない、柔らかな色を纏った光の粒と漂う優しい空気。
蒼は首を傾げたまま、にんまりと満面の笑みを浮かべている小人を数秒見つめ続ける。
次第に、小人の言葉は蒼の耳の奥に潜っていった。一番奥に言葉がたどり着くと、ぱぁっと輝いた蒼の表情。
「茶師って、おじいやおかあさんたちみたいになれるってこと?」
興奮気味に尋ねた蒼に、小人は相変わらず笑みを浮かべたまま大きく頷いた。
蒼は太陽顔負けに顔を輝かせ、両手をあげる。天井につきそうなくらいの勢いだ。
「だったら、蒼はなりたい! 茶師に、なりたい!」
そう。蒼はアゥマが大好きなのと同時、茶葉がたまらなく大切なのだ。
それこそ、一日中工房に閉じこもってひたすら茶葉の匂いを嗅いでいても苦痛ではないし、浄化前後の茶葉もソコに宿るアゥマもずっと見ていられる。ただ見るだけで、
「ここに来たのだってね、おじいが『あおにもお茶の葉の声が聞こえたら、おかあさんたちみたいになれるよ』っていったからなの!」
「なるほど、随分と早い歳で
小人が苦虫をかみつぶしたような顔でぶつぶつと呟いた。
白は、蒼の
蒼がおじいを知っているのかと尋ねるより早く、小人が咳払いをしてしまった。
「光の色まで判別しできるとはいえ、両親のような茶師になるにはそれなりの修行や心が必要じゃからな。今すぐというわけにはいかぬが」
「どうしたらいいの?」
「そもそも茶師というのはな、生命の樹であるヴェレ・ウェレル・ラウルスの葉が一枚一枚もつ適正を判断し、茶葉として使えるようアゥマを注ぎ込む――つまり、
小人は小難しいことを話し始めた。
けれど、蒼はアゥマや歴史の本を読むのが大好きだ。他の難し本は理解できなくとも、その類の物だけは大人顔負けに吸収できる。
「うん、あおしってるよ」
「その浄錬の修行は職についてからもするべきものであるからに、おぬしもまずその術を学ぶべきところから――」
蒼は基本知識を知っている。だから、知りたいのはそこじゃないと前のめりになってしまう。
「だから、どうすればいいの⁉」
くどくどと。葉っぱの詰まった茶壷からお茶が出るようなはやさで話し続ける小人に痺れをきらし、蒼が地団太を踏んだ。
一瞬だけ小人の瞳が見開かれるが、すぐに
「最近の若いもんは自分で考えるっつーことを」
と肩を落とす。
至極小さい声は蒼の耳には届かず、ただ愛らしい幼子の眉が
「まぁ、よいか」
小人はふたつ咳払いした。
それが合図となり、淡かった光が色を変えていく。いつの間にか、肌のすぐ傍にも、何もないはずの空間からも光が溢れてくる。
「蒼月よ」
名乗ってもいない本名を呼ばれ、蒼の背がしゃきんと伸びた。
ぴんと張り詰めた空気に蒼の白い肌を汗が流れる。長い淡藤色の髪が首筋に張り付き、痒くなった。でも、体は動かない。
「お主が人の心と身体を守る
少しばかり畏まった小人はすぐに口元を綻ばせた。蒼が直立不動になっていたからだろう。
それでも、蒼の緊張は解けない。なぜなら周囲のアゥマがぴりっと電気を発しているのを肌で感じているから。
「形式であるからしてこのように難しい言い方をするが、要は人の口へ入る物に責任を負う勇気があるかということじゃ」
麒淵は察しているのだろう。表情を崩し微笑んだ。
それでも、伝わってくる温度は至って暖かいものだったが、真っ直ぐに向けられる視線は蒼を射る。
思わぬ方向へ進む話に、ごくりと蒼の乾いた喉が鳴る。つばを飲み込む音が、喉元にひっかかって耳に響いてくる。一緒に跳ね上がった心臓は静かになるどころか、時間が流れるほどに煩さと熱を増していって泣きそうになる。
「わたし、は。わたし――」
けれど、と声を絞り出す。空気を揺らした声は掠れて消えそうなくらいだった。
でも、ここで下を向いてしまえばもう二度と自分を包んでくれている光たちと話せない気がして、蒼は両手を前に広げた。ありったけの光を抱くように。
「わたしはなるの! 心がぽっぽするあったかいお茶がいれられる茶師に!」
蒼は光たちも一緒にというくらい、思いっきり鼻に空気を吸い込んだ。ひんやりとした夜の空気が全身にめぐって気持ちがいい。光たちも蒼の両腕や頬に子猫のようにすり寄ってくる。
凛と開かれた瞳が小人を映した。
牡丹色の瞳に映った小人は、蒼が見たことない表情を浮かべている。嬉しそうで、悲しそうで、やっぱり幸せそうな様々な感情が入り交じった笑顔を。
「では、此処が溜まりの
やんややんやと、光が騒いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます