ストーカー魂、死んでも

小高まあな

ストーカー魂、死んでも

 死した魂を肉体から刈り取り、冥界に送る。それが私の仕事だ。

 私は死神。人の死を司る者。それ故に人には距離を置かれていた。仕方ないことだ。死を畏怖し、忌避しようとするのは、生きとし生ける者の本能だ。

 私はこれからもただ黙々と職務を遂行していく。人と馴れ合うことなど望まずに。

 そう、思っていた。


「いやっほぉー、今日もシーちゃん可愛いねぇっ!」

 すぐ耳元で聞こえた軽薄な声に、ぞわりと肌が粟立った。

「あ、あなたっ」

 ばっと振り返ると一つの魂がふよふよと浮いていた。

 魂は全て球体だ。発光する強さや色合いで、その人の生前の個性がわかり、区別することが出来る。光が弱い場合はお年寄りや長らく病気をしていた人で、光が強い場合は不慮の事故などで亡くなった生命力の強い人。大人しい人は寒色、元気な人は暖色のことが多い。

 そしてこの、無駄に明るく光る、真っ赤な魂の持ち主は、

「里村樹さん、貴方のことは、今度こそっ、冥界に送ったはずですが」

「うん、でもねー、シーちゃんに会いたくて戻って来ちゃった!! 計十五回の出戻りです!」

 戻ってくんな。

 里村樹。享年十九歳。職業大学生。死因は出血多量。

 思いを寄せる女子に、刺された。

 私は、彼が思いを寄せていたという女子に心の底から同情する。こんなののために前科一犯になるとは。優秀な弁護士がついて、軽い罪になっているといい。思い余るのも仕方がない。ノイローゼだったのだ、きっと。

「眉間に皺を寄せているシーちゃんも可愛いね!」

 里村樹。またの名を、ストーカー。

 三つ子の魂百まで。死してなお、魂になってなお、彼はストーカーであった。


 生前の里村樹のストーカーぶりは、今よりも陰湿なものであった。

 隠し撮りした写真を送りつける、毎日部屋の前に花束やアクセサリーなどの贈物をおいておく、毎日帰宅の時間に合わせて電話などなどなどなど。おおよそ、ストーカーといって思い浮かぶ行為全般を行っていた。評価すべき点があるとすれば、性的な嫌がらせは決してしなかった点か。

 そこに関しては死後尋ねたところ、

「そそそそそそそんなことできないよっ」

 と吃って返されたので、実は純情な奥手くんなのかもしれない。

 ……だからといってストーカー行為が許されるわけではないのだが。


 女の敵であるストーカー男の魂を回収しに行くなんてこと、本当はやりたくなかった。が、ストーカー男が死のうとする場所が私の管轄地域である以上仕方がない。私は職務に忠実な死神なのである。

「なんでっ、なんでっ、いい加減にしてっ!!」

 そう叫びながらナイフを里村樹に突き刺すストーカー被害者がとても痛ましい。この女の敵めっ、可愛い女性の人生を壊しやがって! と思いながら里村樹を見る。私は職務に忠実であるが、それと同時に生きている人間の未来も憂える心優しい死神なのである。

 里村樹を見て、ぞっとした。え、なんでこの人嬉しそうなの気持ち悪いんだけど。

 里村樹は刺されてもなお、恍惚とした表情を浮かべていた。

 全力で魂回収したくなくなってきた……。

 しかし、私は職務に忠実な死神なのである。

 ナイフを放り出し、返り血を浴びたまま、ぽろぽろと泣き出す被害者女性の未来に幸が多からんことを祈りながら、愛用の鎌を一振り。これにより、里村樹の肉体と魂は分離される。つまり、ご臨終です。

