第2話 六歳の蒼、守霊と出会う②―冒険者は蔵に行く―

「うぃっくしゅ!」


 普段感じることのない冷気に、蒼から大きなくしゃみが飛び出た。小さな手で鼻をくしゅくしゅと擦る。

 だるま顔負けに着膨れているのに、予想以上に肌を刺す寒さに身体が震える。普段は頭の両横結びツインテールしている結紐を解いている。おまけに、それで首は暖かい思い、襟巻きを置いてけぼりにしたのが良くなかったかも知れない。


「ひゃっひゃっく――!」


 慌てて両手で顔を覆いしゃがみこんで、くしゃみを堪える。すぐに周囲を見渡す。

 そして、特に人影もないことにほっと息を吐いた。庭に点在している灯籠とうろうのおかげで視界は割と良好だが、その分、自分が見つかりやすい状況なのは幼い蒼にも理解できている。


「あぶない、あぶない。おじいやくれないおにいちゃんに見つかったら、すぐに寝台ベッドへつれてかれちゃうよ」


 蒼はおませな口調で呟いた後、もう一度、今度は少々わざとらしく溜息をついた。五歳上の兄を真似たつもりだろう。

 蒼はちょっとばかり大人になった気がして、腕まで組んで満足げに頷いてみる。が、すぐに顔が煌めいた。


「わぁ、すごいほしだぁ!」


 風に髪を撫でられ顔を上げれば、満天の星空が広がっていた。いつもは部屋の中から見ている光景の中に自分が立ち、風を感じながら見上げている。

 蒼の鼓動こどうが全身を震わせる。


「ういっきゅしゅ! わくわくするけど、はやくクラにいかないと、かぜっぴきになっちゃうかも」


 今、蒼は店の裏側にある家のさらに奥へと向かっているところだ。とても広い庭にある水晶の道を歩いている。

 庭の中を駆け巡っている川と言っても良いほどの水の流れ。それが水晶の板でふさがれ道となっているのだ。正方形の飛び石のように。

 その水晶が空の星と月を吸い込み、透明な身に光を映して天の川を作る。


「そろり、そろりっと」


 蒼はその上を慎重しんちょうに歩く。つま先から静かに下ろし、踵をつける。そうして足底をつけて数秒後に反対の足をあげる。それの繰り返しだ。


「水晶のゆかがあっても、なんかふしぎ」


 星の金平糖と月の穴を踏んで歩いていると、水晶の下を流れる水が水晶板の所々にある穴から流れ込んだ風で波を打つ。

 水晶の道に映った星を踏んでいた蒼は、風で揺れたそれに慌ててしまう。危うく転びかけた蒼だが、なんとか踏ん張った。早くなる胸を押さえ、深呼吸をする。


「ひや。あぶない。転んでケガしたら、おにいちゃんにおこられちゃう」


 再び見上げた先には、昼間の太陽と同じ形の月が浮かんでいる。

 太陽とは違って優しいと感じる月光は、不思議と蒼の心を落ち着かせてくれる。

 夜の空で淡く光っている月は、闇の中に出来た穴にも見えた。


「穴のほうが明るいなんてヘンなの」


 いつもは白くて綿菓子みたいな雲が、今は真っ黒で月の側に近づいた時にだけほんのり色づくなんて可笑しい。


「って、きゅうに風がつよくなった! 雲がすぅーってながれていっちゃう」


 空が大きな溜息をついたみたいに、突然雲の流れが速くなった。

 蒼は自分がしようとしていることを笑われた気がして、熱で色を変えている舌をべーと伸ばした。


「あっ、ひんやりして気持ちいいー」


 ついさっき急いで飲んだお茶に焼かれた舌が、夜の涼やかさに撫でられる。

 それと同時に、お茶がくれた熱が身体から攫われていく。暖かさを逃さないよう、蒼は再び足を動かすことにする。相変わらず静かにそよいでいる星影の上を、今度は跳ねていく。


「それにしても、あおってばけっこう長いあいだ、ぼうけんしてる気がする。まだかなぁ」


 蒼は小さな膝を丸めて、べしべしと震える足を叩いた。そうして、すくりと立ち上がり大きく腕を振って進む。

 敷地内とはいえ、お店と反対の方向にある蔵へ辿り着くためには、菜園やら池やらを抜けなければいけない。子どもの蒼の足では、結構な時間がかかってしまう。瓦屋根を乗せた石造りの建物も、なかなか途切れてくれない。


「おかあさんたち、まだかえってこないよね」


 こんな夜遅くに子どもがひとりで暗闇の中をうろつくなど、普段ならば大目玉ものだ。


「いつもなら、おじいにも、おとうさんやおかあさんにも怒られちゃうけどさ! 今日は『おとなのおつきあい』に行ってるし! おつきあいはながいし!」


 蒼は寝台に潜り込む前に、両親が店で瓶の手入れをしている背中を見つめているのが大好きだ。

 そんな『お父さんお母さん大好きな蒼』にとっては寂しいことなのだが、今の『冒険者の蒼』にとっては、願ってもいない機会だった。


「よしっ! がんばる!」


 少しばかりひんやりと頬に染みてくる空気。普段触れることの無い空気をめいっぱい吸い込む。

 そうして、蒼は大股で腕を大きく振り足を速めた。


 蒼には、どうしても見たいものがあるのだ。


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