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1972年頃は実際に親子の会話ってそんな言葉遣いだったんですかね。
半世紀経過すると言葉遣いってこんなに変化するもんなんですね。なんかちょっとびっくり。
例えば小津安二郎の映画の中とかだと、確かにそんな言葉遣いですね。
あれは何時ごろかしらと調べたら1952年でした💦
ということは、この50年の変化がすごかったってことですか。
作者からの返信
星加のんさん こんにちは。
洋書は翻訳者の個性が作品に影響しますからね。原書は同じでも翻訳者の数だけ違うバージョンがあったりして、それぞれの訳にファンがついていたりもします。1972年版の頃に実際にリアルでそう言う会話が繰り広げられていたかどうかは分かりませんけど、多分その頃の子供達はこの会話を違和感なく受け入れられていたのだと、そう思います。
時代の変化、言葉遣いの変化のスピードは早いですよね。使い慣れた言葉が古くなる度に、言葉は生き物と言う事を強く実感します。
母として鑑みるに、どんな方法を用いても子供に文学に触れてほしいと一部のママたちは思っているわけで、そこは手段を問わないという人もいると思うんですよ。
わたしは『若草物語』も『赤毛のアン』も前の訳で読んで欲しいけど、『指輪物語』や『キャッチャーインザライ』はごりごりの旧訳で読まなかったような気がするので、その辺は難しいところですね、線引きが。
ちなみに我が家では『若草物語』も『赤毛のアン』もアニメで履修させました!
長女は本マニアで両方本で続編まで読みましたが、三女は本は好きだけどどちらにも興味を示しませんでしたねー。
結局、読むか読まないかは個性で、この全集も受け入れられなければ淘汰されるでしょう。
頭のいい子の三種の神器は、家で新聞を取っていること、絵画が飾られていること、文学全集があること、と以前読みましたが、所詮子供は興味のある方向にしか転がらないものです。訳が簡易でも。
作者からの返信
月波結さん こんにちは。
文学少年少女時代を過ごした人は、お子様にも同じものを読んでもらいたいと思うものなのでしょうね。その気持ち、分かります。
その点、アニメはいいですね。そこには年代を問わない『正解』がある気がします。
頭のいい子の三種の神器、初めて聞きました。家にそれがあっても興味がなきゃ意味がないんですよね。新聞も絵も分厚い本も家にありましたけど、何ならピアノもありましたけど全然頭のいい子には育たなかった実例がここにおりますから。