 切り離した魂は赤くて強い光を持つものだった。元気そうだな……。

「うぉぉぉ、何、何、何っ」

 怯えたように魂が叫ぶ。

「俺っ!?」

 倒れた自分を見てか、悲鳴のような声をあげる。

 それから泣き崩れる被害者女性に視線をやると、

「ああ、さつきちゃん! 可哀想に泣いちゃって、どうしたの、大丈夫? 俺が傍にいるよ」

 とか言いながら被害者女性の方へまとわりつこうとするので。

「あんたは死んだんだよこのストーカー野郎」

 低い声で脅すように言うと、遠慮なく魂を握った。

「ぐふぇ」

 蛙が潰れたような音がする。

 大丈夫。死した魂は何をしたってもう死なない。

 私の手から受ける圧力により、球体から形を変化させつつある魂に向かって微笑みかける。

「ごきげんよう。里村樹さん。わたくし、死神ナンバー十垓千二百四十京とんで六ですの。貴方の魂、回収しに参りました」

 外面のいい、お仕事用の顔をして自己紹介。

 歪んだ球体がギブギブっと叫ぶので仕方なしに手を離してあげた。

 ほんの少しひしゃげた気がする球体がこちらを見て、

「……死神?」

「ええ」

「俺は、死んだの……」

「ええ」

 あんだけ刺されて生きているつもりだったのか。

「そっか」

 里村樹は自分の肉体に視線をやる。いつの間にか現れた警官に、被害者女性が拘束されるところだった。

「さつきちゃん……」

 切なそうに呟く。

「大丈夫かな、俺がいなくて……」

 死に別れた恋人を思うような言い方だが、騙されてはいけない。恋人なんかじゃない。

「大丈夫ではないと思いますよ。せいせいはすると思いますが」

「え?」

 なになにどういうことさ! とでも言いたげに球体が詰め寄ってくる。

「ストーカーがいなくなったらせいせいするでしょう」

「違う、その前。大丈夫じゃない?」

「……大丈夫では、ないでしょう」

 被害者女性は警官に連れて行かれた。里村樹の肉体も、やってきた救急隊に連れて行かれる。

「貴方を殺したのだから」

 貴方が彼女を人殺しにしたのよ。

「……そんな」

 里村樹は小さく呟き、急に振り返り、被害者女性を連れた警官の方へ向かおうとする。のを、持っていた虫取り網を使って慌てて止めた。逃げられたら始末書ものだ。

「離せっ」

「出来ません」

「さつきちゃんは悪くないっ!!」

「そうですねー」

 貴方が彼女を追いつめたから。そうは思うものの、彼女を庇おうとするなんてストーカー男のくせに良いところもあるんじゃないか。

「俺はっ! さつきちゃんにあんなに正面から見つめられてっ! さつきちゃんの視線を独占できて! さっき死ぬ程嬉しかったんだっ!」

 訂正。所詮、ストーカー男はストーカー男だ。

 里村樹の魂の叫びを聞きながら、膝から力が抜けそうになる。さっきの恍惚とした表情は、それかっ!

「さつきちゃんがっ! 俺の、俺だけのためにっ! さつきちゃーん」

 このままだと永遠にきもいこと叫んでそうだ。それだけは勘弁願いたい。

 仕方なしに私は虫取り網の口をぎゅっと掴むと、ぶんぶん振り回しはじめた。

「うげっ、めがっ、さつきちゃ、うわぁー」

 とか情けない声が上がるが気にしない。ぶんぶんと回転させる。

 もういいかな、と回転を止めると、案の定里村樹の魂は回転により失神していた。

 死したばかりの魂はなかなか事態を認識できず、喚くことが多い。そういうときはこうやって一旦黙らせるといいんだよ、と新人のころ先輩が教えてくれた。あまりに乱暴な手段で普段は使うのを躊躇うのだが、何故だろう、今日はなんの躊躇いもなく行えた。先輩、ありがとう。感謝します。

 私は気絶した里村樹の魂を連れて宙に浮かぶ。警官が現場検証のようなことをはじめていた。野次馬が追い返される。それを足元に見ながら、ひとまず、この場所を後にした。


「さつきちゃーん!!」

 高層ビルの屋根の上、端っこに足を宙に投げ出すように座っていた私は、突然の叫びに驚き、落ちそうになった。死神は職務を真っ当している限り死にはしないからいいんだけれども。

