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「えっ、じゃなくてさ。あれはおまえが作ったんだろ? あの出目金が上の目に留まったんだよ。おまえの実力を見込んでのことだし、条件だって前より格段に良いんだから。こんなチャンス、二度と無いぞ? な? 戻ってこいよ」
安田の話はつまり、出戻りさせてやるとはただの口実で、本音はアプリを寄越せと。
それにしても、なぜ、あれが私のだとわかったのだろう。誰かがしゃべったのか。でも、出目金が私のアプリだとは一切他言していないのだが。
敢えて知っているとすれば、それは尊だけ。あいつが用もない他人に話すはずもないし、そもそも接点すら無い。
気になる。非常に気になる。なにかがあってからでは遅い。情報漏れの原因を突き止めなくては。
「チャンスと言われても、私、戻るつもりはありませんから、このお話は……」
「そんなに簡単に断っちゃっていいの? おまえさ、いまの仕事って総務だろ? せっかくそれだけの力があるのに総務なんかでずっとくすぶってる気なわけ?」
失礼な。なにその言い草。
そうか。玲子には私が開発へ移動したことをまだ話していないから、こいつは知らないんだ。
「お言葉ですが、私は総務の仕事が好きですので……」
「言っちゃあ悪いけどさぁ、開発と総務の待遇差って、天と地じゃないか。それに……」
「勝手なこと言わないでください。いまの待遇がどうだろうと、安田さんに心配していただく謂われはありませんし、会社を辞めるつもりもありませんから」
「そんなこと言っちゃっていいの? あのさ、いまはそれでもいいだろうけど、アプリ開発なんて、個人でいつまでも続けられると思ってるの?」
「それ、どういう意味ですか?」
なにが言いたいんだこいつ。
「どういうってそれは……」
「関口」
頭上から降ってきた突然の声にハッとし顔を向けると、いつの間に居たのだろう、険しい顔をした江崎が、チョコレートパフェを手に、真横に立っていた。
「江崎さん?」
「関口おまえ、いつまでもこんな所でなにしてんだ?」
「えっ?」
「えっじゃねえよ! いつまでひと待たせるつもりなんだよ?」
なんなの江崎、いったいどうした。
「関口? この人誰?」
「安田さん。えっと、この人は……」
「時間になっても来ねえからきっとここだろうと来てみたら、やっぱり居るじゃねえか。俺との約束すっぽかして別の男とデートとはね。よくやるなあ、おまえ」
安田の問いも、私の言葉も遮って、まくし立てる江崎は、細い目をさらに細めて安田を睨む。
初めて見る江崎の怒った顔は、意外に迫力があり驚いた。しかし、江崎はなぜ怒っているのだ。そもそも、約束した覚えも……。もしかして、話を聞いて助けてくれているのか。江崎なのに。
エアコンの効きが弱いのか、或いは緊張感のせいか、空気が妙に生温く感じる。
江崎とパフェを交互に見ながら、まずいな、この状況を早くどうにかしないとパフェが溶けてしまう、と、不要な焦りを覚えた。
「関口おまえ、先約があるんだったら先に言えよ。邪魔しちゃ悪いから俺、行くわ。さっきの返事は今度でいいからさ。後悔しないようによく考えろよ」
苦笑いしながら立ち上がった安田は、また連絡する、良い返事期待してるよと言い捨て、江崎を一瞥しそそくさと立ち去った。
その後ろ姿を見送った江崎が、入れ替わりに向かい側に腰を下ろす。彼の手からやっとパフェが離れ、テーブルの上に落ち着いた。
「関口、あいつ、誰?」
そういえば喉がカラカラだ。手付かずのまま冷めきってしまったコーヒーを一口啜ってみたが、えぐみと酸味がより不快感を助長する。
「あの人は、大学の先輩で、以前居た会社の……。江崎さん、もしかして話、聞いてました?」
「うん。はじめから全部じゃないけど、概要はなんとなくわかった。そうか、前の会社のな……」
「…………」
「それで? あの出目金って、おまえが作ったんだ?」
おっと。いきなりそこから突っ込んできますか。
「えっと、あの、そうなんですが……」
「さっきのあいつ、あの出目金が欲しいんだろ」
パフェにスプーンを突っ込みながら、江崎が私に鋭い視線を向ける。
「はい、たぶん。戻ってこいとは言ってましたが、本当の目的はアプリなんだと思います」
「で? おまえはどうすんの?」
「どうするって、もう断りましたから」
「おまえ、あいつが一回断ったくらいで納得すると思ってんの? 俺にはそうは思えなかったけどな。現に返事待ってるとか言ってたじゃねえか。本当に大丈夫なのかよ?」
「それは……」
江崎の言うとおり、安田が簡単に引き下がるとは思えない。況してや上の指示で話を持ってきたとなれば、尚更のこと。
だからといって、こちらからなにか打てる手立てがあるでもなし。ただただ断り続けて諦めるのを待つ以外、方法が無いところが癪に障る。
「あのさ、よけいなお世話かも知んないけど、このことさ、小林統括に相談してみたら?」
「へ? 小林……統括に、ですか? なんで?」
「なんでって……。あのさ、小林さんだったら絶対に協力してくれるし、きっと何か良い方策を考えてくれると思うんだけどな。おまえ、あのひととやり合ったくせに、まさか『とてもじゃないけど怖くて相談なんてできないわ』なんて言わねえよな?」
おい江崎、私はそんな気持ちの悪い声は出さないぞ。
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