18

 四角いテーブルを挟み、四つの瞳が睨み合っている。両者ともに眼光鋭く相手を威圧し、けっして先に視線を逸らすまいと、意地を張り合っていた。


「どうしてひとの言うことが聞けない」

「嫌だって言ったら、嫌なんです!」


 声を荒げた私に、尊は声を出さず口だけを動かし『聞こえるぞ』と言った。

 外では絶対に皆が聞き耳を立てている。ドアのほうを窺う私に「俺はかまわんが」と、いやらしい笑いを浮かべた尊が、静かに追い打ちをかける。


「俺のアシスタントに就けば、待遇はいまより格段に上がる。給与もいまの五割増しだ」

「それでも嫌です」


 声を落とし、拒絶の意を示すと、『重役出勤だぞ』と、目で語る尊の黒い視線を、『ふざけないで!』と、睨み返しねじ伏せた。


「おまえ、前職はプログラマーだろう? 学生時代からアプリ開発の実績もあるじゃないか。なのにどうして総務に居る必要がある?」

「……なんで? なんでそんなこと知ってるの?」


 さらに小声で問うと、やはり小声で当然の答えが返ってきた。


「おまえから聞いたに決まってる」


 三年前か。三年前この口がしゃべったのだ。まったく、よけいなことを。


「私はいまの総務の仕事が好きで、誇りを持って取り組んでいるんです」


 九時五時ほぼ残業無しの好待遇を手放して、あんたのアシスタントに、いや、開発なんか、やる気はさらさら無いんだってば。


「それがどうした?」

「……だから、お気持ちは大変ありがたいのですが、いまの仕事を続けさせていただけませんでしょうか。お願いします! 小林統括!」


 外へまで聞こえるように、いかにも熱意と誠意溢れる声音を演じつつ、眉間に皺を寄せ睨みつけたが、おまえの魂胆なんてお見通しだ、と、目の前の口が『ばーか』と動いた。


「ちょっ! バカってなによ? バカって!」

「バカはバカだろうが?」

「と、に、か、く! お断りです! 絶対にイヤ!」


 興奮して勢いよく立ち上がり、バンッと机を叩いた私に一瞬目を細めると、尊は椅子の背もたれに上体を預け、ゆっくりと腕組みをし、ニヤリと笑う。

 その顔には、はっきりと『イイコト思いついた』と、書いてある。


「おまえの気持ちはわかった。だが、上司の正式な打診を断るからには、それ相応の覚悟があるんだろうな?」

「な、なによそれ? クビにでもする気? わかった。いいわよ。怖くなんてないもん。こっちこそ、清々するわ」


 腕組みをしてフンと鼻で笑ってやった。できるものならやってみろ。


「いや、さすがにそこまでは考えていない。考えていない……が、そうだな、書類倉庫も確か総務課の管轄だったか。そんなに総務の仕事が好きなら、おまえをその倉庫番に任命してやろう。篠塚総務課課長には俺から話しておくから、おまえはいますぐ倉庫へ行け」


 この私に、そんな脅しが通用するとでも思っているのか。

 こっちこそ、あんたの魂胆は、お見通しだ。


「……わかった。倉庫へ行けばいいんでしょう? 関口歩夢は、小林統括部長さんのご命令に従い、いまからすぐ! 倉庫管理の業務に従事させていただきます! これで満足?」