「あ、あれ、さつきちゃん……?」

 目覚めた里村樹の魂は、気を失っていたにもかかわらず、相変わらずきもかった。

「お目覚めですか、里村樹さん?」

 そういって微笑みかける。何事もなかったかのように、冷静を装おって。

「あ……」

 里村樹は私の方を見て、

「ああ、そっか、俺、死んだのか……」

 小さく呟いた。

「ええ」

「……さつきちゃん」

 さらに小さい声で呟くから、

「彼女なら情状酌量の余地ありまくりで、よっぽど腕の悪い弁護士がつかない限りそんなに重い罪にならないでしょうからきっと大丈夫ですよ」

 一応、フォローの言葉をかけてみる。冷静に考えればそんなにフォローにもなっていないのだが。

「……そうかな」

「ええ。貴方みたいにきもいのにつきまとわれてたら、そりゃあ病んで実力行使にも及んでしまいます。世間は彼女の味方ですよ」

 人間社会のことはそこまで詳しくわからないけれども。

「……なら、いいんだけど」

 ほんの少し、安心したように里村樹が呟く。思いっきり罵倒されていたことに関しては無反応だった。自覚があるのか、そんなことよりもさつきちゃんとやらが心配なのかはわからない。

「ええっと、死神の……」

 落ち着いたらしい里村樹がこちらを見てくる。

「特に名前はありません。識別はナンバーで行っています。私は、死神ナンバー十垓千二百四十京とんで六です」

 もう一度自己紹介をする。

「じゅうがいせん……」

「十垓千二百四十京とんで六です」

「……覚えられん」

 里村樹は悔しそうに呟いたあと、

「じゃあ、死神だからシーちゃんね」

 安直極まりない名前を投げて来た。そんなこと言ったら、この世界にいる数多の死神が皆シーちゃんになるぞ。

「死神ナンバー十垓千二百四十京とんで六です」

「シーちゃん」

「死神ナンバー十垓千二百四十京とんで六」

「シーちゃん」

「死神ナンバー」

「シーちゃん」

「しに」

「シーちゃん」

「……もうシーちゃんでいいです」

 何度言っても嬉しそうにシーちゃん呼ばわりされるので諦めた。うんざりしながら答える私に、

「可愛いね、シーちゃん。やっぱりシーちゃんっていう呼び名が、いいでしょう?」

 里村樹が記憶をどこかで改変したとしか思えない発言をした。シーちゃんがいい、なんて一言も言ってない。シーちゃんでいい、と言ったのだ。頭の中お花畑か。

「シーちゃん、よく見たら、可愛いねぇ」

 里村樹がマジマジと私の顔を見ながら呟く。

 まあ、そう呟いてしまうのも無理はない。よく見たらって何気に失礼だが。

 すっと通った鼻筋、きめの細かい白い肌、血のように赤い瞳、さらさらと肩へとこぼれ落ちる白髪。それらを覆い隠すように目深に被った黒いフードに黒い衣裳は、地味ながらも私の魅力を引き立たせる。

 死神界でもかなりの美人だと自負している。

「ええ、まあ、そうですね」

 ぱさりと髪を片手で払い、すらりと長い足をこれ見よがしに組んでみせると、

「……決めた」

 それをじっと見ていた里村樹が呟いた。

「何をです? 冥界に行く決心ですか?」

 そうならば話がはやい。

 里村樹は、肉体があったのならばさぞかし憎たらしい笑顔を浮かべていたのだろうと思える声で、

「俺、これからはシーちゃんをストーカーする!」

 高らかに宣言した。

「……冥界に、行きましょうね。さっさと、とっとと、一秒でもはやく」

 死してもなお、ストーキングしたいのか。ストーカーしないと死んじゃうのか。ああもう死んでいるからそこら辺は大丈夫じゃないんだろうか。

「よろしくね、シーちゃん」

 私の話なぞ、聞かずに里村樹が告げた。

 そうして、何がふっきれたのか。はたまた、肉体がない以上他にできるストーカー行為が不存在だったのか。死後の里村樹のストーカー行為は生前と違ってあけっぴろげな付きまとい行為をメインとしたものになった。

 そう、今、私の肩でぺらぺらと私への愛の言葉を囁くように。

 いつもの戯言、と聞き流す。

 この冥界にも行かず、行っても帰ってくる不良魂の処遇に困り、直属の上司に相談しに行ったら、

「なんかもう、そのまま持ってれば?」

 とかいうし。あの事なかれ主義の中間管理職め。はげろ! 今よりもさらに、はげろ!

