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 正式に配属されたアプリ開発チームは、八階ではなく、九階、尊のオフィスのドアをひとつ隔てたところ、つまり、隣にあった。

 チームのメンバーは、強面の宗田康隆そうだやすたかを筆頭に、榎本肇えのもとはじめ三池一樹みいけかずきの若手男子ふたり、そして開発部紅一点、私、の、四人だけ。


 開発といえば大抵は、むさ苦しい男の園。その中に放り込まれずに済んだのは良かったけれど。尊が、やれ打ち合わせだ進捗はどうだと、たびたびやって来るのが引っかかる。


 仕事の性質上予想はしていたがやはり、定時帰宅はままならず。唯一の楽しみは、週に一度の美酒美食探訪。もれなく義父との酒盛り修行付きはご愛敬。それ以外は、夫婦水入らずどころか、たっぷり水入りで、残業漬けの日々である。


「そろそろ昼か、腹減ったな。ミケ、おまえ牛丼買ってこい」

「えー? またオレぇ?」


 猫のように呼ばれている一番若い三池が口を尖らせるが、誰も気にするものはいない。


「大盛りダブルつゆだく卵付き。豚汁忘れんな!」と、宗田が注文すれば、「あー、豪華っすね。じゃあ俺は、大盛りつゆだくお新香でよろ」と、すかさず榎本が続く。そして、必ず「歩夢ちゃんは?」と、振られるのだ。


 宗田はチームリーダーだし、見るからに年上だからまだ理解できないこともないが、若い三池と榎本のふたりまでもが、私を歩夢ちゃん・・・と呼ぶ。

 ちゃん付けなんて慣れない呼ばれ方に、正直、ゾクゾクと鳥肌が立つが、尊もおかまいなしに私を『歩夢』と呼び捨てにするから、都合が良いといえばそう。だが、解せない。


「えっと……、小盛りお新香でお願いします」

「さすが、女の子は小食だな!」

「歩夢ちゃん、そんなんで足りんの? ミケ! 並に変更」


 あー、なんとでもしてくれ。小盛りだろうが並だろうが、牛丼は牛丼だ。


 私もそろそろアラサーと呼ばれる年代に入る。ご飯が食べられる回数は、人生八十年と仮定し、残り五十年。

 途中、多忙だった、病気だった等々、さまざまな事情により、まともな食事にありつけないこともあるだろう。


 つまり、なにごとも無く一年三百六十五日、一日三食無事食べられたとしても、残りはたった『五万四千七百五十回』だ。


 ここに異動してからというもの、昼食はすっかり、牛丼、コンビニ、ハンバーガーのローテーション。


 いまの仕事はおもしろいが、帰宅が遅くさらに尊も一緒では、弁当の仕込みをする時間も思うに任せず。無駄食いをしたくなくとも腹は減り、否応なしに差し出されたものを口に運ぶ日々。

 食べるのが唯一の生き甲斐だったのに。すっかり様変わりしてしまった食生活にストレスがたまる。


 この件については、話し合いが必要か。


「さっさと食え。食ったらミーティングするぞ」


 モニタを凝視したまま右手で箸を持ち、左手だけで器用にキーボードを操る宗田が、米粒を飛ばしながら言う。ほかふたりの箸の動きも速くなった。


「なんだ? おまえ食わないのか?」


 キーを叩く手を止め見上げると、尊が覗き込んでいる。


「キリの良いところまでもうちょっとだから」

「俺まだ食ってないんだ。半分よこせ」

「なっ……」


 ガラガラと椅子を引きずって隣に座り込んだ尊を一瞥し、ニヤニヤと笑う三人の顔が目に入った。こいつら。


 尊はさも当たり前の顔で、何の断りもなく箸を割り蓋を開け、蓋に三分の一ほどの牛丼を取り分けた。

 食欲はあまりないし、牛丼を食べたいわけでもない。だが、勝手に取られるのは、癪に障る。


 横取りするのだから多少は遠慮して少ない蓋のほうを食べるのが普通だと思うが、こいつは違うらしく、しっかりと丼を手に持っている。図々しい。


「ちょっと!」

「あ、悪い。箸な」


 隅のカウンターにある置き割り箸を取り、差し出す尊の態度にムッとして箸をひったくり、仕方なく蓋に盛られた牛丼に箸をつけようとして気がついた。


 肉ばかり。私が好んで食べる紅ショウガまでも大半はこちらに乗せられている。これでは、丼に残っているのはせいぜい、タマネギ数切れと米だけだろう。


 横を見ると、丼を口元に寄せ掻き込む尊の目が笑っている。

 たかが牛丼、されど牛丼。

 正面に向き直り、牛肉と紅ショウガを口に運び、噛みしめた。



「基本の機能と追加分はこれで良しとして、問題はデザインだよなぁ」

「うん。上がってきたデザイン見た? 酷いよね?」


 企業向けの展開を主としているSKTにおいて、個人向けのアプリ開発は始まったばかり。社内ではまだ枝葉の扱いだ。ゆえに、それを得意とするデザイナーも居なければ、いまのところ外注を頼むほどの規模でもない。


「だよな。二案のうち、ひとつは完全にいつものビジネス系、もうひとつはこれだよ。ほら、見ろよ? 完璧に趣味の世界だ」


 宗田が画面をコチコチとポインタで弄りながらため息をついた。


「うわぁ、なにこの潤んだ上目遣い少女イラスト! マジカよ!ロリロリじゃん? あいつ、こんな趣味あったんだ?」


 私の反対側から宗田の背後に回り、首を伸ばしてモニタを覗き込む三池が青ざめた。私もヒョイとその脇からモニタを覗いてみる。


 なるほど、ロリロリとはこういうものか。これなら、さすがの私でもわかる。


「二案ともボツだな。でも、どうするのよ?」

「だから、歩夢が居るんだろう?」


 腕組みをして椅子の上でふんぞり返っている尊が、顎で私を指す。


「そうだね、ウチには出目金の歩夢ちゃんが居る!」


 キラキラと輝く六つの瞳が私を見つめ、そうそうと頷く様子を眺める尊は満足そう。


「私ですか?」

「うん、そう。期待してるから頼むよ」


 宗田に見上げられ、はぁ……と小さくため息をつく。UIはまだしも、デザインは専門じゃないんだけどな。


「そうだ、歩夢。企画書は?」

「は?」

「おまえの新作のアプリだよ。企画書と基本設計はできたのか?」

「あ、あれはまだ……」


 そもそも誰のおかげでいまだ基本設計ができあがらないと思っているのだ。気まぐれに機能追加しやがってこの野郎、と、言いたいが、相手は上司。


「期限は切らないが、そっちもさっさとやれよ」

「……わかりました」


 家に帰ったら、一発殴っていいですかね。


「なになに? 歩夢ちゃんの新作?」

「どんなヤツ? ゲーム? それとも実用系?」

「あー、実用系です。ノートアプリみたいなもんなんですが……」

「ねえ? 電話鳴ってない?」


 どこかでくぐもったバイブらしき音が聞こえる。






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