「……おい……ま、」


 これでもかと深く一礼し背を向けると、私はニヤリと笑った。



 会議室のドアを開けると案の定、美香、エリカ、楓の三人が突っ立っていた。やはり、話を聞いていたのだ。

 どこまで漏れ聞こえていたのかは知らないが、倉庫へ飛ばされることだけは、しっかりと聞こえていただのだろう。いつにも増して神妙な面持ちで、私の様子を窺っている。


「えっと、関口さん、大丈夫?」


 意外にも先に言葉を発したのは、いつもならふたりの後ろに控えている楓だった。


「あー、話、聞こえちゃいました?」


 全員が無言で大きく頷く。


「書類倉庫へ飛ばされるって……、小林統括、なんだかすごく怒ってたみたい」


 再び、全員が真顔で大きく頷いた。


「でもさ、いくらなんでも倉庫番って酷過ぎない? あんなところに一日中ひとりで居ろだなんて、私だったら気が狂っちゃう」

「うん、そうよね。小林統括は、なんで急にそんな酷いこと……

「しっ! 美香ちゃん、ここじゃダメ。聞こえたらまずいよ」


 エリカは意外と冷静に状況判断ができる子のよう。

 もっとも、エリカのことだ。小林統括の御沙汰に文句をつけているのを聞かれ、自分たちにまでお鉢が回ってきてはたまらないと、思っているだけだろうが。


 そうだね、まずいね、移動しよう、と、向かう先はもちろん、女子社員のオアシス、給湯室。

 今日の主役は私とばかりに、美香と楓に両サイドから腕を掴まれ連行されては逃げることも叶わず。狭い給湯室の一番奥に押し込まれてしまった。


 仕事に戻ろうよ、との言葉も、この子たちの耳には届かない。


「それで? なんで急にそんな話になったの?」

「それが……」

「そうよ! わたしたちに教えてくれたら、もしかして、力になれることがあるかも知れないよ?」


 なんだろう、この感じ。


 いつもならおもしろがって嫌みのひとつやふたつ言ってくるこの子たちが、妙に真剣だ。まるで、共通の敵に立ち向かう戦士のような。

 江崎みたいなイヤな奴相手のときの連帯感は、見ていておもしろいほどではあるが。もしかして、小林統括部長って、そんなに嫌われているのか。


 どうするかな。ことがことだけに、あからさまに話をするわけにはいかないが、どうせある程度聞こえてしまっている。ここは、さわりだけでも、話をせねば収まるまい。


「じつは、開発へ移動して、小林統括のアシスタントになれって言われてしまって……」


 三人の目の色が変わった。


「ええっ? 開発へ移動? やだそれ! すごく良い話じゃない!」

「そうよ! 開発って、ウチの花形よ?」

「うんうん。隣は営業部だし、総務と違って……開発はまあ色々だけど、営業は優良物件選り取り見取りだよ? なんでそんな良い話が関口さんにだけくるわけ?」


 美香さん、男はブランドバッグではありません。


「そうよー、関口さんができるなら私だって! ねえ、私が代わったらダメ?」


 エリカさんも、食いつきどころが、なにかズレています。


「あ、でも、ちょっと待って。いま、小林統括のアシスタントって言わなかった?」


 楓さん、あなたの冷静さ、いいです。


「…………」


 美香とエリカの浮かれた顔が、真顔に戻る。小林統括部長さん、あなた、いったいなにをやったんですか。


「小林統括のあのご尊顔を毎日拝めるのは、すごい目の保養だけど……」

「そうよね。あの人のアシスタントは……」

「うん。目の保養はいいけど、それよりも毎日睨まれる恐怖に耐えられるかどうかよ」

「そういえば、知ってる? 開発の男子が小林統括に泣かされた話」

「知ってる! 超有名な話よそれ。小林統括に叱られて飛び出して、それっきり二度と会社に来なかったって、あの話」

「そうそうそれだけど、続きがあってさ、それも、ひとりやふたりじゃないんだって。上の人たち、すっごい怖がってて、みんな陰で鬼とか悪魔って呼んでて……」

「そう! 別名、小林大魔王……」

「……だいま……おう?」


 まったく、噂というものは。本当に何人もの社員を退職に追い込むようなまねをしていたら、仕事になんぞなっていないだろうに。


「関口さん、なに言ってるの? これ、本当の話なんだからね!」

「そうだよ! だから、アシスタントになんか、ならなくて良かったんだって」

「そうだよねー。倉庫のほうが絶対マシだよ」

「うん。絶対マシ」

「でも、大丈夫なのかな? 小林統括に楯突いて……」

「そうだね。あの人に怒鳴り返した人って、初めてかも?」

「ホント、初めてだよ。関口さんって凄いね」


 私を見つめる三人のキラキラした瞳のほうが、よほど怖いのは気のせいか。


「あなたたち、いつまでサボってるつもり? いいかげん仕事に戻りなさい」


 突然現れた田中先輩の声に、ビクッと緊張が走る。

 顔色を変えた三人は、じゃあね、先に行くわと小さく手を振って、田中先輩の脇をすり抜け素早く逃げていく。


 なんと逃げ足の速いこと。


「関口さん、大丈夫?」

「あ? はい。大丈夫です」

「あの子たちもねぇ……、もう三年目なんだから、いいかげん弁えてくれるといいんだけど」


 田中先輩がしょうがないわねと、呆れ顔で小さくため息をついた。


「あなたもよ? 関口さん。どうして、あんな良いお話、断っちゃうのかしら? やっぱり、噂のせい? でも、小林統括って、確かに仕事には厳しい人だけど、そんなに怖い人じゃないのよ?」

「……はぁ」


 そりゃ、私だって、小林統括が怖い人でないのは、よく知っている。ごくたまに、怖いときも無いとは言わないけれど。でも、本当に怖い人なら、いくら私だって、あいつとこうなってはいないわけで。


「まあでも、あの子たちは若いから、以前の彼を知らないし。怖がっていても当然かしらね?」

「以前……の? 田中先輩はご存知なんですか?」

「そりゃあ知ってるわよ。なにせ私は創業当時から居るんだもの。あの人、いまはあんなだけど、昔は優しくて朗らかな人だったのよ。仕事上の立場が厳しくなっちゃったからなのかしら? ここ数年だわねぇ、あんなふうに眉間に皺を寄せて厳しい顔ばかりするようになっちゃって」

「…………」

「まあ、いまは、彼の話はいいわ。関口さん、倉庫の件は、私と課長も彼に話してみるから、心配しないでね。でも、あなたもよ! 良い話なんだから、ちゃんと考えなさい? ね?」

「はい……」


 良い話。一般的には、確かに良い話なのだろうが。


「それにしても……。あなた、すごいわね? 彼に怒鳴り返すなんて」

「えっ? あ?」


 クックッと思い出し笑い中の田中先輩に疑問を持つ。なぜ、そこまで知っているのだ。


「全部聞こえてたもの」


 会議室から怒鳴り声はする、あの子たちは戻ってこない、様子を見に来れば、給湯室にひしめき合って延々おしゃべりしている、と、私の肩をポンポン叩きながら、田中先輩は笑った。







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