 溜息。

 私の味方はやはり、私しかいないのだ。

「里村樹さん」

「もう、シーちゃん、相変わらずつれないなぁー、イツキンって呼んでってば」

 イツキンという渾名がなんというか、古くさい。

「里村樹さん、冥界に行ったらいかがでしょうか」

「やーだよー、冥界にいってもシーちゃんいないじゃん」

「そんなにストーカーしたいならば生まれ変われば良いんですよ。また堂々と肉体を持ってストーカーすればいいんですよ」

 本当はストーカーなんてしないのが一番だし、この性癖は引き継がないで欲しいが。三つ子の魂、生まれ変わってもかもしれないし。

「シーちゃん、俺のこと、バカにしてる?」

 里村樹の声が、少し真剣味を帯びる。

 それにすこぅし、どきりとする。急にそんな、どうしたのだろう……?

「俺のこと、ストーカーするなら誰でも良いような軽い奴だと思ってる? 俺は、俺なりに矜持を持ってストーカーしているんだよ。愛してる人以外、ストーカーする気はない。シーちゃんじゃなくても、ストーカーできればいいってわけじゃないんだよ」

 真面目な声のまま言い切る。

 私はあまりの衝撃的な発言に固まってしまった体の力を抜くように、ゆっくりと息を吐く。

「一瞬どきりとしましたが、恐ろしい勘違いでしたね」

 死した後、直ぐに私をストーカーの対象にしたやつが何を言う。ストーカーについての矜持など、生ゴミの方がマシだ。ゴミの日に出してしまえ。

 迂闊にも真面目に話を聞いてしまったことを悔やみながら、今日の現場を確認する。死神手帳。そこには、私の管轄で今日死ぬ人間の情報が記載されている。

 ええっと、この後は。

「この先の交差点で交通事故?」

 私の肩越しに、というか肩の上で手帳を見ながら里村樹が呟く。

「そーですね」

 もう相手にするのも面倒で適当に頷く。

「可哀想に。ええっと、犠牲者は」

 里村樹はそこで急に、ぴたりと黙った。

「? どうしました?」

 めったにない反応に、驚いて肩の彼を見る。見てから、しまった、これは構ってもらうための作戦だったか! と後悔したが、どうも違うらしい。

「……さつきちゃん?」

 小さな声で里村樹が呟く。

 さつきちゃん? 聞き覚えのあるような、ないような。

 死者の名前は、井出さつき。

「シーちゃん! さつきちゃんがっ」

 私の肩で里村樹が悲鳴のような声をだすから思い出した。

 そうか、さつきちゃんとはあれか。里村樹を殺す羽目に陥った哀れな女性か。

「可哀想に」

 貴方になんか人生を振り回されて、こんなにはやく人生を終えるなんて。

「助けなきゃ!!」

 里村樹が叫ぶ。

「……何を言っているのです?」

「シーちゃんも、さつきちゃんのこと、可哀想だと思うんでしょう!!」

 だったら助けなきゃ、と里村樹が言う。

「……貴方は、何を言っているんですか?」

 ため息をつきながら言葉を返す。

「私は死神。死神ナンバー十垓千二百四十京とんで六です」

「そんなこと知ってるよ!」

「じゃあ、何故、助けるなどと私に向かって言えるのですか? 彼女の魂を冥界に運ぶことが私の仕事です」

「でもっ、さつきちゃんが可哀想!」

「確かに彼女はあまりにも不幸だと思いますが」

 主にあんたのせいで。

「だからと言って個人の感情で動くわけにはいきません。これが私の、仕事ですから」

 里村樹の魂が震える。ああきっと、肉体があったら私のことを睨みつけているのだろう。

「シーちゃんがっ、そんなに冷たい人だなんて思わなかったっ!!」

 吐き捨てるようにそういうと、私から離れてどこかに向かう。おおかた、井出さつきを助けに行こうとしているのだろう。魂だけの存在の癖に。

 冷たい、か。

 小さく笑う。

 どうして今更そんなことを。死神はその仕事故に、古来から人には距離を置かれていた。死を畏怖し、忌避しようとするのは、生きとし生ける者の本能だ。

