26
「どこやったんだろう? たしか、この部屋に……」
次はおまえのことを知りたいからと、自宅へ帰る気なんてさらさらない尊はシャワー中。
その隙に私は、ここへ引っ越してきたとき、趣味の小部屋のどこかにしまい込んだはずの結婚指輪を探している。
片付けはそう得意なほうではないが、物が無い整然とした空間を好む自分のために、手抜きはしていないつもりだ。但し、この部屋を除く。
ここには、部屋のサイズに見合わない大きな机と書棚、マシンやら趣味の書籍やらが、あとからあとから雑多に積み上がっている。古い物を探し出すのは、それこそ発掘作業と言っても過言ではない。
最後に開けたのがいつかも忘れてしまった小さな引き出しを片っ端から開け、奥の奥まで手を突っ込み中身をひっくり返してみたが、目的の物が入っている様子はまったくない。
特に、大切にしまい込んだ物に限って、なぜか行方不明になるのも世の常だ。
「どうしよう? ちゃんとしまってあるって言ったのに、じつは無くしましたじゃ、シャレになんないもんなぁ」
ふと、予感めいたものを感じ、壁際を見上げると、天井にまで届く書棚の上に、小さな桐箱が見えた。
「もしかして……、あれ?」
窓際に立てかけてある脚立に上り、箱に手をかける。ほぼ三年分積み上がった埃に咽せながら脚立を下り、机の上のティッシュペーパーで箱を軽く拭い、蓋を開けた。
「あった! これこれ!」
中から赤い小箱を取り出し、パカッと音をさせて蓋を開けると、ぽつんとひとつ、細いプラチナの結婚指輪が、指から外ししまい込んだ三年前と同じ光を放っている。
ふたりだけで挙げた結婚式は、ウエディングドレスもブーケも無し。
衝動的で、けっしてロマンチックなものではなかったが、見知らぬたくさんの人たちにおめでとうと言われ、祝福のキスと抱擁を受け、とても幸せだった。
ふたりで選んだこの指輪を、お互いの左手の薬指にはめたときのあの感動も、空港で別れるまでふたりで過ごしたあのキラキラした時間も、その後の絶望までもがすべて、ちょっと振り返りさえすれば、簡単に思い出すことができる色褪せない大切な記憶。
これから、私はどうしたらいいのだろう。
指輪を眺めながら、どれだけの時間、物思いに耽っていたのか。腰に絡められた腕と熱を感じ、現実に引き戻された。
「なにしてるんだ?」
背後から私の肩に顎を乗せ、私の手の中を覗き込んでいる。尊の髪から滴る滴が、私の頬を濡らす。
「ちょっと? 濡れてる! ちゃんと拭いてから出てきなさいよ」
指輪の箱を机に置き、腕を解いて尊の肩にかかるバスタオルをむしり取った。突き飛ばすように椅子に座らせたあと、首が前後左右に振れてもお構いなしに、ゴシゴシと揉み、髪の水分を取る。
なんか楽しい。
「お……っ、乱暴だなあ。もっと優しく拭いてくれよ」
「贅沢言わない」
おとなしくされるがままになっているその様子に満足していると、突如腰に伸ばされた腕に引き寄せられ、バランスを崩して尊の膝の上に倒れ込んだ。
がっしりと腰を掴まれ身動きがとれない。文句を言おうと口を開きかけたが、バスタオルの隙間から覗いた真剣な眼差しに怯んだ。
「な、なによ? どうしたの?」
「手。出せ。指輪、はめてやる」
「えっ? い、いいよぉ、いまは」
「いいから。左手、出せ」
「いや、だって。もう入らないかも知れないし……」
「ごちゃごちゃうるさい」
「うぅ……」
私の無駄な抵抗は、強引に押しつけられた尊の唇の中に消されてしまった。
尊の手に手首をつかまれ、逃げられない。
取り出した指輪を薬指にそっと通し、ゆっくり慎重に付け根へと進めるその指先を、息を飲んでじっと見つめる。
「ほら、入った」
指輪は抵抗もなくすんなりと、私の左手薬指へ収まってしまった。
どうしたんだ。しっかりしろ自分。仕事部屋で、風呂上がり半裸の男の膝の上で、ロマンチックなムードの欠片も無いこんなシチュエーションで、感動なんかするなよ。
指輪をはめた薬指に口づけをして、嬉しそうに瞳を覗き込む尊の笑顔に、涙が出そうになるのをぐっと怺えた。
「もう二度と外すなよ」
「え? でも、会社では……」
「会社でも、だ。これは、虫除けだな」
「虫除け?」
「そう。虫除け。変な虫が寄ってくるからな」
「でも……」
「でもなに?」
「いや。いい」
変な虫といえば、大沢。結婚の事実を告げたとき、ひとを馬鹿にして大笑いしていたあの顔が頭を過る。
こんなものを嵌めていても、既婚者だなんて誰も信じてくれないよと言ったところで、果たして尊はそれを信じるだろうか。さすがに信じないだろうな、との結論にいたり、言いかけた言葉を飲み込んだ。
「ところで、話は変わるが……」
「ん?」
「この部屋、なに?」
感動の儀式はもう終わりか。一、二分前までの甘く蕩ける笑顔はどこへ行った。頭の切り替えが、早過ぎる。
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