29

 尊の前で愛想の良かった佳恵の顔色は、玄関ドアがパタンと閉まったとたんに豹変。正面から私を見据えるその眼光は、直視を躊躇うほどの鋭さ。無言の威圧に気圧され、私は崩していた膝を直し居住まいを正した。


 そして、当然のごとく、三年前の尊との出会いから、いま現在の状況にいたるまで、すべてを洗いざらい事細かに白状させられる羽目に。

 ささやかな抵抗として、できる限り話をかいつまみ、できるかぎりのらりくらりと話を逸らすべく試みはしたが、それらは所詮、無駄なあがきでしかなかった。


「つまり、あんたと小林さんは、三年前に行ったラスベガスで、衝撃的に恋に落ちその場で結婚……」

「はい。あの発言よろしいでしょうか?」

「なに?」

「えっとですね、衝撃的ってほどでは」

「却下。それで、あんたがうっかり携帯を便器に落としてダメにしたせいで、生き別れに……」

「いや、それは不可抗力だから……」

「却下。そんなの不可抗力って言わない。それから、三年のブランクの後、運命の再会を果たし……」

「運命なんてそんな……偶然だよ、偶然」

「あんたねぇ、いいかげんにしなさいよ? ひとがせっかくまとめてあげてんのに!」

「……スミマセン」

「まったく……。こんな重要なことを私に隠してたなんてね。親友が聞いて呆れるわ」

「いや、その、隠してたんじゃなくて、忘れて……ごめんなさい」


 反省の姿勢を示すべく、背を丸めてうなだれるが、重い空気に耐えきれず上目遣いに佳恵をちらっと見上げれば、即座に怒鳴りつけられる。


「なによ! その顔はっ!」

「……スミマセン」


 シュンと俯いて佳恵の沙汰を待つ。足は痺れすでに感覚も無いが、いまはそれどころではない。微妙な空気の流れるこの居心地の悪い時間を、どうやって切り抜けるべきか。頭はそれでいっぱいだ。


「ふぅ……。まあ、いいわ。歩夢のくせに、上出来じゃない?」

「へっ?」


 耳を疑うその言葉。私のくせにとはかなり心外だが、上出来というそれはもしかして、褒め言葉なのか。


 頭の中で『上出来』がぐるぐる回る。顔を上げ、背筋をピンと伸ばして様子を窺う。頬杖をついた佳恵は、私の様子がおもしろくて仕方がないといった顔。なんだ、遊ばれていたのか。


「恋愛プロセスすっ飛ばしていきなり結婚って、合理的というか、無駄が無いというか、即断即決というか、衝動的というか……。ホント、小林さんって凄いひとだわよねぇ。まあ、あんたもあんただけど」

「……呆れてる?」

「そりゃあ、呆れもするでしょう? あそこは結婚も離婚も簡単にできるのはそうなんだけどでもねぇ……」

「え?」


 いま、なんて言った。


 結婚も離婚……も、簡単。……離婚も、離婚も、離婚も。


「なによ? あんたそんなことも知らなかったの? ラスベガスってギャンブルやショーだけじゃないのよ? アメリカじゃ結婚も離婚も手間と時間がかかって大変なの。それをその日のうちにやっちゃおうっていうのが、あそこの売りでさ、ちょっと前までラスベガス観光の目玉だったのよ」

「離婚も……なの?」

「そうよー。私も詳しくは知らないけど、数ヶ月? 数週間? 忘れたけど、一定期間あっちに住めば、離婚できちゃうらしいわ。しかも相手の承諾もいらないから、ひとりで離婚できちゃうのよ。なんか、最近は海外からの離婚ツアーもあるらしいわよ」

「う、そ……」


 日本で籍を入れてから離婚届を出すなんて回りくどい手続きも必要なく、簡単に離婚する方法がある。


 あの腹黒い尊が、それを知らないはずがないわけで。


 騙しやがったな。


 思わず斜め下を向き、チッと小さく舌打ちをした。


「ちょっと、なに?」

「え? あ、いや、なんでもない」


 力なくへラッとごまかし笑ってみせると、佳恵はにやあと意地悪い笑みを浮かべた。


 そうでしょうとも。あなたはなんでもお見通しです。


「もしかしてあんた、小林さんに離婚したいとか言った? それで、離婚する方法は無いとか言われたりして……。ほら、その顔! やっぱり当たりでしょう!」

「…………」


 ものの見事に、ありのままを言い当てられた。

 この女、やはり神通力でもあるんだろうか。いや、ある。絶対ある。


「なんていうか……、搦め捕られてる感は、無きにしも非ずかもねぇ。でも、まあ、あんたがそれでいいんだったら、いいんじゃないの?」

「……そうだよね」

「それで? あんたたち、いつ籍入れるの?」

「え?」

「え? じゃないでしょ? こっちでも当然、婚姻届出すんだから。それともなに? そういう具体的なこと、ちゃんと話し合ってないの?」

「それはその、話し合うっていうか、一方的に通達されてるっていうか……」

「なによそれ?」

「いや、だから……」

「まったくなんなのよ? あんた、小林さんと結婚してるんでしょう?」

「それは……うん」

「まさか、本気で別れたいとか思ってるわけじゃないよね?」

「……うん。それは無い」

「だったら……。情けないわねぇ、自分のことでしょう? シャキッとしなさい、シャキッと! いつまでもグズグズグズグズと……」

「うん。ごめん」

「はあ、まあいいわ。これからは私が相談に乗ってあげるんだから、なんでも隠さず話すのよ? わかってる?」

「……わかってるよ」


 ホント、なにをやっているんだか。


 佳恵とは十年来の親友。気心は知れているし言えないことなんて何もないはずなのに、私ひとりこんなに緊張しているなんて、考えてみればおかしい。


 佳恵の言うとおり、もっと早く、小林統括が尊だってわかった時点で、いや、それこそ三年前にでも、話せば良かった。


「結婚かぁ……。そっか。歩夢は『小林歩夢』になるんだねぇ」


 感慨深そうに呟くその言葉を耳にし、突然、結婚の実感が湧いてくる。


 そうか。私は、小林歩夢になるんだ。






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