 それでも私はこの仕事に誇りを持って、これから職務を遂行していくつもりだ。

 なのに、どうして今更あんな一言ことで、傷ついたりしたのだろう。

 一瞬ちくりと痛んだ胸を抑えて、ゆっくり息を吐く。

 くだらない感傷はあとだ。魂だけの里村樹になにができるわけでもないだろうが、職務の完遂のために、私も現場に向かわなければ。

 鎌を握る手に力を入れ、交差点に向かう。

 交差点では里村樹がうろうろしていた。

「さつきちゃん!」

 右手からやってくる井出さつきの姿を見つけると、里村樹が叫ぶ。

 反対側からは、スピードをだしたトラック。運転手の首が前後にふらふらしている。居眠り運転?

「さつきちゃん、来ちゃだめだっ!」

 里村樹が叫ぶ。声は届かない。

 下を見ながら歩く井出さつきは気がつかない。

 里村樹は焦ったように辺りを飛び、何を思ったのかトラックにつっこんでいった。

「なにをっ」

 予想外の行動に私も思わず身を乗り出す。

 里村樹はトラックを突き抜け、居眠りしたままの運転手に衝突した。

「里村樹っ!」

 瞬間、里村樹の魂が消える。一体どこにっ。

 思考をブレーキ音が遮った。

 トラックが、井出さつきの目の前でとまる。さすがに井出さつきが驚いたようにトラックを見つめる。

「……おお、できた。憑衣」

 運転手が小さく呟く。いや、運転手の体を借りて、里村樹が。憑衣って、魂というよりは幽霊の仕事ではないだろうか。ああ、でも死神が回収し損なった魂が幽霊となるわけだからいいのか?

「大丈夫ですかっ」

 里村樹が運転手のまま、井出さつきに声をかける。井出さつきは頷いた。

「ごめんなさい、ぼーっとしてて」

「いいえ、こちらも危なかったので。気をつけてくださいね」

 里村樹が微笑む。

「……幸せに、なってくださいね」

 そして小さい声で付け足した。運転手が言うには唐突過ぎる言葉だ。

「え?」

 井出さつきがきょとんとした顔で里村樹を見上げる。

「さつきちゃんには、幸せになって欲しいから」

「……その、言い方、すとーかー?」

 井出さつきが小さく呟く。

「……気づいてくれたんだ」

 里村樹が感極まったように呟く。

 どうしよう、感動的なシーンの筈なのにそうは見えない。

 案の定、井出さつきは感動している里村樹入りの運転手を睨みつけると、

「あんたがっ! あんたのせいでっ、私がどんなっ」

 叫ぶ。

「私が……」

 彼女はへなへなと、足から力が抜けたように道路に座り込む。

「さつきちゃんっ」

「ごめんなさいっ。貴方がやったこと、絶対に許さないけど」

「……許さないんだ」

 どうして許してもらえると思ったのか。

「だけど、死なせてしまったこと、ごめんなさい」

 彼女が両手で顔を覆う。

 ああ、可哀想に。こんなストーカーの為に罪の意識にさいなまれるなんて。

「迷惑かけて、ごめんね」

 里村樹が呟いた。

「俺の分も、長生きしてね」

「ストーカー……」

 井出さつきが顔をあげる。少し涙で濡れた瞳。

「俺、全然後悔してないし、さつきちゃんのこと恨んでないから。最後にさつきちゃんの顔を両目に焼き付けて死ねて、本望だから」

「……ストーカー」

 井出さつきの声が怪訝そうになる。

「……死んでもストーカーって治らないのね」

 嫌そうに呟いた。本当に。

「俺、もう行くね」

 そんな空気を気にすることなく、里村樹は微笑むと告げた。

「ばいばい、さつきちゃん」

 そうして里村樹は、運転手の中から消える。

 数秒後、

「あれ、おれ?」

 里村樹から解放された運転手が怪訝そうな顔をする。

 それを横目で見ながら、私は死神手帳を開いた。

 案の定、井出さつきの名前は死神手帳から消えていた。死神手帳は、そのときの状況で変化する。里村樹の活躍によって、井出さつきの名前は消えた。彼女はまだしばらく生きるのだろう。

