38

「ねえ、歩夢が結婚って、そんなのおかしいわよ」


 叔母が突如発した不機嫌そうな声に、水を差された場の空気が、冷える。


「結婚の何がおかしい?」


 父が訊き返す声音も、冷淡になる。


「だって、だって、おかしいでしょ? 歩夢はたしか去年? そうよ去年、お友達のお情けでいまの会社に入れてもらったただの事務員よ? それに、三年前ってこの子、無職の引きこもりだったじゃない。そんななんの取り柄もない引きこもりと結婚する男の人なんているわけないし、ましてや相手が上司さんだなんてあるわけないでしょ。それに、ラスベガスで結婚したって言われても、証拠も無しに『はいそうですか』って信じられる? 仮にこの話が本当だとして、だったらこの三年間はどうなってるの? よんどころない事情って、せいぜい歩夢が愛想つかされて捨てられただけってのがいいところなんじゃない? そう思わない? 兄さん!」

「…………」


 あまりの言い草だが、まくし立てる叔母の口撃に当てられて、開いた口が塞がらない。


「ほら、そのとおりだから、なんにも言えないんでしょう? 二十八にもなっていまだ彼氏のひとりもできた試しのない歩夢なんかに結婚話なんかあるわけないんだから。この話、始めからおかしいのよ。絶対になにか裏があるのよ、裏が」

「お、叔母さん」

「あ、すみません。ちょっと失礼」


 口を開きかけた私を制し、尊が待ったをかけた。仕事のメールでも来ているのか。皆が、ジャケットの内ポケットから取り出した携帯電話を操作している尊になにごとかと固唾を呑む。

 少し間をおいて、尊が手の中の携帯電話を叔母に差し出した。


「これはその証拠になりませんか?」


 携帯電話の画面を見て目を丸くし、顔色を変えた叔母の様子が気になる。私もそれを横から覗き込むと、そこには。


「やっ? たけるっ! なっ、なんでこんな写真いまだに持ってるのよっ?」


 大慌てで叔母から携帯電話を奪い取り胸に抱いた。


「なんだ? 見せてみなさい」

「えっ……」


 見せられないものなのか、と差し出された父の手には抗いきれない。

 それをひと目見た父は、一瞬目を見開いて尊を見、また画面に視線を戻す。クッと笑いを漏らし、それを祖母に差し出した。


「えっ?」


 祖母の目も驚きを隠せず、尊とそれを何度も行き来している。


 尊がまさかこんな写真を後生大事に隠し持っていたとは。

 携帯電話の中に居るのは、三年前の私たち。目の下の隈がトレードマーク、幽霊のように青白い顔をした私と、ボサボサ頭に不精髭の尊が、結婚指輪を目立たせるように手を繋ぎ体を寄せ合っている。私はともかく、初対面の尊は特に、現在の容姿とでは大きくかけ離れているわけだから。


 わかるよ、お婆ちゃん。うん。ショックだよね。


「……これはこれで、うん。ワイルドで良いわねぇ。小林さん、お願い。この写真、私のスマホ・・・に送ってくださる?」


「あ、はい。もちろん」と笑顔の尊に頬を染める祖母を見て、新しい老眼鏡をプレゼントしようと思ったのは言うまでもない。


「私は認めないから。歩夢が嫁に行くなんて絶対にダメよ」

「康子、もう止めなさい」

「康子、いいかげんに……」

「母さんはわかってない! そんな大怪我したのだって、家のこと母さんがひとりでしてるからなのよ?」


 往生際の悪い叔母は、矛を収める気が無いらしい。


「歩夢の結婚と母さんの怪我は関係無いだろう?」

「関係無くないわよ。歩夢がお嫁に行ったら母さんの面倒看る人はいなくなるのよ? いまだってそんな足で、誰が家のことするの?」

「正蔵が居るし、あなただって居るでしょ」

「わ、私は家のことがあるから、そうそう手伝いは……」

「なんだおまえ、いつも家に入り浸って世話になってるくせに、手伝いはできないのか?」

「康子の面倒を看なくて済むなら、これほど楽なことないわ。そういうことだから、明日からもう来ないでね」


 毎日のように実家に入り浸る叔母は、やれ昼食だ夕食の惣菜だと祖母に強請り、自分はテレビとおやつ三昧。

 祖母に痛いところを突かれて、ひとたまりもないと思ったのだが。


「じゃあ訊くけど、一人娘を嫁に出したら、関口の家はどうするの? そんなに結婚させたいならどこかの次男三男に婿入りさせて家を継がせるのが筋じゃないの?」


「康子!」と声を荒げた父を祖母が押し止め、ふたりの睨み合に割って入った。


「ねえ康子、あなたの姓はなんだっけ?」

「え? 鈴木だけど……」


 ニッコリ笑う祖母のその笑顔が怖い。何年娘をやっても学習能力の無い叔母だ。


「そう、鈴木。あなたはお嫁に行って鈴木家の人になったのよね?」

「そう……だけど……」

「だったらよその家によけいな口突っ込むのは止めて、鈴木の家のことだけしてればいいのよ」


 祖母は、強し。


 してやったり、と、頷いた祖母は、おとなしくなった叔母を放置し、再び私たちに和やかな顔を向ける。


「ねえ、お婆ちゃん思うんだけど、いまどき豪華な結婚式や披露宴なんて流行らないでしょう? だから身内だけで海外挙式するのはどうかしら? 海の見える教会で結婚式なんて、ロマンチックだわ」

「えっ? 海外?」


 海外の言葉に釣られ一瞬綻んだ叔母に祖母が笑いかける。止めだ。


「身内だけだから。他人は呼ばないわ」


 祖母が、冷たく言い放った。

 引き際はちゃんと弁えなくてはいけません。






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