その2
「――準備はいい?」
どこからともなく、幼子の声が聞こえる。
それは、少女の耳の内側――。
小さな耳栓のような飾りピアスは、魔法を使った通信装置で幼子の声はそこから聞こえている。
目線の彼方には、男が括り付けられた断頭台。
その周囲には、壁のように人だかりができていて、首が落ちる瞬間をいまかいまかと待ちわびているようだった。
もちろん、聴衆の目を釘付けにしているのは大司教と呼ばれた男。
その男までの距離は、下方に向かって10メートル。
少女は四階建てのアパルトメントの屋根の突端に立ち、直下の風景を俯瞰していた。
同時に木綿地のフード越しに側頭部に手を当てる。装着された遠距離通信を可能にする魔術道具に聞き耳を立てていたのである。
交信に対して、少女が小声でつぶやく。
「いつでもどうぞ」
「じゃあ、アタシが自慢の特製小型投射器で煙幕玉を投げるから、リスティは大司教をチョチョイと殺しちゃってちょうだい」
「了解」
「んまあ、そのあと子飼いの兵士たちが出張ってくるだろうけど、手はず通りにパパッとやっつけちゃって♪」
「それも、いつものことよ」
「さすがリスティ。頼りになるぅ~」
「ところで、ひとつ聞いていいかしら?」
「なんでございましょう?」
「私の報酬からがっつりマージンを取ったでしょ?」
「マージン? なんの話?」
「……相変わらずセコいことするわね」
「心外だなあ~、いったいなにがご不満なのさ」
「今回の報酬額から見ての判断よ。仲介屋のアンタが協力するってことは、今回の依頼者からよほど高額の報酬が出たってことの証左じゃないの?」
「テヘッ、バレてたか」
「あからさま過ぎるのよ」
「まっ、
「なら、わざと失敗した方がいいのかしら」
「ちょっ、ちょっと!! そんなヒドい冗談やめてよ。アタシはこれでも紳士的なお値段で仕事を依頼してあげてるのに」
「……紳士的な値段……ね……?」
「あ、疑ってるでしょ……?」
「毎度のことだから」
「もういい! そんなこと言うなら、仕事紹介してあげないもん」
「まあいいわ。今回は見逃してあげる」
「ねえ、リスティ聞いてる!? ねえってば!」
「そろそろ始めるから切るわね」
少女は、途端に耳から通信機器を外して手に取った。
パートナーが五月蠅かったのもあったが、なにより戦闘中邪魔になることを考慮したからである。
当然、少女は紛失する可能性を考えて、通信機を腰の石帯に吊された革袋の中に詰めた。
それから、フードを被ってあご紐で留め、朱色に塗りたくられた仮面で顔を覆う。さらに外套の内側から2本のナイフを取り出し、順手と逆手の両方で持って携える。
――準備は整った。
少女は背中から倒れ込むように地上に向かって落ちていく。
途端に身体が仰向けになる。
視界に入ってきたのは、青い空と白い雲。
風の音と小鳥の声を想起させるような空は、いつまでも眺めていたいと請うような穏やかな一日を表現するかのような代物だった。
まるで「永遠の美」を映すかのよう――少女は空にそんな印象を抱いた。
目を閉じて、美しい光景の余韻に浸る。
だが、身体は急速に落下していた。墜死を免れ得ぬ状況にも関わらず、異常な追憶はうたかたの夢に過ぎない。
少女はパッと目を見開いて、刹那の夢から目ざめた。
身体を反転させ、眼下の光景を望む。
そして、右手に持った1本のナイフをどこぞへと投げつけると、自身はナイフを両手に固く握めた。
狙うは、直下の獲物――ただ、それだけだ。
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