 願わくは、彼女に幸が多いことを。あんなストーカーにあったことが笑い話になるように。

 もうここには用はない。次の場所へ行かなければ。私は交差点に背を向け、

「……里村樹?」

 見慣れたその姿がないことに気づき、思わず小さく呟く。

 そういえば、彼はどこに行ったのだろう?

「……消えたのかしら」

 もしかしたら自主的に冥界に向かったのかもしれない。死神に回収し損なわれた幽霊達は、未練とやらをはらすと自主的に冥界に向かうという。里村樹もその状態だったのかもしれない。

 ああ、そうか。

「未練は、井出さつきか」

 井出さつきの行く末が気になって、一言謝りたくて、だから魂になっても現世をうろうろしていたのか。そのために、私につきまとって。

 ならば、認めてあげてもいいかもしれない。彼の言うストーカーの矜持。本当に愛した女性だけをターゲットにするという、その話。彼は本当に愛した井出さつきのために、現世をストーカーしていたのだ。

 ならば、認めてあげてもいいかもしれない。その根性は少しだけかっこいいと。

 でもこれは、認めない。

「……また、一人になってしまうの?」

 私が寂しいと、思っているなんてこと。そんなことは、絶対に、認めない。

 死神は孤独だ。人とは馴れ合えない。死を畏怖し、忌避しようとするのは、生きとし生ける者の本能だから。だから、寂しいなんて思っていること、認められない。

 ましてや相手が、ストーカー男なんて。

 ぐっと唇を噛む。

 大丈夫。今までどおりに職務を遂行すればいいだけだから。

 鎌を握った手に力をいれる。

 私は一人で、大丈夫。


「シーちゃーん!!」

 三日後、遠くの方からその声がした時には、ぞわりと肌が粟立った。

 待て待て待て待て今のはなんだっ?

 振り返る。見慣れた赤い光。

「里村樹っ!」

 思わず叫んでしまう。

「シーちゃーん、会いたかったよ!!」

 そう言って私の周りをぐるぐる回る里村樹。

「あなたっ、冥界にいったんじゃっ」

「行ったよー、強制的に行かされてマジ最悪! でもちゃんと戻って来たよ、シーちゃんのところにっ!」

 とっても嬉しそうに言われた言葉に、返す言葉がない。

「あれー、シーちゃん、目が赤いよ? 泣いたの?」

「生まれつきです!」

 顔を覗き込まれて、慌ててよそを向く。

「やっぱりシーちゃんも、俺が居ないと寂しいんでしょー、そうでしょー?」

「そんなことありません」

 そんなこと、あってはいけません。自分に言い聞かせる。予想外の展開に、心が折れそうだ。

「もー照れちゃってー、かっわいー! シーちゃんが一人でも寂しくないように、ずぅぅぅぅぅうぅぅぅっと、未来永劫、俺が傍にいてあげるからねー! 安心していいよっ!」

 ちっとも安心出来ないことを言いながら、赤い魂がついてくる。

「……好きにしなさい」

私は小さく、呟いた。唇の端があがって見えたのだとしたら、それは気のせいだ。


 死した魂を肉体から刈り取り、冥界に送る。それが私の仕事だ。

 私は死神。人の死を司る者。それ故に人には距離を置かれていた。仕方ないことだ。死を畏怖し、忌避しようとするのは、生きとし生ける者の本能だ。

 私はこれからもただ黙々と職務を遂行していく。

 魂にストーカーされながらも。

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ストーカー魂、死んでも 小高まあな @kmaana

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