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 江崎が新卒で入社した当時のSKTは、まだ小規模で社員数も少なく、いまほど明確な部署の区分も無かったらしい。当然、仕事内容も兼任。江崎は、総務の仕事を熟しながら、営業の補佐全般をひとりで捌いていたとのこと。


 小林統括とも直接一緒に仕事をしていたわけで、彼の小林統括に対する理解と信頼は、田中先輩同様、その後入社した社員たちとは一線を画す。


 同じ課で仕事をして約一年、今日はじめて、江崎を人としてちゃんと認識できた気がする。


 俺は男捜しに来てるだけでろくに仕事もしねえ女が嫌いなだけなんだよ。おまえは生意気で変なヤツだがあいつらよりはマシみたいだな、と、褒めているのかいないのだかよくわからない言葉を吐いた江崎の頭は、どうやら皆が言うほど昭和ではないのかも知れない。


 それにしても、私が「江崎さんって、案外良い人だったんですね」と、言ったときの、スプーンをくわえたまま耳まで真っ赤にして横を向き、頬を膨らましたあの顔。おもしろ過ぎる。


 ふふっ。できるものなら、写真に撮りたかったな。


「うぐ……」


 モニタに向かいマウスを握ったままひとり笑っている私の背に、隙ありとばかりに尊が覆い被さってきた。重い。少しは体格差を考えてくれ。


「おい、洗い物終わったぞ。そろそろ風呂入って寝るか、って、なに見てるんだ?」

「うん……、いや、べつに。ただ、ちょっと気になることがあってさ」


 アプリのサポート用に公開しているサイトをポチポチとクリックしつつ、うーんと唸る。

 わからない。アプリの話もそうだが、それ以上に重要なのは、安田がなぜ、あの出目金の作者が私だと気づいたか、なのだ。


「どうかしたのか?」

「うん。それが……。帰りがけに前の会社の人に会って、戻ってこいって誘われたんだけどさ、そいつが、あ、安田って先輩なんだけど、私のアプリのこと知ってたんだよね。それで、どうしてわかったんだろうって」

「会ったって偶然?」

「ううん違う。そいつが連絡先知ってる友達に適当なこと言って繋ぎつけて待ち伏せされたの」

「そうか。それで、アプリ作ってることは? そいつには知らせてなかったのか?」

「うん。だって、始めたのは会社辞めてからだもん。辞めてからは一度も連絡取ってないし、連絡先も全部変えたし……。それに、アプリのことは誰にも言ったことないんだよね。どうしてかな? うーん、わかんない」

「ちょっと貸してみろ」


 マウスを取り上げた尊が、覆い被さったままそれを操作する。クリックしてはページをめくり、あるページにたどり着いたとき、その手が止まった。


「フォームの送信先も変更してる?」

「え? してるはず……あっ!」


 送信先どころではない。メールフォームのページに記述されているメールアドレスは、ずっと以前から仕事にも使用していたもの。


 やってしまった。


「そいつ、このメアド覚えてたんじゃないのか?」


 尊の手からマウスをひったくり、メールアプリを起動してゴミ箱をチェックすると。

 ある。たしかにある。まだ設定期限内で削除されていないメールが数通。それを開けば明らかに安田の署名があった。


「…………」


 ガックリと肩を落とすと、尊に「ばーか」と、後頭部を小突かれた。


「ったくおまえは……。仕事とメシと酒以外のことはいつも頭からすっぽりと抜けてるからな」


 まあそこがおもしろいんだけどと笑われる。おもしろくない。


「うう……」


 小突かれた頭も心も痛いが、反論の余地も無し。


「簡単な話だな。買収のために目星をつけたアプリを当たっていたら、そこで見つけたのがおまえのメアドだったってわけだ。で、おまえは、どうするつもりなんだ?」

「どうするって?」

「売却の意思があるのか、元の会社へ戻りたいのかって訊いてるんだよ」

「そんなこと!」

「訊くまでもないか」

「あたりまえでしょう?」

「しかし、わざわざ直接接触してくるような奴だから、たぶん、そう簡単には諦めてくれないぞ」

「わかってる。それ、江崎さんにも言われた」

「江崎? あいつもいたのか?」

「うん。江崎さん偶然居合わせて、安田さんを追っ払ってくれたの。それで、話、聞いてたらしくて、尊に相談したほうがいいぞって。江崎さんって案外好い人だね?」

「ああ、そうだな。思い込みが激しくて嗜好が偏ってはいるが……、頭の回転は速いし、悪い奴ではないな」

「うん」


 そうだね。かなり偏っている。


「それでどうする? この話、俺に任せるか?」

「え?」

「おまえの悪いようにはしないさ」


 何をする気なのだろう。と、想像がつかなくもないが。

 ニヤッと笑ういかにも腹黒そうなこの顔が、頼もしく見えるのは、こいつに慣れてしまったからだろう。


「ねえ、いいかげん離れてよ。重いし暑苦しい」

「そうか? 俺は腰が痛い」


 大の男がべったり張り付いている鬱陶しさに慣れるには、まだ少し時間がかかりそうではある。


::


 瀬上司社長、佳恵、尊に私と、ほぼ身内の会議で、トントン拍子に話は進み、私の制作したアプリは会社へ譲渡することとなった。


 安田のしつこい勧誘や脅しから逃れるためには、つまるところ、個人という弱い立場では限界があり、大きな傘の庇護の下に入るのが、一番簡単な方法。それは、よくわかっている。


 確かに、これから先も降りかかってくるであろう不快な問題から解放されるのは、ありがたいと思う。だが、アプリが自分の手から離れることへの抵抗があるのも事実なわけで。


 ゆえに、それでは迷惑をかけるのではないかと遠回しに渋ってみせれば、会社は俺のものでもあるのだから同じことだろうとまで、尊に言われてしまい、言葉も無く。


 最終的には「ドル箱アプリが頭脳ごと手に入るし、人員強化にもなって一石二鳥じゃない!」と、社長の鶴の一声で、安田さん事件はその方向を変え、私は開発したアプリを手土産に、小林統括のアシスタントから、アプリ開発チームへの正式な異動が決定した。


 また、表向きに発表されるのは完全譲渡だが、その内訳は、仕事の給与とは別に、固定のアプリ使用料と月々の売り上げに応じた成果報酬もプラスされる継続的なもの。


 今後、業務時間内にチームでメンテナンス等の作業ができることまでを考慮すれば、私自身の収益が多少落ちたとしても、悪い条件ではない。

 これもすべて偏に小林統括が動いてくれたおかげである。


 いまだ気持ちを整理しきれていない私をよそに、三者三様、何を考えているのかは知らないが皆、上機嫌。


 社長は顧問弁護士の先生に話は通しておくから、あとの細かい条件はそっちで詰めてねと、鼻歌交じりで尊のオフィスをあとにし、これでもうあんたの逃げ道はないわね、と、満足そうな佳恵は早々にプレスリリースを準備。


 尊は尊で、アプリ開発チームのスケジュールを再調整。早々のミーティングを設定し、自分の仕事へ戻った。私も取り急ぎ現行のサポートサイトの修正と、資料の準備を指示され動きだす。


 これから、夜は夫婦水入らずでゆっくりできるな、と、呟いた嬉しそうな尊の顔を眺めつつも、心の奥底では、佳恵の言うとおり、巧く搦め捕られている感が払拭できず、ちょっとモヤモヤ。


 だが、これはこれで、悪くはない。の、だろうな、きっと。






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