15

「なんで牛丼屋なのよ?」


 話の続きをするために、夕食を一緒に取るのはいい。

 だが、なぜ、それがここなのだ。


「なんで、って……、会社と俺の家の間には、この牛丼屋とその隣のコンビニしかないから、仕方ないじゃないか。それに、牛丼食いたかったしさ」


 それは、あんたの都合だろう。私はべつに、牛丼を所望してはいないのだよ。


「こんな所じゃ話もできないでしょ? だいたいさ、話の続きするから、晩御飯一緒に食べるんじゃなかったの?」

「話は家に帰ってからすればいいだろう?」

「家? 私の家はこっちの方角じゃないんですけど?」

「俺の家はこっちだ」


 なんなのこの男。ムカつく腹が立つ頭にくる。


「大盛り並お新香サラダに豚汁二丁お待ちっ!」


 箸箱から怒りに任せ乱暴に取り出した割り箸を逆手に握りしめたところで、尊お待ちかねの牛丼がやってきた。

 けっして牛丼の気分ではない。気分ではないが、空腹には勝てぬ。とりあえず食べるとしよう。


「お新香は私!」

「ダメ、俺の」

「じゃあ半分」

「サラダはおまえ食え」

「全部はいらない、半分」


 全面ガラス張りの外に面した牛丼屋のカウンターテーブルで、会社の御偉いさんと総務課の平社員が並んで牛丼を掻き込み、ひと皿のお新香とサラダを奪い合うシュールな光景。


 誰かに見られたら、どうするんだこれ。

 こいつはそんなの全く気にしないのだろうけど、私の面の皮はそこまで厚くない。


 街路樹が風に煽られ風音が店内にまで聞こえてくる。台風の進路はどうなっているのだろう。雨はまだ降りだしていないが、だいぶ風が強くなってきた。


「ねえ、尊の家ってどこ?」

「俺の家? 近いよ。そこの角曲がって五分くらい行った所」


 それはつまり、会社を挟み、私の家とは反対方向。このままこいつの家に着いて行ったら、帰りは二十分以上歩かなければならない。


 テーブルに備え付けの紅生姜を丼に足しながら考える。

 どうしよう。話は別の日にして、やはり帰るべきか。


「あのさ……」

「雨が降りだす前に、さっさと食って帰るぞ」

「あ?」


 ニヤッと笑った美しい顔が黒い。やはり、私に選択肢はないらしい。


::


 尊に連れてこられたそこは、安月給のヒラ社員ではよほどのことがない限り一生住めないであろうと思われる立派な戸建住宅。

 連棟式で敷地も狭く、一軒一軒は極小のテラスハウスという物件なのだと尊は謙遜するが、とんでもない。都心でこんな家に住めるなんて、小さい会社とはいえ、偉い人の待遇はやはり違うのだと実感させられる。


 まあ上がれ、と、促され、後に続く。

 階段を上がりながら、一回は寝室とトイレと風呂場、二階はリビングとキッチン、三階は二部屋、片方は仕事部屋にしていて、もう片方は物置だと、丁寧に説明をしてくれるが、そんな話を聞いてなんになる。二度と来る気もないのに。

 そして、リビングに入って、呆気にとられた。


 なんだここは。


 尊がリビングと呼ぶその部屋には、装飾品はおろか、普通どこの家にもありそうな、ソファも無ければテレビも無い。

 ただ、中央に毛足の長いベージュのラグが敷かれ、ローテーブルがポツンと置かれただけの、物の見事になにも無い、それはそれは殺風景な部屋だった。


 どこでも適当に座れと言われ、適当に座ってみたが、なにも無さ過ぎて落ち着かない。


 ガタガタと風が窓を震わせる音が、不安を掻き立てる。

 今夜この台風の中、家に帰れるのだろうか。帰れないということは、尊とふたり、ひと晩過ごすことになるわけで。


「いくらなんでも、それは、まずいよな……」


 尊が相手では、自分の言動にまったく自信が持てない自信は、ある。


「なにがまずいんだ?」


 しばらくして戻ってきた尊は、コトンと音を立てドリンクのボトルを置き、隣へどっかりと腰を下ろした。


「いや、べつに……」


 こんなに広いのに、なんで隣に座るんだよ。近過ぎるだろうが。

 俯くと、いましがた置かれたボトルが目に入った。

 

 えっ。ロイヤルミルクティー。

 覚えていたんだ。あの頃、好きだった、これ。


「また風が強くなってきたみたいだな」


 呆然と見上げると、素知らぬ顔でペットボトルの蓋を開けて水を飲みながら、窓のほうへ目をやり外の様子を気にした振りをしている尊が目に入る。このすまし顔が憎たらしい。


「……やっぱり帰るよ」

「なんで?」

「なんでって、ほら、台風来るし」

「家にいればいいだろう?」

「なんで? そんなことできるわけないでしょう?」

「なんで?」

「んもうっ! なんでじゃなくてっ! 私たち、そんな関係じゃないって言ったでしょう? 忘れたの?」

「おまえこそ忘れてないか? 俺たちは、ふ・う・ふ! だぞ?」

「だ、か、らぁ!」


 なぜすぐそこへ行き着く。普通の会話は成立しないのか。


「歩夢、おまえ、覚えてるか? 三年前、俺たちが結婚した日のこと」

「え? 覚えてる……けど? それがなに?」

「覚えてるんだったら、言ってみろよ? 俺たちはどうやって結婚したのか」


 意味がわからない。どうやって結婚したのかなんて、いまとなってはどうでもいいことではないのか。


「どうやってって……」

「覚えてるんだろう? あの日、先ず始めに、なにをした?」

「始めに? えっと……役所みたいなところで、あ、そうだ! ライセンスってやつ? それもらったよね?」


 つい、どうだと得意顔をしてしまったが、無視された。


「それから?」

「それから? えっと……また別の役所みたいなところで、結婚式したよね? 宣誓書読んで……あ、そうそう、思い出した! 証人が必要だとか言われて、後ろに並んでた大きなおじさんとおばさんのカップルにお願いしたんだった」

「偉いな。ちゃんと覚えてるじゃないか」

「……バカにしてんの?」

「じゃあ、これがなんだかわかるか?」


 クリアファイルに挟まれた、一枚の紙を見せられた。そうか、さっきしばらくどこかへ消えていたのは、これを取りに行っていたんだ。


Marriage Certificateマリッジサーフィティケート? これって……」

「これは、ネバダ州が発行した正式な結婚証明書。つまり、俺たちは法律で認められた正式な夫婦、だって証明」

「……うそ?」

「本当」

「そんな……」

「そんなもこんなもない。だから、俺たちはそういう関係なわけ。わかった?」

「でっ、でも、結婚っていったって、たった三日足らずだよ? それで……」

「たった三日足らずでも正式な結婚は正式な結婚だろう?」


 まずい。このままじゃ……。なにか、いい方法は無いのか。




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